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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

香港国際警察 NEW POLICE STORY(V)

2009-05-24 09:19:27 | 映画(な)
評価点:77点/2004年/香港

監督:ベニー・チャン

これが、ジャッキーの“覚悟”。

香港のエリート警察官のチャン(ジャッキー・チェン)は、一年前から停職状態だった。
一年前、銀行強盗グループが、警察に対して攻撃するという事件が起こった。
アジトの情報を得たチャンは、部下9名とともに潜入する。
特殊部隊であるSDUの応援要請もせずに突入したチャンは、犯人グループの用意周到な罠にかかり、自分以外の警官が殺されてしまったのだ。
飲んだくれているチャンの元に現れたのは、新人警官だと名乗る若いシウホン(ニコラス・ツェー)だった。

何年ぶりになるのか、僕はよくわからない。
ハリウッドにその活躍の舞台を移してから、ジャッキーは漸く今作で香港に帰ってきた。
僕は、ハリウッドの連発される作品群をほとんど見ていない。
覚えているのは、「レッドブロンクス」くらいだ。
それもかなり以前の作品になってしまう。
それ以降も、多くの作品を世に発表し、それなりの評価を得て、ある程度のファンやある程度の観客も入った。
しかし、僕は全くと言っていいほど見ていない。

チャン・ツィイーが出ている「ラッシュアワー2」でさえ、僕は見ていない。
なぜなら、ジャッキーの出る映画には、二種類のキャラクターしかいないからだ。
一つは、超エリート警察官。その場合はお馬鹿なキャラが相棒として付く。
そしてもう一つは、お馬鹿でも強い警察官。
いつからかそんなキャラクターばかりだと感じて、ほとんど見てこなかったのだ。

だが、この「香港国際警察/NEW POLICE STORY」は、ネットなどでも話題になっていたこともあり、
このシリーズが好きだったこともあり、見ることにした。
正直なところ、やはり「香港映画」の枠を越えない映画である。
しかし、この映画には、それまでの同じような設定の映画で「安住」するジャッキーとは違い、ジャッキーの“覚悟”を感じることができる作品であった。
 
▼以下はネタバレあり▼

ストーリーはいきなり、ジャッキー扮するチャンが飲んだくれているところからはじまる。
そして、ジャッキーは一年前の惨劇を思い出すのだ。

この映画は、ジャッキー作品には異例とも言える、「復讐」が軸になっている。
部下を目の前で殺されるという凶行に対して、立ち上がり、そして復讐するのだ。
その絶望と隆起を、痛いほど丁寧に描いたこと、これこそが、他の作品にはない、この作品の見所になっている。

ジャッキー映画にはあまり見ないような絶望から物語は始まる。
飲んだくれて、どうしようなくなり、そして路上に寝転がる。
そして一年前への回想へ時間がさかのぼる。

この一年前の回想に関しては、丁寧に作られている印象がある。
それは、部下を叱責するジャッキーの姿に象徴されている。
事件解決の方法が甘い、と解決した後に部下を激しく叱責する。
それはあたかも、このままでは香港映画は衰退していくぞ、というジャッキーの警鐘でもあるかのようにダブる。
このシーンは、次の事件を予感させる。
つまり、部下が殺されてしまうのではないか、ということだ。

案の定、非常に残酷な殺され方で、部下が次々と殺されてしまう。
一年間ジャッキーが挫折することになるこのシークエンスは、セット丸わかりで、安上がりな印象を受けてしまう。
犯人側に不自然なほど都合良く、しかもやたらと施設が整っていることから、リアルさを感じない。
しかし、それを差し引いても、この映画を支える重要なシーンになったことは確かだ。
感情に訴える効果は、十分にあった。
そのため、このシークエンスそのものが、この映画の「動機」そのものになるのだ。
怒りと挫折、無念さという十分すぎるくらいのインパクトがある。

ただ、惜しいのは、時間的に詰め込もうとしたため、恋人とその弟との間柄がわかりにくくなっている点だ。
もう少し、弟、恋人、ジャッキーの関係をわかりやすく描いてくれれば、もっと残酷さが生まれただろう。

ここで感情移入が完了すれば、あとはほとんどスムーズに進む。
ニコラス・ツェー扮する若い刑事が登場し、奮起を促し、捜査を開始する。
展開に大きな無理はなく、抑制の効いた見せ場によって、物語を引き立てる。

その中で、どうしても違和感があるのは、シウホンの役どころだ。
彼は登場から大きな違和感をもって出てくる。
やたらとバッジ番号を連呼する割には、直接的に署長や上司とやりとりすることがない。
もちろん、実は刑事でも警官でも何でもなかった、という真相に対する伏線になっているわけだ。
だが、この真相が本当に物語として必要だったか、はなはだ疑問だ。

この作品のモティーフは、明らかに親子の絆であり、加えて経済格差を念頭に置いている。
すなわち、金持ち 対 貧乏であり、そのまま、貧乏だが強い人間関係をもった親子と、お金はあるが絆が希薄になった親子との対立である。
これは香港に限らず中国全土(特に都市部)に言える社会的な視座であろう。
お金だけ稼ぐことが本当に良いのか、もっと他に大切にするべきものがあるのではないか、という訴えである。

犯人は、金持ちの息子であり、短絡的で快楽主義に走るいわゆる「スポイルされた子供」だった。
その一方で、社会的な保障をもっているという駄目駄目な若者だ。
それを追うのは、社会的に警察官でもなんでもないただの若者で、しかも、子供の頃父親が万引きをはたらき、トラックにひき殺されるという
最悪のプロフィールを持つ。
そのシウホンを支えるのが、コートを差し出してくれたジャッキーとの見えないつながりである。

この二人の若者は全く逆であり、それを対比させることによって、親子の絆と、経済格差という二つのモティーフをかたちにしている。

つまり、この映画の中心的なテーマを描くためには、ニコラス・ツェーの設定は不可欠だったと言って良い。

それを踏まえた上でも、やはり彼の設定は無理がある。
なかなか身分がばれなかったこともさることながら、身分がばれた後も、普通に行動できているということが明らかにおかしい。
香港警察はいったい何をしているんだ! とつっこみたくなる。
この敵と味方という対立を見せるだけなら、本当に刑事だったことにした方が、現実的だし、違和感がなかったはずだ。

父親とのエピソードを語るだけのために、あの無理矢理な設定は、映画としてのリスクがでかすぎる。
もっと工夫する余地はあったはずだ。
しかも、ラストで明かされるジャッキーとのエピソードも、とってつけたような挿入のされ方なので、感動を生まない。
良い話なのに、イマイチになっている。

とはいえ、この映画にはジャッキーの覚悟とも言える力強さを感じさせる。
あえて、痛い描写をさせ、残酷な境遇に身を置かせることによって、まだまだやっていくのだ、という覚悟を見せた。
もちろん、映画としては、お世辞にも完成度が高いとは言えない。
しかし、そこにある哲学は、共感できるものだし、マンネリ化するジャッキー映画に一石を投じたことは確かだろう。

観客のためにも、香港映画のためにも、なによりジャッキー自身のためにも、果敢に挑戦していってもらいたいものだ。

(2006/4/17執筆)

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