secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

エミリー・ローズ

2009-05-24 09:24:44 | 映画(あ)
評価点:43点/2006年/アメリカ

監督:スコット・デリクソン

まさかのホラーで爆睡! 「実話」としての価値はあるが。

アメリカで一人の女性(ジェニファー・カーペンター)が亡くなった。
死因は全身の臓器が機能低下した事による。
検察は、女性に関わっていた牧師が彼女を死に追いやったのだと考え、起訴した。
牧師は、女性弁護士を雇い、自分は有罪になったとしても、自分に被告人質疑で話させてほしいと頼んだ。
それが彼女の遺志なのだと。
審議が進むにつれて、彼女が悪魔に取り憑かれていたのではないか、と疑い始める。

ドキュメンタリー映画。
ドキュメンタリーであることを明確に示すことではじめて、映画としての価値が生まれる、そんな映画だ。
基本的には、カルトホラーだと考えてかまわない。
そっち系が好きな人は是非見るべきだろう。

ただし、ホラーが得意でない、好きでない人は、観るべきではない。
好き嫌いがハッキリ分かれる、そんな映画である。
 
▼以下はネタバレあり▼

僕はこの映画を語る資格があるのか、はなはだ疑問である。
僕にとって、この映画は「退屈」そのものを具現化したような映画だった。
僕はおそらく、この映画を否定する人間の最先端付近にいる人間だろう。
もし、この映画を肯定したいという方は、「そんなふうに〈読む〉人もいるんだなぁ」程度でかまわない。

まず、僕はホラー映画がまったく感情移入できない。
その前提をご理解頂きたい。
僕自身がそういう体験をしたこともないし、実際にいることを否定しようとは思わないが、
映画や小説などになると、急に嘘くさく思えて、感情移入できない。
最も不得意なジャンルの映画なのである。

この映画は、カルトホラー系の映画が「怖い」と思えない人間にとっては、何も感じさせない、魅力のない映画である。

この映画の特徴は、ドキュメンタリーであることであり、さらに、司法として、「悪魔」という存在を認めるかどうか、という点にある。
「悪魔」という存在が、果たして司法の場で、認める事が出来るのか、あるいは、認められないのか。
しかも、その議論が実際にアメリカで起こったということが、この映画の衝撃であり、テーマそのものだと言って良い。

だから、元来「悪魔」をあまり信じられない僕にとって、その司法としての認定は、「どっちでもええやん」程度にしか思えない。
認めるのか、認めないのか、そのぎりぎりのせめぎ合い、葛藤が最大の見所であるはずなのに、僕には全く無関心の葛藤なのである。

映画の話に戻そう。
この映画は、ドキュメンタリーとしての価値は、非常に高い。
むしろ、ドキュメンタリーであるからこそ、この映画は面白い。
「星になった少年」とはまったく「実話」の意味合いが違うのだ。
その意味で、ホラーとしての雰囲気を保ちながら、
それでいて司法のやりとりがリアルだという点はうまい。

しかし、僕が映画としても退屈だったのは、〈現在〉の位置である。
すでに終わってしまった事件について、議論し合うというのが、この映画のもっている時間軸である。
つまり、事件はすでに〈過去〉になってしまっている。
その出来事の結論は、エミリーの死である。
彼女はすでに「死んでいる」のである。
だから、エミリーについて語られる物語はすべて〈過去〉であり、どれだけ巧みに紐ほどこうとも、〈過去〉を追っていくにすぎない。
どうしてもサスペンス効果に欠けてしまう。

また、その過去をたどる方法が巧みであればあるほど、「もっと早く結論を言え」と思ってしまう。
映画全体が、ドキュメンタリーでありながら、「無罪」という結論に恣意的に導いていこうとしているように思えてしまうのだ。

医療行為を中止したというやりとりが中盤まで続く。
このあたりまでは、検察側がガンガン押しているように見える。
だが、これ以降はどんどん形勢が悪くなり、結局実質「無罪」を勝ち取られてしまう。
なぜ、証人にオカルト否定論者を連れてきたり、科学的に説明できるという堅物親爺をつれてきたりしなかったのだろうか。
このあたりが、「エミリー事件」そのものが〈過去〉であると同時に、裁判自体も、〈過去〉であるかのような印象を受けてしまう。

もともと、ど~でも良いと思っている僕にとって、〈過去〉という印象を与える展開に、
退屈をもてあますことは無理のない話なのだ。
そこに臨場感を見いだす事はおろか、緊迫感も全くない。

さらに、この映画はホラー映画としても一級品とは言い難い。
ホラーとしての「演出」があまりに稚拙だからだ。
ホラーの演出は、たくさんあるが、この映画はその中でも最も稚拙な、「驚かし」なのだ。
いきなり悪魔が登場する。
いきなり叫び声が聞こえる。
いきなり誰かが呼びかける。
など、「いきなり」ばかりの怖がらせ方なので、一、二回それが続くと、もうあとは読めてしまう。
ああ、もうすぐ、来るな、来るな、という愉しみしかなくなる。

エミリー役の女優も、頑張っているが、いかんせん、「エクソシスト(ディレクターズカット)」でも、何の怖さも感じなかった僕である。
気持ち悪いなあ。
よう演じたなあ。
程度の感想しかもてない。

教室で勉強しているとき、悪魔が顔を覗かせる。
それも、「そんな暗い教室で授業受けへんやろ~」というツッコミがまず浮かんだ。
つくづく、ホラーと縁のない人間である。

そして極めつけは、牧師が託されたという彼女の遺志である。
マリア様が夢枕に立ったという設定は、キリスト教圏の人間にはどのように感じるのかしらないけれど、やはり僕はそうではない。
そこまでして自己肯定か? と思えてしまう。

さらにその遺志が、自分が体験する事によって悪魔の存在を世に知らしめる事 = この映画のテーマそのものであるという結論。
これによって映画自体が「閉じる」ことになるので、きれいにまとまることになる。

が、僕はすでに眠気に二時間襲われて続けている状態。
「めでたい」とすれば映画が終わった事が「めでたい」のである。

映画そのものは、決して退屈な映画とは言えない。
興味深い示唆や、悪魔まで肯定してしまうアメリカには敬服するばかりである。
だが、僕という観客と「エミリー・ローズ」というテクストとの交渉は、完全に齟齬を起こしたとしか表現できない。

それもこれも、ホラーを「怖い」と思えないことに起因しているのだろう。

(2006/4/24執筆)

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