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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ウルヴァリン X-MEN ZERO

2009-09-22 15:37:26 | 映画(あ)
評価点:42点/2009年/アメリカ

監督:ギャヴィン・フッド

ヒーロー映画としてあるまじき失敗。

ローガン(ヒュー・ジャックマン)は、幼少の頃父親を殺してしまう。
兄であるビクター(リーヴ・シュレイバー)とともに、超人の血を引く彼らは、軍人として半生を生き延びた。
彼らは年をとらず、ずっと一戦で活躍し続けていた。
そんな彼らの超人ぶりを見いだしたストライカー大佐は、彼らをミュータントとして認め自らの実験に利用しようと考えた。
あるとき、村を皆殺しにしようとしたビクターに嫌気がさしたローガンは、一人組織を抜けてしまう。
数年後、アメリカのロッキーに身を潜めていた彼は、恋人とともに幸せに暮らしていた。
そんなある日、ストライカー大佐とその部下ゼロがやってくる。
彼らは何者かがかつてのミュータントを殺して回っていると告げるが…。

僕は「X-MEN」についてほとんど知識を持ち合わせていない。
前シリーズも、結局観ずに終わっている。
今回は、時間の都合上、あまり観たいものもなかったので、観てみた。
だから、いわゆる、シリーズが好きだから、という思い入れはない。
そのためにちょっととんちんかんな事を書くかもしれないが許してほしい。

ファンなら楽しめるのか…? けれども僕は全然おもしろくなかったのだが。

▼以下はネタバレあり▼

前シリーズとの違いや、原作との違い、といった楽しみ方ができなかったのは、確かにマイナスだった。
思わずニヤリ、ということを前提として組んである映画なので、僕の評価は制作者の意図とは違ったものになったに違いない。
だが、それでもこの映画は破綻していると言わざるを得ない点が多々ある。

一つは、映画全体に不可欠であったはずの「熱さ」がないことだ。
ヒーロー映画において最も重要なのはそれだ。
多少無理な設定や展開は、致し方ない。
そこにリアルさを求める気などさらさらない。
だが、「熱さ」という点においては不可欠な要素であり、それの有無で映画の善し悪しが決まってしまう。
ゴーストライダー」などがいい例だ。
まったくおもしろいはずがないのに、妙な熱さだけで観客を引っ張ってしまう。
結局笑いという方向へもっていってしまったので(?)失敗したわけだが、ニコラス・ケイジをはじめとする制作者たちの意図するところは十分に伝わった。
だから、余計に笑えてしまうわけだが…。

それはともかく、アメコミのヒーローから「熱さ」を取り除いたら、何も残らない。
木のない森みたなものだ。

この映画の最大の見所は、一般人だったローガンが、ウルヴァリンというミュータントに変身するまでの過程にある。
だが、始まる物語は、どこかありきたりで、恋人が死ぬシーンも、全然感情的になれない。
小出し小出しにミュータントを出しているが、そこにおもしろさを見いだせない僕としては、眠気さえ誘う。
あっさりストライカーの申し出を受け入れ、ウルヴァリンになってしまう。
月とトリックスターなんていう挿話は、何の重みもない。

それもそのはずだ。
このあっさりした展開そのものに謎が隠されていた。
なぜなら、実は恋人は死んでいなかった!
兄も裏切り者ではなく、ただストライカーのいいなりになっていただけだったのだ!
映画としては、もし序盤の恋人の死ぬシーンをきっちりと描いてしまうと、その後の展開がつらくなる。
だから、あっさりと描いておいた、ということなのだ。

確かにそれは正しいのかもしれない。
だが、この手法は映画として、あるいはヒーロー映画として最もやってはいけない禁忌を犯している。
それは観客の感情をもてあそんだ、という点だ。
「熱さ」が不可欠の映画で、感情移入していた最大の「動機」、復讐という要素を完全に解体してしまう。
それまで熱心に観ていた僕のような観客(?)は、「なんじゃそれ、だまされた!」と思ってしまう。
しかも、ウルヴァリンが変身するのが最大の見所だったのに、だ。

ウルヴァリンは恋人にも兄にも、ストライカーにもだまされて絶望する。
だが、観客の絶望ぶりは、彼の数倍、数十倍、数百倍にもなる。
頭脳的にだまされるのは観客は楽しめるが、感情的にだまされるのは我慢ならない。
なぜなら、すべてを馬鹿にされた気がするからだ。
それまでの物語はなんだったのか、と言いたくなる。
爪の垢ほどしか感情移入できなかった僕でさえそう思ったのだ。
思い入れの強い観客は、なおのこと怒髪天を衝くだろう。

完全に感情移入する相手を失った観客は、もはや残りの物語を楽しむ余地さえない。
いまさら「あなたとの愛は本物だった」と説得されても、全く本気だとは思えない。
昔別れた女性とのやりとりを思い出して、むしろ悲しくなる観客もいそうだ。
もちろん、それ以降のアクションもおもしろいとは思えるはずがない。

では、全編通してのアクションはどうだったのか。
これも残念ながら、魅せる領域にはほど遠い。
一つは、視点人物となる一般人がいないことだ。
シリーズがすでに馬鹿売れしていることもあってか、出てくる登場人物のすべてが現実離れしている。
彼らのすごさに、感動してくれる登場人物は誰もいない。
唯一の候補だった恋人のケイラも、人の心を「生タッチ」でコントロールできるというミュータントだった。
そうなると、すんごいアクションも、なんだか当たり前のような気がしてくる。
映像的なスケール感も、もうCGでしょ、と冷めてしまう。
ミュータントが当たり前でなかったころの物語なのだから、もっと描きようがあったはずだ。

もはや、すでにファンがいるという慢心としか言いようがない。

日本映画もそろそろクソだ! という声が聞こえてきそうなくらいクオリティが下がってきている。
だが、アメリカもそろそろ物作りについて反省するべきなのかもしれない。

彼らに問おう。

本当におもしろい映画を作る気、ありますか?

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