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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い

2012-02-23 22:05:13 | 映画(ま)
評価点:76点/2011年/アメリカ/129分

監督:スティーブン・ダルドリー

昨年震災を経験した日本人が見るにはあまりにも重すぎる。

2002年、9.11から一年ほど過ぎてもオスカー(トーマス・ホーン)はいまだに父親(トム・ハンクス)が死んだことを上手く受けとめられずにいた。
遺体が見つからず空っぽの棺でお葬式をしても、納得いかなかった。
冒険好きだった父親の寝室に死後はじめて入り、そこで次の冒険の手がかりを見つける。
青い花瓶にあった封筒には、「ブラック」の文字と鍵が入っていた。
体が弱く、ストレスの感じやすいオスカーは、鍵穴を探すべく、父親との冒険を再び始める。

パンフレットのイントロダクションには、「震災を経験した日本だからこそ」というようなことが書いてあった。
だが、この映画をみれば、そのうたい文句は重すぎて受け止めきれない。
この映画は9.11をモティーフにしている。
政治色を前面に押し出したものとはちがう、遺族の物語である。

アカデミー賞作品賞にノミネートされていることもあり、見に行く事にした。
監督はあの「めぐりあう時間たち」のスティーブン・ダルドリーである。
これも時間がたくみに交錯する作品ではあるが、監督の手法と見事にマッチしている。
印象的な音楽とともに楽しむには、やはり映画館しかないだろう。

サンドラ・ブロックの「わたし可愛いでしょ」という演技もだいぶカドがとれて、悲しみに満ちた母親を好演している。
天才子役と言われているクイズ王出身の少年トーマス・ホーンは、演技の巧拙はよくわからないが、とにかくキレイな顔立ちをしている。
息を呑む、そんな美しい少年だ。

▼以下はネタバレあり▼

9.11以前と以後、その時間が交錯されるため、少し混乱するかもしれない。
けれども、物語の大筋ははじめから提示されている。
物語はからっぽの棺への抗議から始まり、一冊の本の完成で終わる。
つまり、父親の死に納得できない少年が、納得するまでの物語である。

アスペルガー症候群の疑いがある少年は父親にのみ心を許すような子どもだった。
オスカーの父親との遊びの中で最も好きだったのは、冒険遊び。
父親の課した謎を懸命に追うことで、「世界」の謎を解き明かすというものである。
彼は確かにアスペルガー症候群を思わせる特徴がある。
例えば、科学的な知識にやたらと固執するところ。
同じ服を好んで着るところ。
自分が納得できるものしか受け入れられず、また、人とのコミュニケーションが上手くできないところ。
彼が主人公として取りあげられているのは、彼の抱えている問題は彼だけのものではないからだ。
それは、9.11を体験した全ての者に共通するものだ。

それを簡単にトラウマと呼ぶのは容易い。
あるいはそれを自閉症と呼ぶと、我々は安全に感じるかもしれない。
オスカー固有の問題として閉じてしまえば、観客は自分とは関係ない物語として「楽しむ」ことができるからだ。
けれども、そうではない。
この映画をもう少し捉え直しするとすれば、それは「自分の感情をことばにする」物語である。
この映画の大きなテーマに、少年が「最悪の日」に何が起こったのかを誰かに話すということがある。
少年は様々な人に出会う度に、このように問いかける。

「今まで誰にも言ってなかったことを、あなたに話しても良いか」と。

オスカーは、理路整然と世界を見てきた。
理性によって世界を説明しながら、納得するまで受け入れること自体を拒否してきた。
だから、人と関わるのに時間がかかるし、納得しなければそれは受け入れるべきでないと恐怖を感じてきた。
彼には不安材料が多いが、それは理不尽なものを受け入れることを拒んだ結果である。

しかし、突然彼は理不尽な、理解できないことが起こり、最愛の父親を亡くす。
死んでしまったどうしようもない出来事を、どのように納得し受け入れていくべきかを彼は見出せないでいる。
だから、太陽が失われて、その後地球にそれが知れるまでの8分間を伸ばそうと旅に出る。
則ち、父親を失って、それが自分で納得できるまでの時間を延ばしたい、父親の死を受けれたくないと冒険を始める。

彼にとって冒険は、父親を乗り越えるための通過儀礼なのだ。
様々な人を通して、少年は自分の想いを口にすることを覚える。
物語化して、語ると言うことは、自分の中で悲しみを悲しみとして包装紙でくるむということだ。
誰かにことばでその悲しみを渡すことで、自分の想いを整理していく。
物語にすることで、「過去」にして父親の死を受け取る。
留守番電話を誰にも聞かせることができないというのは、誰にも分け与えることができない悲しみの真っ直中にいるということを意味する。
過去を少しずつ、辛い現実を少しずつ誰かに分け与えることで、理不尽な出来事を直視することが出来る。
語るべきことばを彼は探しつづけていた。
直面した事態に言葉という理性で表現し切れなかったオスカーは、冒険することでようやく自分に起こった出来事を語るのだ。
オスカーが自分を語ることばを獲得する物語。

だから、彼が行き着く答えは、答えではなかった。
それはあらゆる偶然が重なってできた、謎にすぎなかった。
貸金庫の鍵の中身は、結局からっぽだったのだ。
そう、父親が死んでしまったことを悲しむための、あの棺のように。
悲しみは悲しみとして受け取る以外に方法はない、そのことに少年はようやく気づく。
しかし、そこには「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」愛があった。
それは悲しみとほとんど同義のものであり、彼が恐れていたすべてのものと同義だった。
タイトルは、アスペルガー症候群の患者が他者に感じる不安を表現したものだという(パンフレットより)。

この物語が、東日本大震災を経験した僕たち日本人にとって重すぎるのは、この映画の公開時期と関係している。
この物語を、アメリカ人が物語として受け取るまでに実に10年を要した。
この映画の舞台は10年も前の話だが、それを映画化してオスカー候補になるまで10年かかったのだ。
僕たちは、東日本大震災という未曾有の悲しみを、何年経てば物語として包み紙にくるみ、誰かに語ることができるのだろう。
言いようのないこの理不尽な悲しみを、明日も、明後日も、10年も同じ顔ぶれで暮らすことができると信じた、あの失われた未来をどのように、受け取ればよいのだろう。

この映画が、僕たち日本人の悲しみを癒すだって?
僕たちが本当にこの映画と共感するにはあと9年も時間が必要だろう。
いや、10年経てば、僕たちはこの理不尽を乗り越えられるだろうか。
僕はいまでもあのテロの映像をありありと覚えている。
僕の心をとらえて離さない。
知り合いが一人もいない、アメリカについてそう感じるのだ。
まして、この津波がもたらした悲しみを、そう簡単に物語にできるなんて、とても思えない。


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