secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ダイハード(V)

2008-12-21 16:02:29 | 映画(た)
評価点:83点/1988年/アメリカ

監督:ジョン・マクティアナン

ブルース・ウィリスを一流の映画役者にした作品。

クリスマスの夜、ナカトミ・ビルがテロリストに占拠された。
パーティーのために訪れていた人々が全員人質になってしまう。
しかし、妻の誘いでパーティーに来ていた、ニューヨーク市警のマクレーン(ブルース・ウィリス)は、部屋の中に居たため、逃れた。
かくして、彼はたった一人、テロリストに挑むことになった。

「ダイ・ハード」シリーズでは、個人的に一番好きな作品。
閉鎖的な絶体絶命の状況が大好きだからである。
特に靴を履いていないので敵の靴を自分の足に合わせるシーンや、敵の銃を自分のものにしていく過程など、アクション好きの僕には堪らない。

テレビで幾度となくやっているが、どうしても見てしまう映画の一つ。
ブルース・ウィリスの株が上がった作品であることも肯ける。

▼以下はネタバレあり▼

普段はあまりぱっとしない警察官が、大きな危機に直面したとき「ヒーロー」になって、活躍するという設定がおもしろく、また時代に合っていた。
一見バカな面を見せたと思ったら、頭をつかって犯人を追い詰めていく。
このヒーロー像が観ているものを非日常の世界に連れて行ってくれる。

この映画のうまさは、テロリスト側の描き方にある。
(註:厳密に言えば彼らはテロリストではないが、分かりやすいのでテロリストと呼ぶ。)
テロリストの動きを丁寧に描くため、「戦う相手」を観客が仮想しやすくなる。
よって、閉鎖的で絶体絶命の危機をマクレーンと共に戦うことができるのである。
ちなみに、これに失敗した日本映画は「ホワイト・アウト」である。
敵を仮想できなかったため、テロリストが占拠したということの「混乱」しか感じられない。

また「ダイ・ハード」では、敵の計画の全貌はみせない。
タカギ社長を殺した段階で、「お金が目的」ということは分かるが、なぜあれだけのC4爆弾と信管が必要なのか、わからない。
それが、サスペンス効果と、テロリストへの恐怖という効果を生み出している。
見えないということは、怖いという感情を呼び起こすのである。
逆に見えているテロリストの「焦り」によって、少しずつ事件解決に向けて進んでいるという手ごたえを感じることもできる。

そのバランスの妙によって、ナカトミ・ビルのみならず、映画館(あるいはテレビのある部屋)までを、閉鎖的な環境にすることに成功しているのである。

他方、感情移入という意味においては、マクレーン一家が典型的なアメリカの家族であることも大きい。
夫は仕事仕事で家庭を顧みない。
妻は、自立を求めキャリアウーマンを目指す。
子どもはベビーシッターにあずけられている。
こうした家庭は、当時のアメリカ(今は知らないけれど)を象徴する家庭である。

その意味で、ラスト、テロリストのボス、ハンスが死に際妻の腕をつかみ、それを必死に振りほどこうとしてもらったばかりのロレックスの腕時計を捨ててしまうシーンは、重要である。
このシーンは、名誉や金ばかりではなく、家庭が大切なのだ、という強い決意の表れである。
人間関係の強さを表わしていると言ってもいいだろう。
だから、次の「対日本」というコードも読めてくる。

この映画は、日本を意識した映画でもある。
占拠されるナカトミ・ビルは日本人系列のビルであり、マクレーンが「素足はストレス解消になる」というアドヴァイスを受けるのも、日本人から学んだうんちくだ。
ナカトミビルを占拠したテロリストの目的が、お金だったことも、当時の日本人を象徴的に描いている。
これまで黒人対白人の構図が映画に見られたが、この映画はアメリカ対日本という構図がもろに表われいる。
次回作の2、3になってその構図が、全く見られないという事実も、それを裏付けているだろう。
つまりは、高度成長期にあった日本を「目障り」に感じていたアメリカが、90年代以降持ち直していったという背景があるのだ。

蛇足だが、アメリカ映画はとくにこうした思想的な背景や、経済的、社会的な背景を映画に用いるのが好きだ。
やたらとテロリストが90年代後半敵として登場するのも大きな戦争が起こっていない(アメリカ人にとって)時期であり、むしろ悪の対象としては、敵にしやすいテロリストを主人公の相手に置いたほうが、「売れる」のだろう。
最近は、退役軍人、日常に潜む犯人等、様々な敵が登場するのも明確な敵がいないというアメリカ人の心情を表わしている。
7、80年代は言うまでもなく、ソ連などの社会主義国家(ベトナム戦争等)が多い。

要するに、ラストのロレックスは、「俺たちは日本人とは違うぜ!」ということを、主張しているのである。
「2」でまた冷え切った関係に戻っているのは、リアルで笑えるのだが。

ステレオ・タイプだが、頭の悪い操作指揮官や、教科書どおりに動くFBI、ドーナツ大好きなポリスマンなどのキャラクターも大好きだ。
彼らの必要以上とも思えるデフォルメのされかたは、これまた、アメリカ映画の典型だと言えるだろう。

(2004/9/24執筆)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 28日後…(V) | トップ | 天空の城ラピュタ(V) »

コメントを投稿

映画(た)」カテゴリの最新記事