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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

SAW4(V)

2009-05-20 18:36:25 | 映画(さ)
評価点:41点/2007年/アメリカ

監督:ダーレン・リン・バウズマン

シリーズ当初の哲学はどこへいった?

ジグソウ(トビン・ベル)が死に、その死体が解剖質に運ばれた。
頭を切開し、胃を切り開くと、中からカセットテープが。
「これでゲームは終わりだと思っているだろうが、そうはいかない…」
前作で殺された女刑事ケリーの死体が発見される。
SWATのリッグ(リリク・ベント)は犠牲者が増えるに我慢ならない様子だった。
そんな彼にゲームが用意される。
これまで失踪中だったエリック・マシューズ刑事(「」の被害者)と、ホフマン刑事(コスタス・マンディロア)を90分以内に助けたければ、ゲームに参加しろ、という内容だった。
同じ頃、FBIのストラム捜査官(スコット・パターソン)は相棒(アシーナ・カーカニス)とともに、ジグソウの手がかりを探し、元妻のジル(ベッツィ・ラッセル)を見つけるが。

人気グログロサスペンス第4弾。
もはやここまでくると、惰性で観ている人間が増えているのだろう。
内容よりも、ジグソウという真犯人が死んだ今、どうやって話を続けるのだろうという脚本家の苦心を楽しむような映画になりつつある。
一作目は思いっきりサディスティックな映画だったが、今ではもはや「続けられるわけないだろう、こんな設定で!」という悲鳴さえ聞こえてきそうな、脚本家のマゾヒズム漂う映画である。

」まで観ると、期待うんぬん、出来うんぬんよりも、観ないといけない義務感が強いというものだ。
前作までで死んでしまったジグソウが、どんなトリックを仕掛けてくるのか、それだけが見所であり、もはや初心者お断りは暗黙の了解となった。
おそらく、一作目からは鑑賞者は激減していると思われるが、あえてここは観ておこう。
という、高い志の元、以下に批評を書く。

▼以下はネタバレあり▼

上に書いたリード文からもわかるように、全くおもしろくない。
一作目にあった良さは、もはや見る影もない。
とにかく惰性で金づるを逃すまいとする制作者の志の低さが見え隠れする作品になってしまった。
もういい加減に違うシリーズでもうけることを考えた方がいいんじゃない?
あんた、若いんだから。
「エヴァ」でしつこく儲けようとする誰かと変わらないような気がする。
まあ、僕は両方ともにそれに乗っかっているんですけどね。とほほ。

それはおいておいて、この映画もシリーズ同様、グロテスクな描写とミスディレクションの裏切りという二本柱で成り立っている。
今回のテーマは、「救えない人間は救えない。自力で何とかするものだ」というもの。
その考えを被害者(ゲームプレイヤーと呼べばいいのか?)に示すために組まれている。

グロテスクな描写は、前作よりもさらにパワーダウンしてしまっている。
おそらく、グロテスクという演出をどこかではき違えてしまっている感がある。
このシリーズのグロテスクさは、人体の中身をのぞくような痛みではない。
痛みを自分で選ばなければならないという種類の臨場感によるグロテスクさだ。
左目をえぐって解毒剤とか、ビーカーの中の硫酸に手を突っ込んで鍵を開けるとか、足を切断した上で知らない人間を殺すとか。
これらのシチュエーションに加えて、その描写があまりにも残酷で、どこまでも描くために、観る者は痛みを感じるのだ。

だが、前作あたりから、「人体の中身をのぞいてみよう!」的な生物実験のような描写によって怖さを演出している。
端的なのは、ジグソウの解剖現場。
これは映画のテーマから言っても、本当にどうでも良いシーンなのに、あえて克明に記録しようとする。
チーム・バチスタの栄光」もびっくりのリアルな解剖現場である。
勘違いも甚だしい。

もう一つ、第4作を象徴するのは、ラストの人質エリック・マシューズが死んでしまうシーン。
落ちを確認するために何度か見直したのだが、彼が死ぬシーンは本当に痛くない。
だって、一瞬で顔が吹っ飛ぶのだから、痛いはずがない。
しかも、その仕掛けがわかりにくいから、どうなるのか予想しにくいから、前もっての恐怖も薄い。
ラストのカタルシスにもつながる重要なシーンだけに、もったいない。
というか、もはやこれだけ「痛い」シーンを外しているということは、「SAW」シリーズのコンセプトを失ってしまったと言っても過言ではない。
」も「4」も、かなり安心して観てしまった自分がいた。
これは僕が痛さに麻痺してしまっているからだけではないだろう。
明らかなパワーダウンだ。

サスペンスとしても、すっかり色あせてしまった感はますます増大する。
今回の落ちは、二作目と非常によく似ている
観客は冒頭の解剖シーンを観ているため、時間軸が混乱している。
つまり、刑事が胃の中のテープを聴いているのが、一番後に起こったことで、前作と本作とが同時並行で進んでいるという設定だ。
90分少々という時間制限は、「3」のジグソウの頭パッカリ手術をしている時間と重なっていたわけだ。

元妻のジルを追い詰めるシーンや、ホフマン刑事が捕まっているあたりから、ミスディレクションを起こしてしまうように仕組まれていたわけだ。
だが、この仕掛けは、すでに撮られていた映像を観せられる、という「2」の落ちと同種のものだ。
だから、多くの人が違和感を持ちながら、観ていたはずだ。
ミスディレクションとは言い難いような、バレバレの伏線だったわけだ。
とはいうものの、僕は中盤以降まで気づかなかったわけですが。

しかし、ミスディレクションの醍醐味であるミスリードが弱いことは確かだ。
やられた感が少ないのは、ミスリードしていこうとする先が見えないからだ。
一作目の良さが影を潜めてしまったと感じる理由はここにある。

もう一つの真相は、ホフマン刑事が実は後継者だったということだ。
ラストに伏線をもう一度見せるという「言い訳」のような演出で、説明してくれている。
だが、納得できまい。

たぶん日本人にとって大きな不利は、「だれがだれなのか区別できない」ということだろう。
時間軸のトリックにしても、後継者にしても、ホフマンやら、マシューズやら、ストラム捜査官やら、似たような白人が多すぎて、区別がつかない。
リッグがかろうじて区別ができるのは黒人だからだ。
だから、余計に混乱してしまって、謎を解くどころの騒ぎじゃない。

納得できない次の理由は深刻だ。
ホフマンの人間性(動機)が全く説明されていないために、納得できないのだ。
なぜ彼なのか。
どうやってジグソウに近づいたのか。
前作で死亡したアマンダはどうやらホフマンのことを知らされていなかったようだ。
本作の計画もおそらく知らなかったのだろう。
それは前作であまり信用されていなかったことからも理解できる。
だが、それにしても彼が犯人である動機が不明確であるから納得できない。

動機なんて重要なファクターではない、と言われればそうかもしれない。
だが、動機が重要だと思わせるように、ジグソウの内面に迫るような展開にしている。
ジルを出してきて、流産してしまうことがジグソウを変えてしまったことを説明したり、どんどん人間性が変化してしまった裏側を見せてしまった。
完全な蛇足ではないかと僕は思うが、それでもそこまで明かしてしまったのだから、当然後継者にもそれなりの設定が必要になってくる。
そうでないと、バランスが悪いし、納得できない。
にもかかわらず、ほとんど彼についての説明がないのだ。

あのラスト(冒頭)のテープは、ホフマンに向けて録音されたものだろう。
あのテープを聞いて、刑事である彼は自身の倫理に合わせて、ゲームを展開することになるのだろうと予想する。(「5」はまだ観ていない)
それにしても、頭をもたげてしまう。

また、落ち自体にも不自然さが残る。
たとえば、ホフマンが後継者だとして、どうやってジグソウの遺体を発見したのだろう。
当然、彼は場所を把握しているとしても、それを自分が犯人ではないように発見することは難しそうだ。
ストラム捜査官の足取りを追った、ということなのかもしれないが、それだと自分が犯人であることがばれてしまう可能性が高いと思われる。
まあ、映画外のことをあれこれ考えても仕方がないのだが、90分という上映時間なのだから、そのあたりの説明を入れておいても良かった気がする、

この映画のテーマは、「救えない人間は救えない。自力で何とかするものだ」だった。
その意味では常識的であり、道徳的でさえある。
だが、その御旗に比べて、それぞれの人間性をえぐり出そうとする描写は少ない。
ゲームを起こしていくことが先にあって、そしてトリックを仕掛けることが先にあって、そのピースに合うようにキャラクターが割り当てられた印象だ。
要するに、人間不在なのだ。
だから、物語そのものがどこか空虚で空々しいように感じてしまう。

こんなにおもしろい映画が撮れるのだから、そろそろ新シリーズに行こうよ。ねえ。

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