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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ

2019-07-03 13:45:22 | 映画(か)
評価点:80点/2019年/アメリカ/132分

監督・脚本:マイケル・ドハティ

マンガ的、プロレス的。

前作「ゴジラ」の襲来から5年、そのとき息子を喪った研究者エマ・ラッセル(ヴェラ・ファミーガ)は、あらたに見つかった巨大生物(タイタン)たちを注意深く監視していた。
離婚してしまった元夫のマーク(カイル・チャンドラー)とは疎遠になったままだった。
彼女はタイタンたちとコミュニケーションできる周波数を見つける、オルカという装置を完成させた。
そこへ、研究チームから連絡があり、モスラが孵化しようとしていることを知る。
エマはその現場へ向かい、生まれたばかりのモスラをオルカによっておとなしくさせることに成功する。
しかし、そこに武装集団が現れ、二人と共にオルカが盗まれてしまう。

前作から5年が経ち、ほとんど設定をわすれた私が映画館に向かった。
公開から日にちが経ち、字幕2Dで観た。

あまり前作を覚えていなかったが、それでもこの映画は十分理解できるだろう。
「ゴジラ」で育った昭和の人なら、きっと満足して映画館を後にできるはずだ。
今の若い人たちがこの映画を観て熱くなれるかどうかは正直わからない。
けれども、待ち望んでいた「ゴジラのハリウッド化」はきちんとした姿で実現されたといってよいだろう。

あり得ない世界をあり得るかもしれないと思わせる映像技術は、やはり感服する。

▼以下はネタバレあり▼

大きすぎる生き物を、どのように説得力あるように見せるのか。
ありえない世界観にどのように観客を引き込んでいくのか。
「ゴジラ」という作品を映画化するには、実はかなりのハードルがある。
前作のときにも書いたが、問題は「ゴジラらしさ」よりも、おもしろいかどうかだ。
大きい生物が暴れるだけであれば、他の映画でもいい。
そうではなく、おもしろい「ゴジラ」が観たいのだ。

果たしてそれは実現された。

人間の物語がしっかりと描けたということが、この映画のすべてだ。
息子を喪ったことによって父親は酒に溺れ、自然に紛れることで忘れようとした。
母親は息子が死んでしまった意味を、巨視的な目で捉えようとした。
そして、自然の意思を捉えることが、息子が死んでしまった意味として肯定しようとした。
大いなる世界の意思を、体現したのが息子の死であればそれは、しかたがないことだとして受け入れることもできよう。

母親が、オルカを完成させたことによって、テロリストに加担する首謀者だった。
このプロットが見つかった時点で、この映画は成功だった。
このゆがみが、この悲しみが、物語に説得力を与えた。
完成した日に、いきなりモスラが生まれて、都合良くそこに武装集団が乗り込んでくる。
あまりにできすぎだが、そこは目をつぶってしまう。

モナークがやたらと糾弾されているわりには巨額の設備投資がされているとか、モナークの指令戦闘機がでかいくせに性能が良すぎるとか、モナークの研究者がよほど科学者とは思えぬ非科学的なことを根拠にもってくるとか。
そういう揚げ足取りを気にしなくなるほど、物語は熱く燃えたぎっていく。

視点が小から大へ、個から全体へと移っていくことで、あり得ない生物たちが有り得る脅威となって画面に現れる。
台詞がことごとく非科学的だが、それを信じる以外にないようなあり得ない事態が次々と起こっていく。
キングギドラとゴジラの闘いは、ほとんどプロレスだ。
そう、プロレスが全盛期だった頃の世界で、「ゴジラ」が映画として成功させたのだから、当然だ。
そのあたりの理解がすばらしすぎる。

ほとんど人間が出る幕がないほど、ゴジラが巨大化し、キングギドラが凶悪化している。
だから、ほんとうなら荒唐無稽にすぎないのに、それを見事に説得力ある闘いに見せてしまった。
おそらく「ゴジラ」が昭和に映画化されたときと、同じ説得力をもって現代に蘇ったといっていい。
だから、この映画はすごいのだ。

アメリカ人たちはどのくらいこの映画に魅力を感じてくれたのだろうか。

特筆すべきはチャン・ツィイーだ。
今回は全く目立たない端役を演じている。
パンフレットをみるまで、だれか見当も付かなかった。
容姿だけではない、息の長い役者になってほしいものだ。


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