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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

千年女優(V)

2008-10-12 23:43:35 | 映画(さ)
評価点:86点/2002年/日本

監督:今敏

世界で評価の高いアニメ作品。

映画制作会社の立花は、昔スタジオで拾った鍵を返すために、また、映画会社の設立70周年記念として、女優の藤原千代子を取材する。
それまで取材を拒否し続け、ひっそりと暮らしてきた千代子が語り始めたその人生は、「鍵」にまつわる長い恋愛の話だった。

日本ではそれほど話題になっていなかったようだ。
しかし、海外からの評判が高い事から、逆輸入のようなかたちで、再評価されはじめている映画、と紹介して問題はないだろう。

これは、かなり完成度が高い映画だと思う。
また、アニメという表現媒体の特徴をつかんでいる作品でもある。
同じ監督の「東京ゴッド・ファーザーズ」もみたいと思う。

▼以下はネタバレあり▼

冒頭、いきなり宇宙へ行く女性をひきとめるシーンから始まる。
そしてカメラが引いていくと、それがディスプレイ(画面)であることがわかる。
巻き戻されていく画面は、やがてタイトルロゴの「千年女優」があらわれる。

この冒頭は、メタ・フィクション的で、つまりは「物語を撮ることを撮る」という
作品の構造をみせている。
それは、「聞き手」として参加する取材の二人を、彼女の回想に登場させることにも通じている。
(彼らは単なる聞き手ではなく、確実に彼女の「人生」に踏み込んでいるのである。)
冒頭が、やがて千代子の回想と重なっていく事で、「ただの回想」ではなく、そこに人生や女優、そしてそれら全てを「恋」にささげつづけた千代子の生き方を浮かび上がらせるのである。
言い換えれば、千代子の生きている現在と、彼女が経験した過去、このふたつを織り交ぜることで、千代子の人生を「生」のものとして語らせるのである。

この物語の一つの大きなファクターとして「月」と「鍵」がある。
「鍵」は、千代子が名もわからぬ絵描きから「あずかった」ものである。
これを手に、彼女はずっと彼を探し続けるのである。
それは、思い出という記憶を呼び起こす「鍵」でもあり、そして大切なものを開けるための「鍵」でもある。
ここでは、それだけの意味ではない。
そもそも、鍵とは大切なものを「守る」ためのものであり、もっと言えば、「閉める」ためのものでもある。
この鍵に象徴されているのは、「開けるための鍵」と、持っている限り「開けられない(=閉まったままの)鍵」ということである。
つまり、この鍵をもつ、握り締め続けている彼女は、絶対に彼に会う事ができないのである。

それは回想のはじめ、絵描きの月の話に共通している。
「15夜には欠けていくだけだが、14夜の月には明日がある」
この台詞は、その後の千代子の人生を暗示している。
つまり、永遠に満ち続ける月なのである。
永遠に「彼」へと向かう人生なのである。
それは映画の看板娘として輝きを放ち、人々を魅了し続けるが、「絶対に満ちない」人生である。
逆に言えば、満ちないからこそ、「彼女は歳をとらん(立花)」ということになる。
(立花にとっても、この話は「恋物語」であったことを忘れてはならない。
インタビューと称して彼女の回想に立ち会っていくのは、「立花の思い出(恋)」という構造もあるからだ)
彼女は死の間際、月から宇宙へと飛び立つ。
それは14夜の月を離れるということに他ならない。
彼女は、14夜の月を離れることで死ぬ事が出来るのである。
この「月」の運命と、「鍵」の宿命。
彼女にとって、それは幸福であったのだろうか、それもと呪縛であったのだろうか。

彼女の人生は、その成就しない恋愛の人生であった。
それを「千年」という長い期間を演じ続ける「女優」として描いた事はおもしろい。
戦国時代から江戸、明治維新、大正、戦前戦後、昭和、そして未来。
「千年女優」
永すぎる彼女の旅(人生)を表わすのに、これほどうまい言い方はない。

戦国時代の姫を演じているときに登場した、憑き物は、現在の彼女の呪縛ではないかと僕は読んだ。
彼女は、今の自分自身から過去の自分自身へ呪縛を与えたのだ。
それは彼女の人生を自ら説明するためであり、また、「醜い自分を彼にみせたくなかった」という物語終盤の彼女の台詞が理由だろう。

もちろん、惜しい点もある。
例えば、千代子が絵描きに出会った後、憲兵に誤った道を教える。
その後神社の柵(?)を上って絵描きに会いに行くカットでは、当然ついているはずの絵描きが上った跡がない。
また、空襲の焼夷弾。
焼夷弾は、あんな爆弾のようには爆発しない。
あの場面は、時代性を出すためには焼夷弾でなければならないはずである。

しかし、これほど細かい部分が気になるということが、逆に画の描き込みが緻密であることを示している。
焦燥感をあおる音楽もすばらしい。

はじめに、「アニメという表現媒体の特徴をつかんでいる」と書いたが、このストーリー、この演出はアニメでなければできなかっただろう。
回想のシーンで、彼女や彼女に直接関わる人物しか「動かない」。
それは、まぎれもなく回想であるからであり、千代子が語る彼女の思い出に関わらないものは、雰囲気のみで文字通り「色あせている」のである。
この演出は巧みである。

アニメ映画史のなかでも、名作として残る作品ではないか。

(2004/3/15執筆)

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