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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ロリータ(V)

2008-06-01 10:56:01 | 映画(ら)
評価点:78点/1997年/アメリカ

監督:エイドリアン・ライン

キューブリック監督作をエイドリアン・ラインがリメイクした
危険な男女の関係を描いた作品。

1947年、ニューイングランド。
大学教授のハンバート(ジェレミー・アイアンズ)は、
大学の講義が始まる前にテキストの執筆のために田舎にやってきた。
しかし当てにしていた知人の家が全焼し
近くにあった未亡人の家に居候することになった。
あまりの荒廃ぶりに一時ニューヨークに帰ろうと考えたハンバートだが、
未亡人シャーロットの娘ドロレスに瞳を奪われる。
シャーロットは彼に恋し、ドロレスが学校に入寮すると同時に求婚する。
彼はそれに応じ、2人だけの生活が始まる。
しかし彼の日記をみたシャーロットは
彼のドロレスへの恋心に気づき自殺してしまう。

▼以下はネタバレあり▼

タイトルほど(?)中身はやらしくない。
別にそういう内容を期待して観たわけではないけれど。
むしろ主人公の異常性がとても嫌悪感を誘う。
主人公が台詞で「ある種の芸術家たちにはわかる小悪魔のような魅力を持っていた」
とあるけど、かなり歪んでいる愛だ。
完成度としては高いが、一般人にとってはなんらかの嫌悪感を呼び起こす映画であることは間違いないだろう。

タイトルからみれば、エロス全開の映画のように先入観を持ってしまうが、どちらかというと文学的な官能美をテーマにしているだろう。
いわゆるエンターテイメント的な面白さではなく、人間の異常性や、文学的なゆがみを感じさせるような面白さがある。

冒頭で主人公が車に乗ってゆらゆらしている。
そして回想が始まるが、映画としての同化効果を生み出すために、主人公のナレーションが入る。これは結構重要な要素である。
彼のこの「告白」がなければ、きっと誰も彼を理解することはなかっただろう。
彼が文学的な価値を認識できる種類の人間である。
しかし普通の人はそういった感覚が鈍く、それに触れたとしてもその価値を認めることができないものだ。
だから彼の告白は映画の成立条件として重要な要素になっている。

また中ほどのナレーションで「女性陪審員のみなさん」という呼びかけも巧みだった。
このナレーションにより状況がかなり明確になった。
つまりこの回想、この物語そのものが、裁判の中で語られたものであることが判るからである。
そして同時に物語世界の中に観客を引き込み、「女性陪審員」として彼の回想を聞くことができるのだ。
また、サスペンス効果も発揮する。
つまり、なぜ裁判でドロレスとの関係を詳細に語っているのかという新たな疑問が生まれるのだ。
これがキルティ殺害への伏線になるのだ。

そして狂気的な魅力に誘われていく過程で少女と関係を持つが、そのシーンを具体的に見せなかったこともプラスに働いている。
あくまでこの映画は、少女の魅力にとりつかれた男を描いているのであって、
少女との具体的なエロスではないのだ。ここに監督の意図が明確に表れている。
彼女の魅力を引き出すようなアングルで撮り続ける一方、それは性的な魅力ではないのである。
むしろ性的な魅力を超えたところに彼は恍惚感を覚えたのであろう。

とはいえ、ハンバートの感じたことをそのまま感覚的に理解することは難しい。
観客がどうしても彼に感情移入をできないとしたら、彼の歪んだ嗜好についていけないということだろう。
でも彼を単なる異常者として見るのは良くないと思う。
ある種の感覚が優れた人は、そうした魅力を見抜くことができるということはあると思う。
それは確かに異常だが、人間の本質的な部分に深く関わっているからだ。
個人的には原作を読んでもいいかな、と思う。

ちなみによくロリコンとかロリータ・コンプレックスとか言われる言葉は、この原作のウラジミール・ナボコフの小説から来ている。
今では卑猥な使われ方をしているが、本当はもっと奥深いものであることが、この映画を観てわかった。
川端康成の小説でも読もうかと思う。

(2003/02/06執筆)

実はこの映画を鑑賞した後、原作を読んでみた。
すごくだらだらと進む作品で、映画のほうが、その魅力を上手く伝えているように感じた。
原作だけで較べるなら、僕は「痴人の愛」のほうが好きだな。

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