secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

トランスフォーマー・リベンジ

2009-07-12 11:23:08 | 映画(た)
評価点:47点/2009年/アメリカ

監督:マイケル・ベイ

良くも悪くもアメリカンサイズのハンバーガーのような映画。

前作の危機を脱したサム(シャイア・ラブーフ)は、日常に戻り大学生活をエンジョイしようとしていた。
東海岸の大学まで下宿することになった彼は、愛車のバンブルビーとミカエラ(ミーガン・フォックス)と別れを告げた。
オートボットたちは、アメリカ軍と秘密裏にディセプティコンの残党を駆るミッションをこなしていた。
上海で見つけたディセプティコンは死ぬ間際に敵の復活を示唆した。
気になるオプティマス・プライムは真相を確かめようとするが、アメリカ政府はオートボットに責任があるのではないかと疑い、彼らを更迭しようと動き出す。
そんな中、東海岸へ向かおうとしたサムのポケットからキューブのかけらが見つかり、ディセプティコンたちは彼を密かにつけ始める……。

待望の第二弾。
キャスティングがほとんど変わらなかったことが、この映画の制作者たちからの愛情と金銭的な期待の高さを伺わせる。
前作の、日本のオリジナルを愛そうとした態度に僕たち日本人も大きな感銘を受けた。
とうぜん、観客にとっても、期待が高まるばかりである。
この夏前半の期待の作品といって申し分ない。
ターミネーター4」のパンフレットにも注釈として登場するなど、配給会社や劇場の人たちまで巻き込んだ、様々な渦を生み出している。

観たのは少し前で、もう公開も落ち着いてきたところだ。
はてさて、その期待に応えることができたのか。
観に行った人は、わかっているはずですね。

▼以下はネタバレあり▼

たとえるなら、こんな話になるだろう。
ディナーを食べに行くと、前菜からいきなりステーキが出てきてびっくり。
少しうれしいな、と思っていると、二皿目も、また同じようなステーキが出てくる。
さらに、メインディッシュは、魚かな、と期待しつつも、やっぱりステーキ。
さらにさらに、デザートまで肉厚なステーキが出てきてしまった。

そんな映画だ。
要するに、見せ場しかない、本当に胃が痛くなるような映画なのだ。

A級映画の駄作の象徴、もしくは手本の映画のような作品だ。
ストーリーの軸が多すぎて、何が主たるものなのか、一口で言えないほど盛りだくさんなのだ。
タイトルにある「リベンジ」だけで物語を完結させるのならもっとおもしろみも生まれたかもしれないが、あらゆる要素を欲張りに取り込んでしまった印象をぬぐえない。
何度もステーキが出てくるから、次もまたステーキかと不安になるほどだ。
ディセプティコンの陰謀、オートボットとの歴史、サムの恋模様、キューブに隠されたもう一つの知識、プライムの運命などなど、もう複雑すぎて、ストーリーの方向性がわからない。

見せ場ばかりのアクションも、ストーリーの方向性のなさに影響されてか、とらえどころのないものばかりだ。
かつてない壮絶なアクションだが、かつてなさすぎて、どうなっているのかよくわからない。
まるで「マトリックス・レボリューションズ」を観ているときのような、観客置き去りアクションばかりだ。
一緒に戦っていると感じられた前作とは全く質を異にしている。
量が増えたことも確かだが、とらえどころがないという意味では、質の変化の方が、決定的なのかもしれない。

それもそのはずだ。
その前作との大きな違いは、「トランスフォーマーしない」ことだ。
トランスフォーマーとは、ただ形を変えるだけではない。
日常にあふれている機械が、意志を持って変形し、戦うというところにおもしろみがある。
だから、日常をしっかりと描かないと、変形のおもしろさや、その後のアクションもおもしろいとは感じられないのだ。
本当にただロボットが暴れ回る映画になってしまっている。

前作では、俺の軽自動車ももしかしたら変形するかも、という期待と夢をふくらませた。
本作ではそれは全く感じさせない。
なぜなら、変形しないからだ。
これはわかると思うが、完全に、そして決定的に、致命的な変化だ。
ロボットだけがばりばり戦うなら、「トランスフォーマー」というタイトルも設定も必要ないからだ。

それがもっとも象徴的なのは、冒頭の上海での決戦だ。
上海という非日常的な(アメリカ人にとって)空間で、息つく暇もなく登場と同時に変形するディセプティコンは、全く僕たちに感情の余地を与えない。
戦っている機械が、どのようなマシンなのか、理解できない。
冒頭いきなり、このシーンを持ってくる意図は、上海でロケをしたかった以外に考えにくいのだ。
冒頭という大切なシーンに、変形を持ってこれなかったことが、この映画を失敗作に仕立てあげてしまった一つの要因だろう。

その後の戦いも、特にラストの戦いでは、ほとんどはロボットのまま戦う。
前作のカーチェイスもなくなり、パトカーがおそってくることもない。
これでは、おもしろいはずがない。

また、マシンという設定よりも、エイリアンという色合いのほうが濃くなってしまったことも、魅力を減退させた。
エイリアン」を彷彿とさせる卵のシーンや、擬態よりも、生命感あふれるその容姿など、設定がぶれてしまっている。
麻生さんかと疑うほどに、設定や軸が前作と変更されている。
説明しすぎたためだと思われる。
どうせなら、そのあたりの細かい設定や歴史性は、ぼかしておいてほしかった。
その方が、次作にもつながるし、説得力も出たはずだ。

オートボットたちの設定を見せまくったわりには、世界観があまりにも矮小だ。
戦っているのは全人類ではなく、アメリカでもなく、アメリカ軍だけだ。
無理にエジプトのピラミッドとかを出すので、余計に世界観が狭い印象を与える。

歴史や設定も、どこかでみたことのあるような、陳腐で、浅薄な設定に過ぎない。
三人の脚本家を集めて、シナリオを書かせた割には、文殊の知恵、というわけにはいかなかったようだ。

とにかく、おもしろくない。
これで観客動員数を確保できると思っているなら、考えが甘すぎる。
けれども、「パールハーバー」といい「アルマゲドン」といい、マイケル・ベイ本来の持ち味を発揮した、と言えなくもない。

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