secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

Shall we dance?

2009-03-20 22:38:15 | 映画(さ)
評価点:65点/2004年/アメリカ

監督:ピーター・チェルソム

恋という秘密をめぐる自己矛盾

ジョン(リチャード・ギア)は、遺言状を専門とする弁護士。
来る日も来る日も遺言状を書き続けていたある日、電車の中からダンス教室の看板を見つける。
突然思い立ったジョンは、電車を飛び下り、入会してしまう。
はじめは、ダンス教室に立っていた女性が目当てだったが、ダンスの面白さに目覚め始めて……。

周防監督の大ヒット映画「Shall we ダンス?」の、ハリウッド・リメイク作品。
最近日本をオリジナル版としたハリウッド・リメイクが流行なところをみると、ハリウッドもネタが尽きてきたんだな~と感傷に浸ってしまう。

日本のファンからすれば、ほとんどまんまじゃん! とか、日本のほうが良かった! とか思うだろう。
だが、僕はこちらのほうから先に観たので、新鮮な気持ちで観られた。
その後で日本オリジナル版も観たが、見た順序が逆であることが、批評にも影響しているかもしれない。
 
▼以下はネタバレあり▼

まず言っておかなければならないことがある。
本作を観た映画館の環境だ。
本作は、よく行くシネコンで観た。
客はそれほど多くなかったが、客層がいつもと違っていた。
年齢層がいつもより上で、夫婦が多かったのだ。
僕が座ったところがよくなかった。
後の中年バカ夫婦が、映画館を御茶の間と勘違いしているような、マナー無視の悪客だった。
全てのシーンに関して、「ああ、あかんわ」
「ああ、えらいこっちゃ~」などとリアクションを口にする。

しかも小声なので、真前にいる僕らにだけ聞えるように言うので、小さな苛々が蓄積されるかっこうになった。
「うるさいんじゃぼけ! しゃべるんやったら家で観ろ!」
と言おうか、言おうかと思っていると映画が終わってしまった。
はっきり言って、観た環境は良くない。
映画に集中するどころか、胸倉をつかんで殴る想像ばかりしていたので、それがこの批評にも多少影響していると思われる。
それを踏まえて読んでいただきたい。

日本版と大きく違う点は、何と言ってもテーマ。
要するに、映画そのものが持っている根本が、すでに違っている。
シーンも、キャラクターもほとんど同じだが、それでも少しずつ違い、それは全体のテーマそのものが違うことからきている。

はじめに言っておくが、リメイクだからとか、オリジナルのほうが先にできていたからとか言うつもりはない。
リメイクだからといって、テーマが全く同じじゃないといけないとも思わないし、日本映画のアメリカ用の加工は、大いに認めるところだ。
もともと、同じ映画としてみるつもりもない。

ただ、それを差し引いても、日本版のほうが完成度が高い。
それは映画としての完成度であり、オリジナル/リメイクという差異ではない。

作品のテーマに話を戻そう。この作品のテーマは、ずばり、「恋への憧れ」である。
はっきり言って、「ダンス」は場面であり、舞台であり、背景にすぎない。
作品の中心的なことがらは、中年男性が青春時代のようにまた恋がしたい、とあこがれることである。

まず、主人公ジョンのダンスを始める前の心理を整理しておこう。
それは冒頭の妻とのやりとりに如実に表われている。

ジョンの誕生日。
家族に囲まれてバースデーパーティ。
だが、妻は夫に対して「箱に入れるべきプレゼントが見つからない」という。
夫は優しく「ケーキで十分だよ」という。

このシーンにこの映画を通して克服すべき問題が表われている。

要するに、この夫婦、倦怠期を迎えているのだ。
結婚した。
子どももできた。
マイホームもある。
しかし、何かが足りない。
それは、箱に入れるべきプレゼントを見つけられるだけの「距離」である。

人間にとって、うまく付き合っていくだけの距離は不可欠だ。
あまりに遠すぎると、破滅してしまうし、近すぎると全てが日常化してしまい、空気のようになってしまう。

ジョンとビヴァリー(スーザンサランドン)とは、まさに近すぎる、完全に日常化してしまった夫婦なのだ。
だから、夫は恋に恋焦がれる。
もちろん、その対象は他人であるジェニファー・ロペスになるのだ。
ダンスを通して、彼はポリーナに恋をする。

だが、ポリーナは見事に彼を振ってみせる。
振られたジョンは、ダンスにのめりこむことになる。

一方、妻の方は、倦怠期に陥っている夫が浮気をしたのではないかと、探偵を雇う。
探偵は彼女に告げる。
「夫は毎週水曜日の夜、ダンスに明け暮れている」と。

これで離婚にはならない。
結果的には、これでよかったのだ。
なぜなら、ダンスができる夫は、夫婦にとって非日常的なことであり、結婚生活で再び「恋」をすることができるようになったから。

ダンスという日ごろ縁遠いものに触れることで、高校時代を思い出すように、再び夫婦は恋ができるようになったのだ。
それは、ダンス教室入門の台詞にもある。
「経験は?」
「ダンスなんて高校の卒業パーティ以来です」

倦怠期が訪れた夫婦の夫は、ティーンエージャーのころの、恋心を再燃させようと、高校時代以来のダンスに没頭するのだ。

かくして彼らは結婚生活に恋を再び見出すことに成功する。
その証拠に、カッコよくギアがバラをもってやってくる。
それはまさに「恋人時代」のころの演出ではないか。
箱に入れるべきプレゼントも、見つけることができた。
全ては、ダンスという妻に対しての秘密を抱えることに成功したからである。

「こっそりダンスレッスンを受ける」理由はそこにあるのだ。
「あなたって意外に……」という点を再び見出すために、ダンスを始める。

しかし、ここまで書けばあなたは気づくだろう。
そうなのだ。
二人でダンスしはじめたら駄目なのだ。
あくまでダンスが非日常的なイベントであるから、恋を見出し、倦怠が避けられるのだ。
二人でダンス教室に通い始めるラストは、新たな倦怠に他ならない。
ダンスもまた日常化して、恋も冷めてしまう。
彼は再び探し始めなければならない。
妻に対しての秘密という名の恋を。

ラストのダンスでカタルシスに欠ける理由はそこにある。
夫婦がダンスにはまり始めた瞬間、それは新たな問題を含んでいることに他ならない。
次はどうするのか、という不安が、無意識に観客を襲うのだ。

この映画は、恋を探す物語なのだ。

ラストは答えが出ているように見える。
だが、それは新たな問いしか発していない。
「Shall we dance? 2」が出るとしたら、アメフトでも始めるジョンが主人公に違いない。

だから、この映画は日本版ほど完成度は高くない。
ラストはあれ以外に終わらせる方法はなかっただろう。
しかし、あのラストは、ストーリー全体が自分で自分の首を絞めていくような、自己矛盾に陥っているのだ。

これによって、意味不明なシーンもある。
オバちゃんが倒れるシーンである。
あのシーンは、日本版には不可欠なシーンだが、テーマが根本的に違うハリウッド版では、完全に宙ぶらりんなシーンになっている。
テーマをまるまる換えるなら、もっと大胆なリメイクが必要だったかもしれない。
「アメリカ人が妻にこっそりダンスをならうという設定に説得力をもたせるのが一番難しかった」という製作者のコメントがあるが、そこがテーマにつながる最も重要な部分ではなかったか。
そこを安易に入れ替えてしまった点に、この映画の面白さを半減させてしまった要因があるように思う。

日本版より優れているところはたくさんある。
テンポの良さ、ダンスの見せ方、ダンス教室の雰囲気の良さなどなど。
リメイクによって、笑いの質が若干変わっている。
その点も、なるほどと思わせる点が多かった。(ゲイの話とかね。)
日本版のリメイクということでけっこう心配していたが、全体としても思ったよりうまく出来ていたと思う。

それでも、非常に微妙にな点でどこかずれているのだ。
そのズレが最後まで気になった。
それは、テーマの改変でミスを犯しているからだろう。

(2005/5/8執筆)

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