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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ヒアアフター

2011-03-18 22:53:04 | 映画(は)
評価点:82点/2010年/アメリカ

監督:クリント・イーストウッド

ここで生きる意味。自分を生きる意味。

フランスの人気キャスターのマリー(セシル・ドゥ・フランス)は東南アジアにおける児童労働の実態を調べるためにスマトラ地方にいた。
朝起きて街を歩いていると、叫び声が聞こえ振り向くと見たこともない波がこちらへ向かっているのが見えた。
波に飲み込まれ、臨死を体験する。
人工呼吸によって一命を取り留めたが、奇妙な感覚が彼女を包んでいた。
サンフランシスコのジョージ(マット・デイモン)は霊能力者として一時期活躍したが、引退していた。
兄が嫌がる彼に無理やり「最後だから」と死者との対話を強要する。
ギリシャ人の男は、彼の才能を本物だと兄に伝えるが…。
ロンドンに住む双子の兄弟は、麻薬に溺れる母を児童福祉の役人から守ろうとしていた。
しかし、兄のジェイソンが母親の薬をもらいに行った際…。

イーストウッドの最新作は、彼があまり撮らないファンタジーだ。
「ヒアアフター」とは、「来世」を意味する。
死を扱った作品はこれまで何度も撮って来たが、「死後」をここまで直接的に描いた作品はなかったように思う。
70を超えてもまだまだぎらぎらしているイーストウッドに注目の作品だ。

主演は「インビクタス」のマット・デイモン。
胡散臭い霊媒師の役を好演している。
この春は話題作が目白押しだが、この作品も見ておいて損はない作品だ。

▼以下はネタバレあり▼

三者の登場人物が織り成すプロットになっている。
時間軸は並列的で時系列どおりなので、「21グラム」などに比べると全く複雑さはない。
おそらく最初の三者の設定を聞いた段階で、話の大まかな流れは読めるだろう。
ロンドン、フランス、サンフランシスコと、海を隔てているのでどのように出会うのか、心配にはなるけれども。

話はとてもシンプルで、ありきたりな話でさえある。
けれども、きっちり映画として成立させているのはさすがだ。
僕はこの映画を「アイデンティティを確立させる物語」と位置づける。
それぞれ三人の人間が邂逅を果たすことで、それぞれの〈課題〉を克服して、自分自身のアイデンティティを確立させる。

パリでキャスターをつとめるマリーはすさまじい体験をする。
それまで社会派のジャーナリストとして一線でやってきた彼女にとってそれは自身の存在を揺るがしかねない出来事だった。
彼女はそれまでに見えなかった向こう側の世界を見えるようになる。
それが何なのか分からずあえいでいるうちに、自分がかつてもっていた地位も揺るぎ始める。
付き合っていたプロデューサーは新しいキャスターとよろしくやっているし、自分のポスターだった広告も新人にとって変わられる。
本を執筆するようになった題名が変わることが象徴的だ。

フランスの元首相を題材にする本を書こうと企画に持ち込むが、いきなり死後の世界へと書く対象を変えてしまう。
明確に彼女の中で「人生のテーマ」が変わったことを意味する。
津波に巻き込まれ臨死体験をすることで彼女の生きる「課題」が変化し、自分を生きることの意味が変わったのだ。
その答えはジョージとロンドンで出会うまで見出せない。

霊媒師として名を成したジョージは相手の全てを死者によって見えてしまう能力を「呪い」と考えていた。
彼が自分を生きることの意味を見出せない様子は、料理教室で出会ったメラニーとのやりとりが全てだ。
彼は手で触れるだけで相手に関係する死者の声が聞こえてくる。
人間として、生身の人間として付き合うには距離を置かなければ付き合えないのだ。
接近してくるメラニーに惹かれながらもどうしても一歩踏み出せないのはそのためだ。
彼女はその能力を試すべく、自分のことを霊視するように求める。

求められるままに彼は「父親が君に許してくれと言っている」と伝えてしまう。
見事なのはそれだけで彼女が父親からかつて性的虐待(あるいは暴力)を受けたことがあると読めることだ。
単なる暴力かもしれないが、そうだとあれほど取り乱さないだろう。
父親と彼女との間に、計り知れない闇が隠されていたのだ。
それを見透かされた彼女は、もはやジョージと男女の関係を築くことはできない。
彼はそうして周りの人間を遠ざけて生きてきたのだ。
同じ世界を経験した人間は、彼の周りにはいない。
だからマリーと出会うまでは今を生きること、自分を生きることができなかった。
そのきっかけを作るのが幼いマーカスである。

双子の弟マーカスも、また強烈な体験をする。
麻薬中毒の母親を必死にフォローしながら二人は生きてきた。
けれども、ロンドンの貧民街で兄は事故にあってしまう。
マーカスが言った「一人にしないで」という言葉が非常に印象的だ。
二人で一つだった彼らは離れ離れになり、唯一の肉親の母親も福祉施設に保護されてしまう。
兄ともう一度話がしたい。
その想いが一年も彼を動かし続ける。
里親も殻に閉じこもったまま心を開こうとしないマーカスをもてあましてしまう。

ロンドンのブックフェアで彼らは邂逅する。
ジョージは少年の熱心な想いに負けて霊視する。
そこで少年は初めて気づくのだ。
自分は今を生きているが、兄はもう違う世界を生きているということに。
それまで必死に死を受け止めようとしながらも、実は兄の死から逃げていたのだ。
「お前はお前でおれはおれだ」というジョージからの言葉を聞いて、やっと自分を生きることの意味を知るのだ。

周りに言ったらみんなに反対されたが、僕は一度遠のいた兄が戻ってきたのはうそではないかと考えている。
つまり、少年のためにジョージ自身の言葉で話したのではないかということだ。
そう読めば、彼が死者の言葉をそのまま生きている人に伝えるという「呪い」から、生きている人のために死者の言葉を伝える「能力」へと変化したのではないだろうか。
ジョージもまた、自分を生きる自分を確立させるのだ。

マリーと出会うことで「今きっとありうるだろう」というイメージをジョージは抱く。
彼がそれほど女性について具体的な「生」のイメージを抱いたのは初めてだった。
それまでは死者ののろわれたイメージしか頭をよぎらなかった。
彼女もまた自分と同じ世界を見る男に出会えて、ようやく自分が間違っていなかったのだということを確信する。
あるいは自分が見えている世界を受け止める覚悟ができたのだ。

死者と出会うという話はこれまでにいくらでも描かれてきた。
小説でも、映画でも、絵画でも、音楽でも、漫画でも、ゲームでも。
そんな「陳腐」な物語をここまで見ごたえある作品に仕上げたのはやはり監督の力だろう。
そういう点においても、非常に面白い作品だった。

余談だが、書いておかねばなるまい。
この映画を見た翌日に大震災が起こった。
情報として送られてくる映像は「ヒアアフター」の映像そのものだった。
僕は胸をえぐられるような痛みを覚えた。
今回、この地震が僕にとってかつて無いほど重く感じられるのは紛れもなく、この映画の影響だろう。
多くの方が亡くなった。
この映画のように、死後の世界で彼らが幸せに暮らしていることを願う。

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1 コメント

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Unknown (けん)
2011-03-19 02:30:12
TBさせていただきました。
またよろしくです♪
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