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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

英国王のスピーチ

2011-03-25 23:37:57 | 映画(あ)
評価点:71点/2010年/イギリス・オーストラリア

監督:トム・フーパー

邦画を見ているような安定感と予定調和。

1900年代初頭のイギリス王室。
ジョージ5世(マイケル・ガンボン)は年老いて世継ぎの問題が頭を悩ませていた。
第一皇子であるエドワード(ガイ・ピアース)は人妻にうつつを抜かし、イギリスの皇帝としては不安要素があった。
かといって、第二皇子のヨーク公(コリン・ファース)は、公務に必要不可欠の「スピーチ」ができなかった。
彼は吃音があり、まともに話すこともままならなかった。
ヨーク公は何とかそれを克服しようと、多くの医者に診察を受けたがいっこうに治る気配はない。
妻が見つけてきた医者はハーレー街にあるいかにも平民という作りの場所だった。
言語聴覚士のローグ(ジェフリー・ラッシュ)がつけた条件は、対等な関係で診察することだった。
渋るヨーク公だったが、彼の不可思議な手法にやがて飲まれていく……。

インセプション」「ソーシャル・ネットワーク」といった話題性ある作品を押さえて堂々のアカデミー作品賞を受賞したのがこの「英国王のスピーチ」だった。
昨年の夏に観た「インセプション」は衝撃的で、まさにオスカーに値する作品だと絶賛した。
しかし、この冬に観た「ソーシャル・ネットワーク」はその感動に更に輪をかけて素晴らしかった。
さすがにこれ以上の映画はないだろうと確信していた矢先に、「英国王」の受賞の知らせだった。

観ていない作品が受賞するというのは必ずしも悪いことではない。
むしろ更に良い作品に巡り会うことになるという期待が膨らむ。
アバター」に対する「ハート・ロッカー」と同じようなものだ。

だから残念ながら僕の「採点基準」は高く険しいものになったことは間違いない。
ここまでくればおそらく完成度よりも、好きか嫌いかが如実にあらわれてしまうだろう。
僕は結局最後まで好きにはなれなかった。
もうじき公開も終わってしまう。
オスカーが与えられた作品がどのようなものなのか、映画ファンならとりあえず確認してもかまわないだろう。

▼以下はネタバレあり▼

僕は観ていてすこぶる退屈だと思っていた。
冒頭のシークエンスで吃音を遺憾なく披露した時点で、この映画の行く先が見えてしまった。
そこからはその予想をなぞるだけの退屈な映画に映った。
もちろん、予想外の映画がすべて良いわけでもなく、なんでもかんでも刺激的な要素があれば映画として素晴らしいというわけではないけれども。

ここでもう一度〈同化〉と〈異化〉ということを考えておきたい。
何度かこれまでの記事でも触れてきた。
〈同化〉というのは観客や受け手(読者やプレーヤーなど)に寄り添う人物や物語にうまれる
よくある話、聞いたことのある物語、受け手の期待する結末など、相手に安心感を与え、自己を確認することを可能とする。
勧善懲悪を描くアンパンマンなんかが典型的だ。

〈異化〉とはそうした受け手の期待を裏切ることだ。
主人公が死んだり、バッドエンディングだったり、ミスリードさせてからミスディレクション効果を狙ったり。
単なる刺激ではなく、そこに受け手のあり方をゆるがすような鋭さを伴う。
奇をてらうようなそんなこそくな手法ではない。

アカデミー賞がオスカー像を与えてきた作品は多くの場合〈異化〉効果が絶大だった。
アメリカン・ビューティー」にせよ、「ノーカントリー」にせよ、「ハート・ロッカー」にせよ〈異化〉効果が素晴らしかった。
「そういう見せ方があったのか」と驚いたものだった。

だが、この「英国王」にはそれが決定的に足りない。
徹頭徹尾、ずっと予定調和の中で物語が進み意外性に欠ける。
それは勿論、ストーリーという点だけではない。
ヨーク公にしても、言語聴覚士ローグにしても、はじめの人物像から一切「外」に出ない。
英国王(次期)としてプライドを持つヨーク公とそれに対して全く驚きもしないローグ。
全てをもつヨーク公と、何の資格もないのに自信だけあるローグ。
その対比はずっと予期された範囲内で続き、友情が芽生えていく。
そこに驚きや揺さぶりはない。

確かに社会的な視座や歴史的な視座がないわけではない。
日本で吃音はそれほど問題化しない。
(確かにいるのはいるし、苦しんでいる人も大勢いるのは知っている)
なぜなら、日本は母音と子音の組み合わせがざっと50しか無いからだ。
しかもそれは1拍(1音節あるいは1モーラ)と共通している。
けれども、英語はそうはいかない。
母音も子音も多く、その組み合わせは無限大だ。
だから言う方にも聞く方にも、多大な負担がある。
そこに表音文字としての不完全な一致もある。
だから当然吃音は致命的な症状なのだ。

それが世界の4分の1を統べる英国王だとすれば大問題だ。
(この言い方がなんだかヨーロッパのエゴの塊だけれども。
実際には「搾取」を示した数字なのだからアジアに住む僕には違和感がある)
忍び寄るファシズムの陰と対比しながら、見事に時代を切り取っている。
アカデミー賞会員が惹かれるのも無理はない。

けれども、予定調和の中で進む物語の結末に僕はカタルシスを感じることはできなかった。
そもそも、課題とその克服に大きな〈苦節〉があったように思えない。
吃音の致命さは頭で理解していてもやはり分からない。
共感的理解はできても、「共有」まで出来なかった。
だから〈同化〉効果先行の映画なのに、僕は〈同化〉できなかったのだ。
換言すれば感情移入できなかったのだ。

それ以外にも、テンポが悪かったし、カットが不自然に見えた。
ソーシャル・ネットワーク」のような引き込まれる映像ではなかった。
絵柄そのものでいうなら、民衆の描き方が甘く、王朝との格差が分かりにくい。
それは物怖じしないローグの人物像も関係しているだろう。
彼がどこへ行っても驚かないから、観客の僕もどこへ連れて行かれても感動しない。

結局ずっとレールの上を進まされているような、安定感だけはあるところで楽しまされているような映画だった。
期待していただけに残念だ。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ありがとうございます。 (naotomo)
2011-03-31 12:00:39
secret bootsさん、こんにちわ。

映画と、CGと、金持ち父さんと...を運営しているnaotomoです。
ブログの新しいデザイン、すっきりした清潔感があり、とっても奇麗です。
それから、私のサイトへのリンクを設置していただいて、本当にありがとうございます。

英国王のスピーチ、私も見ました。
オスカーを獲得したことで、観客の期待が高かっただけに、私もちょっと残念な内容でした。
同化と異化というのは、なかなかおもしろい考え方だなと思いました。

英国王のスピーチは、吃音症を克服する物語ではなく、英国王が心の中に抱えている問題を、ひとつひとつ克服していく物語だというのが私の感想です。
妻や子供の愛情さえも、心の奥底では受け付けることができない男が、英国王の立場など関係なしに対峙するジェフリー・ラッシュの存在によって、変化していく...

私としては、そこらへんの英国王の心の変化を、もっと映像なりエピソードなりで徹底的に描いてくれると良かったのですが、監督の力量に限界があったかもしれないです。
やっぱり、描いている内容と比較すると、オスカーの獲得は重かったかもしれません。

ではでは...
返信する
あと2本の批評が控えていますが。 (menfith)
2011-03-31 23:09:04
管理人のmenfithです。
あと2本の批評が控えていますが、職場でなかなか書くチャンスに恵まれずに、仕事ばかりしています。(あたりまえ?)
「トゥルーグリット」も見たいのに、なかなか時間がとれない状態です。
どちらかというとだらだらしているから時間がないだけなので、何とも言えませんが。
近々またアップします。

>naotomoさん
どうも、相互リンクが遅くなりまして申し訳ありません。
今後ともよろしくお願いします。

人によってはこの映画がオスカー受賞なのはうなずけるという意見もありますね。
もっと細かいところを見るべきだったのかも知れません。
僕には合わなかったようで。

オスカーの作品賞候補が未公開のものもありますので、そちらに期待したいとおもいます。
返信する
Unknown (InTheLapOfTheGods)
2011-05-22 08:54:58
たぶん、ロイヤルファミリーものは水戸黄門なのでしょうね。
ロイヤルファミリー好きの期待を裏切らないのが正しい姿なのでしょう。
僕も期待はずれでしえた。
返信する
身分の違いが大きいのでしょう。 (menfith)
2011-05-23 21:12:16
管理人のmenfithです。

>InTheLapOfTheGods さん
コメントありがとうございます。
イギリスは身分の差が大きいと聞きます。
そういう意味では王族と平民が同室にいたこと自体が涙を誘うのかも知れません。

僕は残念ながらロイヤルファミリーに入れそうもないです。
返信する

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