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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

楽園追放 -Expelled from Paradise-(V)

2017-04-11 19:02:03 | 映画(ら)

評価点:57点/2014年/日本/104分

監督:水島精二

アニメ―ションと実写の境界線とは。

西暦2400年、ディーヴァと呼ばれる仮想空間にほとんどの人間が住むようになってすでに100年が経っていた。
その中で、ディーヴァに対してハッキング行為を行う事件が発生した。
地表からのアクセスであることが判明し、アンジェラ・バルザック(声:釘宮理恵)がリアルワールドに肉体を伴って潜入することになった。
はじめて地上に降り立ったアンジェラは、案内人のディンゴ(声:三木眞一郎)とともに地上を捜索するが……。

Amazonプライムで紹介されており、評価もそこそこ高かったので気軽な気持ちで観てみた。
おそらくここで知らなければ一生見ることがなかった作品だろう。

監督は、水島精二と言われても、私には誰だかわからない。
脚本も、知らない。
中高生に人気なのか、その世界では有名なのか、知らないが、とにかく観てみた。

万人にお勧めするような類の映画ではない。
絵柄が無理なら、きっとずっと無理だろう。
私はギリギリ許容の範囲かな~と思いながら観ていた。
そこそこおもしろいし、そこそこしっかりした作りになっているので、観る価値はある。
やはり、絵柄が許容できるかどうかによって、手に取るか止めるか決まってしまうだろう。

▼以下はネタバレあり▼

映画としては、及第点の出来だろう。
仮想空間に住む人間は、どれだけメモリを与えられるかによって、その「人生」が決まる。
ほとんどの人間が仮想空間に住み、肉体を維持しようとしている人間はごく僅かである。
仮想空間に住んでいる人間は、肉体を超えた快楽を享受することができ、それはメモリによって決まってくる。
メモリはディーヴァと呼ばれる管理システムに気に入られるかどうかで決まる。
生後1000日(すみません、具体的日数は忘れた)ほどで、システムに組み込まれて、システム内を生きることになる。
遺伝子情報はデータ化されて、肉体を得る可能性もある。
何か特定の事情がなければ、必要ないわけだが。

これだけの独特の世界観を、無理なく説明している。
それだけでも、十分映画として成立しうる条件を備えていると言える。
近未来を描くのは、かなり難しい。
架空であってもそれが蓋然性ある設定だと感じさせるには、言葉を尽くしたり、説明的セリフやナレーションを増やすしかないからだ。
序盤と中盤でそれを無理なく説明したのは、シナリオのうまさだと言えるだろう。

さて、物語は、旅立ちの物語であり、再生の物語である。
アンジェラにとっては、肉体をもった人生の旅立ちと再生である。
フロンティアセプターは、宇宙に旅立つことでディーヴァ以外の人類の在り方を模索する、旅立ちであり、再生の物語である。

すんなり世界観に入れるのは、このような世界観がそれほど珍しくなくなったからだろう。
仮想空間上で無限の楽しみを得ることができるようになった人類と、地上にいるリアル世界で何の規制もされないで生きることができることを望んだ人類。
完璧に管理されて死ぬこともない世界で生きることができるが、それはあくまでもデータ上。
だが、データとリアルとどう違うのかと言われれば、私たちは答えることができない(ほどにデータが複雑化高度化している)。

こうした対立は別におどろくべきことではない。
だからこそ、物語はそれほど違和感がなく進行し、その上で、人間より人間らしいフロンティアセプターとのやりとりが楽しい。

人間とは何か。
人生とは何を追求すべきか。
そういった普遍的な問いかけをしている、良作だ。

だが、私はこの映画を観ながら、やはりどこか「閉じられた世界の物語」という印象をうけた。
これが、果たして映画館で観たときに、1800円を払って2時間弱を割いて観るべきものだろうか、というところだ。
ありていに言うならば、すべてが寄せ集めで、既視感たっぷりの2時間なのだ。
どこかで観たような、どこかで知っているような、そういうような映像や演出、人物が2時間ずっと流れ続ける。
アニメとしてはおもしろい。
悪くない。
だが、映画として、作品として、自律性や完結性あるものだろうかといわれれば、違和感が残る。
比喩的に言うなら、この映画を観ていても、私たち側(観客)にまで何かが伝わってくることがないのだ。
映画館でいえば、スクリーンの向こう側で起こっていることをただこちら側から垣間見ているだけで、観客側に迫ってくるものがない。
だから、〈消費〉されるだけで、いずれ忘れ去られてしまうだろう。
(というか私は二度観ないし、早い内に物語を思い出せなくなるだろう)

キャラクターが浅い。
やたらと饒舌に、インテリジェンスな語り口で話すアンジェラも、やたらと土にまみれたディンゴも、どこか見たことがある「印象的な」キャラクターにすぎない。
演出もガンダムやエヴァで見たことがあるようなカット、動きが多い。
世界観にいたっては、「すんなり受け取れる」ことが、「よくある話」であることを象徴する。

観ながら、「ああ、これが実写ならきっとおもしろかったのだろうなぁ」と思っていた。
どんな話ならアニメーションと相性が良いのか。
どんな設定なら実写のほうがいいのか。
表現方法との相性や、表現媒体と物語(世界)の相関関係が、作品の面白さに大きな影響を与えるのかもしれない、というような大きな事を考えて観てしまった。

キャラクターが無駄に動いて(CGで描いたことをアピールしたいのか)、不自然きわまりないことがちょっと癪に障ったこともあるだろうが。


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