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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

命のリレー

2017-08-24 09:02:25 | 不定期コラム
基本方針として、危険なこと以外は自由にさせるということで、うちの王子様は好奇心旺盛な性格に育っている。
ハイハイや歩き始めたころは、やきもきさせられたが、本棚が荒らされてカバーが全部外されることもないし、アイロンを触りに来ることも、ほとんどない。
ただ、そのためなのか、母親の戦略が奏功したのか、おしゃべりが止むことがない。
寝ているときも、起きているときも、一人でも、おしゃべりしつづけている。

先日、お米を買いに行った。
精米してもらうところを見た息子は、「これなに? どうやってるの?」
「お米どこにいったの?」と質問を連呼し、精米器の内側まで観察させてもらった。
だが、以前見た稲作の様子と、いつも食べている白ご飯との連続性が納得できなかったようで、しきりにあれこれと質問していた。

トイレに行くときも、「うんちどこいったん?」
――下水道やで。
「下水道って、海に行くの?」
――そうやで。
「○○くんも行きたい! ○○くんも行っていい?」
――下水に落ちたら真っ暗やから出てこられへんで。

というやりとりをしたばかりだった。

順接の確定条件の意味を分かり始めて、物事の因果関係を掴み始めている2歳児は、自分がいま行った行動がどういう順序をたどっていくのかを知りたいようだ。
そういうやりとりをしながら、なるほど、私たちは日常生活で自分がとった行動によってどのような連続性があるのか、確認できることは非常に少ないということを思い至った。
誰が作ったかわからない食べ物を食べ、誰が処理するのかどうやって処理するのかわからないゴミ箱に捨て、トイレで用を足す。
極度に分業化が進み、複雑化、国際化が進んだ街では、自分は〈点〉を担っているだけであり、その仕組みを知識として知ったところで宇宙空間に地球外生命体がいるかもしれない程度の壮大な想像力の中でしか理解できない。
つまりは、わからないということだ。

命を生み出し、命を頂き、命を棄てる。
命を奪っている私たちの命は、「当然の産物」ではないし、その命さえまた誰かに奪われていく。
奪うか奪われるかという対立で考えると、物騒だし利害関係や強弱の関係で語ることになる。
だが、託すという言い方をすれば、それは命のリレーということになる。

農家がどれほどの労力をかけて米を作っているのか私は知らない。
その知らない私がコンビニでおにぎりを買い、「高い」「まずい」と悪態を吐く。
その食べ物は誰かに作られたものである前に、誰かの命であったことを私たちは忘れてしまっている。
いや、忘れることを戦略的に行っている。
だから、私たちは「棄てる」ことに抵抗がない。

それは、今日のいとなみだけではない。
人生についても同じだ。
私たちがどのように命が誕生し、命が託されていくか、知る機会が減った。
日本では生まれてくる子どもの数が減り、子育てする人口比率は、日を追うごとに少なくなっている。
子育てに関するあらゆる問題(保育園の騒音、ベビーカーの車両内乗り入れなどなど)は、命が託されてきた、そのリレーが忘れ去られているからに他ならない。
(エンデの「モモ」にも「みんな自分が子どもだったということを忘れてしまっているんだ」というセリフが確かあったはずだ)

死者を看取ったり、死に行く人に付きそうことも、家族以外の委託によって成り立つ。
私たちは、自分が生まれ死んでいくというリレーを忘れてしまった社会に生きている。

この孤独感は何だろう。

この徒労感は何だろう。

この倦怠感は何だろう。

おそらくそれも、私が今日行った仕事がどこに託されていくかがわからないことだろう。
Facebookでどれだけ「いいね!」を集めても、自分が今していることが、誰に、どのように託されていくのか見えない。
仕事で作り上げた「商品」だけの話ではない。
様々な好意や発見、気遣い、すべての私の行為が、誰に届いているのか実感できない。
だから私たちはしばしば自分のことを、「社会の歯車」と呼ぶ。

命のリレーをしているのだ、私はそのバトンを一時的に握っているに過ぎない、という連続性ではなく、自分は誰かに否応なしに動かされている歯車に過ぎないという実感は、ずいぶん差があるように思う。

「ヒカルの碁」にあった、「なぜ囲碁を打っているのか」という主人公の答え。
「遠い過去と、遠い未来をつなぐためだ」

今しか見つめられない現代人に、自己肯定感など得られないのは無理はないのかもしれない。
命の物語を、うちの小さな王子様にはできるだけ体験させたいと思う。
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