外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

オリーブの雨の音はボツボツと

2011-03-08 18:58:32 | パレスチナ
パレスチナでオリーブ摘みのボランティアをすることは、私のひそかな野望のひとつであった。

そんな野望がどこからわいてきたのかなぞだが、よく考えてみればオリーブ摘みへの憧れは、イタリアのフィレンツェに滞在していた頃にすでに私の心の中に芽生えていたようである。澄み切った秋空の下、たわわに実を結んだオリーブの木の下で陽気なカンツォーネを歌いながら、農家の人たちと競い合ってオリーブの実を摘み、そのあと搾油所に運んでいってオイルを作り、絞りたてのほろ苦いバージンオイルを、焚き火で炙ったパンにかけて食べるんです。この秋収穫した葡萄で作った新ワインも振舞われ、収穫を祝って皆で乾杯!ああうっとり・・・ようするに、イタリア留学者にありがちな安易な憧れであるが、結局これを実際に体験することもなく、イタリアを離れることになってしまったが、このオリーブ摘みへの憧れは私の潜在意識に音もなくするりと入り込み、日の目を見る機会をひそかに窺っていたようだった。

私がパレスチナに来たのは9月の終わり。10月に入るとオリーブ収穫のシーズンが始まり、国際ボランティアが収穫の手伝いに各地で大活躍していると、新聞・テレビで大きく取り上げられていたのだが、誰に言えば参加できるのかよくわからずあせっているうちに、いたずらに日々が過ぎていくのだった。

オリーブの木は地中海沿岸全般で育てられている。降水量が少なくてもよく育つし、実を塩漬けにしたり、オイルを絞ったり、そのオイルから石鹸を作ったり、木を切って木工細工に使ったり、と多彩に活躍するので重宝がられているが、特にパレスチナ人はこの木に対して、「神に祝福された木」として特別に深い思い入れを持っており、彼らのオリーブ収穫作業は一種祝祭的な趣さえある。それなのにイスラエルの入植地の近くにあるオリーブ畑では、入植者の放火により木を燃やされたり、夜のうちに実を盗まれたり、農地に行くのを邪魔されたり、挙句の果てには銃で撃たれて怪我したり、と苦労が絶えないのである。入植者の嫌がらせのほかに、イスラエル兵に作業を中断させられたり、通せんぼされたりすることもあるらしい。そこで登場するのが国際ボランティアである。外国人ボランティアがオリーブの収穫を手伝うことは、パレスチナの秋の恒例行事のようになっている。外国人ボランティアの意義は、デモ参加のときと同じで、「危険地帯で作業するパレスチナ人のそばに存在すること」にある。外国人がいたら入植者のいやがらせも少しはましになるし、イスラエル兵の態度もよくなるからである。つまり作業効率などは二の次、のはず。

そんなある日、ISMのトレーニングの場で知り合った、ミシガン・ピースチームというアメリカのNGOの女性2人組みに誘われ、彼女たちと一緒にオリーブ摘みをさせてもらうことになった。小柄で痩せていて、早口で冗談を言いながら活発に動き回るのがリーダー格のミリアム、ぽっちゃりとした体型で、いつもおっとりと笑っているのはサンディー。作業前夜はナブルス近くのフーワーラという町の、彼女達のアパートに泊まりこんだ。

朝5時に起きて、作業着の古ズボンとシャツに着替え(彼女たちに貸してもらった)、急いで朝ごはんを済ませて準備する。強い陽射しを避けるため、ミリアムはバンダナで髪を覆い、サンディーと私は帽子をかぶる。お昼ごはんは農家の人が用意してくれるので、持って行くものは飲料水のボトルと熊手だけでよい。この熊手はオレンジ色のプラスチック製で、長さ50センチくらいのハンディーサイズ。これを手に持って、枝を引っかいて実を落とすそうだ。孫の手代わりに背中を引っかくのにも使えそうだが、ちょっと痛いかもしれない。

タクシーで現場まで行き(タクシー代は自費。ボランティアってお金がかかるのだな)、ISMから来ているほかのボランティアの人たちと合流する。その日摘む予定なのは、3軒の農家のオリーブ畑で、広さに合わせて適当に人数を調整する。私たち3人は、オサマ・ビン・ラディンにちょいと似た哲学的な風貌で、英語が少し喋れる、オマルという名前の農夫のオリーブを摘むことになった。ミリアムによると、彼女たちが以前このオマルのお手伝いをしたとき、イスラエル兵が邪魔しにやってきたが、彼は彼女たちを置いて一人だけ安全地帯に逃げたそうである。初めてのオリーブ摘みなのに、そんないわくつきの人のために働くのか、と思うとなんだかやる気がくじかれるような気もしないではない。

彼の家族はだれも手伝いに来ておらず(家族総出でやるのが普通らしい)、私たちは4人だけで作業を開始した。オマルの末の息子が一緒について来ているが、この子はまだ小さいので作業には参加せず、その辺で遊んでいる。
まずオマルが木の下にビニールシートを敷き、それから皆で熊手を使って、実を落としていく。終わったら実を集めて大きな袋につめ、別の木に移動する。その繰り返しの単純作業である。高いところにある実は木に登って取る必要があるが、私は落ちるのがこわいのでやらなかった。オマルとミリアムは身軽に木に登ってどんどん実を落としている。

熊手で枝を引っかくと、面白いほど実が落ちて、シートの上でボツボツと音を立てる。大粒の雨のような音である。緑の実と黒い実が混ざり合った、美しい色の雨。葉っぱや小枝も一緒に落ちるので、あとで袋詰めするときに、目立つものは取り除かないといけない。

2時間も働くと私はもう疲れてくたくただった。「オリーブ摘み」という牧歌的なイメージにうっかりだまされていたが、要するにこれは農作業であり、肉体労働なのである。ああ働くってなんてしんどいことなのかしら、あたし身体弱いのにい・・・。私がためいきをつきながらさぼっている間も、アメリカ人たちはてきぱきと働いている。彼女たちはどちらも孫がいる年齢なのだが、わたしよりもずっと体力と意欲があるようだった。素晴らしい。

近くの木につながれたオマルのロバが、時折すっとんきょうな大声で「アーイー、オーイー」と鳴く。まるで何かを訴えかけているようなので、「僕はお嫁さんがほしい!と言ってるのかな」と私が推測すると、ミリアムが笑いながら「オマル、僕と遊んでよ、と誘ってるんじゃない」と応じる。「暑いからアイスクリームが食べたい!と言ってるのかも」とサンディーも参加する。オマルは黙って笑いながら実を落としていく。

12時ごろにオマルが昼ごはんを用意してくれた。家から持ってきたホンムス(ヒヨコマメのペースト)やムタッバル(ナスのペースト)のタッパーやパン、ザアタルとオリーブオイルの入った器を地べたに並べ、サラダ代わりのトマトをナイフで切り、小枝を集めて火を起こし、お茶を用意してくれる。簡素な食事だが、どれもオマルの奥さんの手作りである。なんでも手作りが一番だ、身体にもいいし、とオマルが自慢げに述べる。作業の後でお腹がすいているので、みんなひたすら食べた。辺りはとても静かで、風に揺れるオリーブの葉の音と、小鳥の声しか聞こえない。

お昼ごはんが終わったらまた作業を再開したが、私の身体はすでにスイッチが切れて、お昼寝体勢に突入してしまったので、しょっちゅうしゃがんで休憩していた。そんな私を見るオマルの視線が険しかったが、そもそもボランティアなのであまり文句もいわないだろう、とたかをくくって受け流した。こういう横着な性格の人はボランティアに向いてないのは明白ですね。

午後2時を過ぎたら、学校帰りのオマルの息子たちが続々と現れて手伝いだした。計5人、みんな小さくて、まだ小学校低学年くらいである。オマルには全部で9人子供がいるそうだ。パレスチナ人は子沢山なのである。奥さんは一人だけなのに、ご苦労様なことだ。子供たちは猿のように木に登って、父親とにぎやかにおしゃべりしながら働いている。オマルは嬉しそうに子供に囲まれていそいそと働いている。

ミリアムたちに用事があるので、3時ごろに仕事を切り上げることになった。オマル・アンド・チルドレンに別れを告げながら、ああ終わった、アルハムドゥリッラー(アッラーのおかげ)と心の中でつぶやく私。疲れのせいか、帰りのタクシーではみんな無口だった。私は彼女達のアパートで服を着替え、しばらく休憩させてもらったあと別れを告げて、バスに乗ってエルサレムに戻った。

そんな訳で、初めてのオリーブ摘みボランティアはさえない結果に終わってしまった。これが最初で最後の体験になるかもしれないと思うと、少し情けない気がしないでもない。それにしても、肉体労働は自分の得意分野ではないと前々から自覚していたものの、10年にわたる無職生活のせいか、それとも地中海沿岸諸国に暮らしているうちにこの地域特有のキリギリス文化に影響されたのか、自分の怠け者度がグレードアップしているのが気にかかった。このままでは日本に戻ったとき、社会に適応できないのではないかと心配である。どうしよう・・・
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« オリーブ山の黄昏 | トップ | オリーブ山のアパート »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

パレスチナ」カテゴリの最新記事