雪の日のうさこちゃん(またの名をミッフィーちゃん)、両脇にはエジプトのビールと、アラクという透明な強いお酒
イタリアの大学では通常年2回、前期と後期の終わりに試験がある。日本の大学と違って、筆記試験よりも口頭の面接試験のほうが一般的だが、アラビア語講座は語学学習という性質上、毎回筆記試験のみであった。私は2年生の終わりに自主退学したので、アラビア語のテストを計4回受けたことになる。
サマルの作るテストは、ムツカシイのか簡単なのか、微妙なところだった。
難しいといえば、難しい。なにしろ問題数が多かった。全部解くのに、2時間くらいかかるのだ。私は体力も気力もあまりないので、いつも途中で疲れてしまい、時々机に突っ伏して、休憩していた。設問自体は毎回ほぼ同じで、穴埋めとか、同義語や反意語、動詞の活用表の作成、アラビア語からイタリア語への訳やその逆、そして「イアラーブ」と呼ばれる文法解析や、「イムラー」と呼ばれる書き取りなどであった。この「イアラーブ」と「イムラー」が曲者であった。
「イアラーブ」というのは、文を単語レベルまで分解して、各単語の文法的な働きを専門的なアラビア語で説明する学問で、アラビア語の文法学習に固有のものである。要するに、「難解な文法用語ばっかりの、古代の呪文みたいなアラビア語の文を、何も考えずに無理やり丸暗記して書く」ことだと思って頂ければ間違いがない。サマルはこのイアラーブに固執していて、毎回必ず出題していたが、生徒たちの方はこれを忌み嫌っていた。イアラーブが好きな外国人学習者は、少し頭がおかしいと思う。私はわりと好きだったけど。
「イムラー」の方は、単なる書き取りである。先生が読み上げる文章を聞き取って、白紙に書きとっていく。アラビア語には似たような発音の子音が多く、慣れない人間にとって、その聞き分けは容易ではない。
このように、一筋縄ではいかないサマルのテストだったが、そのわりには、高得点をマークする子が大勢いて、落第する子(30点満点で、17点以下が落第)は滅多にいなかった。
なぜならそれは、サマルがあらかじめ、出題する予定の問題をほとんど全部教えてくれたからだ。イアラーブについては、5例ほど黒板に書き、このうち2つが出るから、覚えてくるようにと言ってくれた。イムラーのほうも、出題候補の文章のプリントを2枚渡してくれた。どちらか片方が出るから、両方覚えておけば間違いがない。
「こうしてテスト問題を教えてあげるのは、私があなたたちを深~く愛してるからなのよ。ほんとはダメなんだけどね」とサマルは言い、人差し指をくちびるに当てるのだった。
「これはベッティーニ先生には内緒よ!」 ベッティーニ先生は、アラビア語学科の主任教授で、活火山のように気性の激しい女性である。私たちは声を揃えて、「ハイハイ、もちろん内緒にします!」と頷くのだった。
そんなわけでサマルのテストは、地道に暗記さえしておけば、とても簡単なのだった。
しかしイタリアの大学の試験は厳しい。
短期間に数多くの科目を受験する必要があるし、1日に2,3科目の試験が重なることもある。また、授業内容以外に、課題として本を2冊ほど読ませる先生も多い。
時間は有限である。面接試験では誤魔化しが効かないが、筆記試験ではカンニングという手がある・・・というわけで、アラビア語の試験では、カンニングが花ざかりなのだった。
イタリアの大学では通常年2回、前期と後期の終わりに試験がある。日本の大学と違って、筆記試験よりも口頭の面接試験のほうが一般的だが、アラビア語講座は語学学習という性質上、毎回筆記試験のみであった。私は2年生の終わりに自主退学したので、アラビア語のテストを計4回受けたことになる。
サマルの作るテストは、ムツカシイのか簡単なのか、微妙なところだった。
難しいといえば、難しい。なにしろ問題数が多かった。全部解くのに、2時間くらいかかるのだ。私は体力も気力もあまりないので、いつも途中で疲れてしまい、時々机に突っ伏して、休憩していた。設問自体は毎回ほぼ同じで、穴埋めとか、同義語や反意語、動詞の活用表の作成、アラビア語からイタリア語への訳やその逆、そして「イアラーブ」と呼ばれる文法解析や、「イムラー」と呼ばれる書き取りなどであった。この「イアラーブ」と「イムラー」が曲者であった。
「イアラーブ」というのは、文を単語レベルまで分解して、各単語の文法的な働きを専門的なアラビア語で説明する学問で、アラビア語の文法学習に固有のものである。要するに、「難解な文法用語ばっかりの、古代の呪文みたいなアラビア語の文を、何も考えずに無理やり丸暗記して書く」ことだと思って頂ければ間違いがない。サマルはこのイアラーブに固執していて、毎回必ず出題していたが、生徒たちの方はこれを忌み嫌っていた。イアラーブが好きな外国人学習者は、少し頭がおかしいと思う。私はわりと好きだったけど。
「イムラー」の方は、単なる書き取りである。先生が読み上げる文章を聞き取って、白紙に書きとっていく。アラビア語には似たような発音の子音が多く、慣れない人間にとって、その聞き分けは容易ではない。
このように、一筋縄ではいかないサマルのテストだったが、そのわりには、高得点をマークする子が大勢いて、落第する子(30点満点で、17点以下が落第)は滅多にいなかった。
なぜならそれは、サマルがあらかじめ、出題する予定の問題をほとんど全部教えてくれたからだ。イアラーブについては、5例ほど黒板に書き、このうち2つが出るから、覚えてくるようにと言ってくれた。イムラーのほうも、出題候補の文章のプリントを2枚渡してくれた。どちらか片方が出るから、両方覚えておけば間違いがない。
「こうしてテスト問題を教えてあげるのは、私があなたたちを深~く愛してるからなのよ。ほんとはダメなんだけどね」とサマルは言い、人差し指をくちびるに当てるのだった。
「これはベッティーニ先生には内緒よ!」 ベッティーニ先生は、アラビア語学科の主任教授で、活火山のように気性の激しい女性である。私たちは声を揃えて、「ハイハイ、もちろん内緒にします!」と頷くのだった。
そんなわけでサマルのテストは、地道に暗記さえしておけば、とても簡単なのだった。
しかしイタリアの大学の試験は厳しい。
短期間に数多くの科目を受験する必要があるし、1日に2,3科目の試験が重なることもある。また、授業内容以外に、課題として本を2冊ほど読ませる先生も多い。
時間は有限である。面接試験では誤魔化しが効かないが、筆記試験ではカンニングという手がある・・・というわけで、アラビア語の試験では、カンニングが花ざかりなのだった。