「猫背」バッジ
アラビア語の試験当日、私が教室に入って、空いている席に座ろうとすると、複数のクラスメートから「ミーテ(アラビア語のクラスでは、私はこう呼ばれていた)、私の隣りに座って!」「いや、ミーテは僕の隣りだ!」とお声がかかる。当時私は優等生で通っており(アラビア語学習に全身全霊を傾けていたので)、テスト当日だけ急に人気者になるのだった。席に着くと、「ほら、僕はカンペを作ってきたんだ」と、後ろの席の男の子が小さな紙切れを見せてくれる。小さな文字がびっしり書かれていて、なかなかの力作のようだったが、私には判読不明だった。
問題用紙が配られ、試験が開始される。
監督はサマルとベッティーニ先生である。サマルがあらかじめ予告した問題ばかりなので、私はスムーズに書き進めるが、勉強してこなかった子達は慌てて、「これなんだっけ?!」とか質問しあっている。私にも、「ミーテ、ミーテ、ここの答えはなに?」と、しょっちゅう小声で質問が飛んでくるので忙しい。ささやき声のイタリア語を聞き取るのは難しいので、先生の目を気にしつつ、何度も聞き返す羽目になる。また、周りの子たちが答案を覗き込んでくるので、読みやすい大きな字で答えを書いてあげないといけない。
見渡すと、半分以上の生徒がカンペを使っていた。あまり露骨にやるとカンペを取り上げられ、一番前の席に移動させられて、監視を受ける憂き目に合うが、サマルとベッティーニ先生は基本的に生徒に甘いので、退場させたり、処罰したりはしない。2人で和やかに談笑しながら、暖かな目で生徒を見守っている。
参考までにいうと、英語科の試験はこんなにユルくない。
イギリス人やアメリカ人の先生たちが総出で試験会場をぐるぐる巡回し、イーグルのような目でチェックするのだ。席はひとつ置きに座らされ、私語は厳禁。
試験監督主任の先生は、テスト開始前にこう宣言する。
「我々はアングロサクソン流でやります。イタリア人の先生がたはカンニングに甘いですが、我々は容赦しません。カンニングを発見したら即刻追放し、受験資格を剥奪します。それでもやりたければ、やりたまえ」
アラビア語の試験結果の発表のとき、私はいつも不思議だった。
いくら試験問題を事前に教えてもらっているにしても、そして試験中カンペをこっそり見ているにしても、基本中の基本単語さえ覚えていない子達が、満点近い点をとっているのは、なぜ?
ある日の授業中の雑談で、その疑問が解けた。
試験の話題がでたとき、サマルが告白したのだ。
「私は自分の生徒たちを深~く愛してるの。どんなに愛してるか、きっとあなたたちには想像もできないくらい・・・。あまりに深く愛しているので、試験の採点をしているときに小さなミスを見つけたら、自分で修正してしまうくらいです」
どういう意味かさっぱり理解できず、私たちはビクターの犬のように首をかしげて、サマルを見つめた。
サマルは言葉を続ける。
「つまりね、少しくらいの間違いだったら、私がその生徒の筆蹟を真似して、こっそりペンで修正して正答にしちゃうのよ。そのために私は、いろんな色のペンを20本くらい用意しています」そう言いながら愛用の黒い革カバンを開けて、ペンの束を取り出す。イタリア人の生徒は、思い思いの色のボールペンで答案用紙に記入するのだ。
私はあっけにとられ、照れたように微笑んでいるサマルを凝視した。
・・・そこまでするのか、サマル?!
生徒のミスをこっそり修正して正答にしてしまう先生って、ありなのか?そんな話はいままで聞いたことがない。
私はすっかり呆れていたが、他の生徒たちはうっすらと感動したような面持ちで、黙って話を聞いていた。おいおい、ここは感動するところじゃないぞ、と私は心の中で突っ込む。
サマルはかくのごとく、比類なき教師だった。シリアでも、彼女のような教師にはついぞ出会ったためしがない。あの人は一属一種の特殊な生物なのだと思う。フィレンツェ大学を自主退学して以来、彼女には会っていないし、連絡すら取っていない。サマルはいつも、「あなたは遠い国からやってきた大切なお客様だから」と言って、なにかと目をかけてくれたのに、ずいぶんと恩知らずな話である。あんなに一生懸命教えてくれたイアラーブも、今ではもうすっかり忘れてしまった。ごめんね、サマル!でもやっぱりイアラーブは、何の役にも立たない無駄な学問だと思うぞ・・・
サマルとイタリア人の生徒たちの逸話は尽きないけれど、「サマル先生の思い出」シリーズは一応これで終了です。読んでくれた人、ありがとう。
アラビア語の試験当日、私が教室に入って、空いている席に座ろうとすると、複数のクラスメートから「ミーテ(アラビア語のクラスでは、私はこう呼ばれていた)、私の隣りに座って!」「いや、ミーテは僕の隣りだ!」とお声がかかる。当時私は優等生で通っており(アラビア語学習に全身全霊を傾けていたので)、テスト当日だけ急に人気者になるのだった。席に着くと、「ほら、僕はカンペを作ってきたんだ」と、後ろの席の男の子が小さな紙切れを見せてくれる。小さな文字がびっしり書かれていて、なかなかの力作のようだったが、私には判読不明だった。
問題用紙が配られ、試験が開始される。
監督はサマルとベッティーニ先生である。サマルがあらかじめ予告した問題ばかりなので、私はスムーズに書き進めるが、勉強してこなかった子達は慌てて、「これなんだっけ?!」とか質問しあっている。私にも、「ミーテ、ミーテ、ここの答えはなに?」と、しょっちゅう小声で質問が飛んでくるので忙しい。ささやき声のイタリア語を聞き取るのは難しいので、先生の目を気にしつつ、何度も聞き返す羽目になる。また、周りの子たちが答案を覗き込んでくるので、読みやすい大きな字で答えを書いてあげないといけない。
見渡すと、半分以上の生徒がカンペを使っていた。あまり露骨にやるとカンペを取り上げられ、一番前の席に移動させられて、監視を受ける憂き目に合うが、サマルとベッティーニ先生は基本的に生徒に甘いので、退場させたり、処罰したりはしない。2人で和やかに談笑しながら、暖かな目で生徒を見守っている。
参考までにいうと、英語科の試験はこんなにユルくない。
イギリス人やアメリカ人の先生たちが総出で試験会場をぐるぐる巡回し、イーグルのような目でチェックするのだ。席はひとつ置きに座らされ、私語は厳禁。
試験監督主任の先生は、テスト開始前にこう宣言する。
「我々はアングロサクソン流でやります。イタリア人の先生がたはカンニングに甘いですが、我々は容赦しません。カンニングを発見したら即刻追放し、受験資格を剥奪します。それでもやりたければ、やりたまえ」
アラビア語の試験結果の発表のとき、私はいつも不思議だった。
いくら試験問題を事前に教えてもらっているにしても、そして試験中カンペをこっそり見ているにしても、基本中の基本単語さえ覚えていない子達が、満点近い点をとっているのは、なぜ?
ある日の授業中の雑談で、その疑問が解けた。
試験の話題がでたとき、サマルが告白したのだ。
「私は自分の生徒たちを深~く愛してるの。どんなに愛してるか、きっとあなたたちには想像もできないくらい・・・。あまりに深く愛しているので、試験の採点をしているときに小さなミスを見つけたら、自分で修正してしまうくらいです」
どういう意味かさっぱり理解できず、私たちはビクターの犬のように首をかしげて、サマルを見つめた。
サマルは言葉を続ける。
「つまりね、少しくらいの間違いだったら、私がその生徒の筆蹟を真似して、こっそりペンで修正して正答にしちゃうのよ。そのために私は、いろんな色のペンを20本くらい用意しています」そう言いながら愛用の黒い革カバンを開けて、ペンの束を取り出す。イタリア人の生徒は、思い思いの色のボールペンで答案用紙に記入するのだ。
私はあっけにとられ、照れたように微笑んでいるサマルを凝視した。
・・・そこまでするのか、サマル?!
生徒のミスをこっそり修正して正答にしてしまう先生って、ありなのか?そんな話はいままで聞いたことがない。
私はすっかり呆れていたが、他の生徒たちはうっすらと感動したような面持ちで、黙って話を聞いていた。おいおい、ここは感動するところじゃないぞ、と私は心の中で突っ込む。
サマルはかくのごとく、比類なき教師だった。シリアでも、彼女のような教師にはついぞ出会ったためしがない。あの人は一属一種の特殊な生物なのだと思う。フィレンツェ大学を自主退学して以来、彼女には会っていないし、連絡すら取っていない。サマルはいつも、「あなたは遠い国からやってきた大切なお客様だから」と言って、なにかと目をかけてくれたのに、ずいぶんと恩知らずな話である。あんなに一生懸命教えてくれたイアラーブも、今ではもうすっかり忘れてしまった。ごめんね、サマル!でもやっぱりイアラーブは、何の役にも立たない無駄な学問だと思うぞ・・・
サマルとイタリア人の生徒たちの逸話は尽きないけれど、「サマル先生の思い出」シリーズは一応これで終了です。読んでくれた人、ありがとう。