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昭和50年白堊野球物語1 作:佐藤泰久(S42)

2025年07月04日 |  白堊野球物語
【管理人より一言】
私にとって「盛商は一高の永遠のライバル」です。
今の若い人にはピンと来ないだろうと思いますが、昭和50年夏の決勝を目撃した一高生、同窓生は私と同じ思いに違いありません。

あの日、宿命のライバルの一戦に超満員となった県営球場の光景が目に浮かびます。試合後の口惜しさ、脱力感、無力感が甦ります。当時盛商の2年生だった2歳違いの妹と1週間以上口がきけなかったことも懐かしい思い出です。

さて、盛商創立100周年記念野球試合まであと3日となりました。

そこで、盛商と一高のライバル関係を軸に構成され、一高硬式野球部創部100周年時の一高-盛商OB戦にも触れられています「昭和50年白堊野球物語」をご紹介します。

この物語は、盛岡一高昭和42年卒佐藤泰久さんより白堊スポーツHPに数年前寄稿して頂いたものです。皆様の盛商、一高への熱き思いも寄せて頂ければありがたいと存じます。

では、物語のスタートです。

・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・・ ・・・


昭和50年の盛岡一高野球部、それは白堊野球史上5本の指に入る強チームだった。私は盛岡一高野球部の戦後第1期黄金時代は昭和24年、25年甲子園連続出場の時代、第2期黄金時代は昭和31年、32年の県大会連続優勝の時代、第3期黄金時代は昭和43年~53年、2度の甲子園出場、県大会準優勝1回、ベスト4が1回、ベスト8が2回のこの時代と考えている。その後は県大会準優勝2回、ベスト8が4回はあるものの黄金時代とは呼べないだろう。

昭和50年のチームのピッチャー林、キャッチャー金野の黄金コンビは後にそれぞれ東京六大学の立教、明治のキャプテンとなるが、盛岡一高時代はそのようなことになろうとは本人も含め誰一人知る由もない。このチームの強さの片鱗は昭和49年秋季新人大会に伺える。

盛岡市大会   ○7-2平舘、○3-1盛岡三
岩手県大会   ○7-3一関二、○6-2一戸、○3-2盛岡商、○9-2高田

と、県大会を制覇、東北大会に駒を進めた。

【注】文章は2005年6月時点のものです。

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