行雲流水の如くに

「西郷南洲遺訓」ーー山形県酒田市に西郷南洲神社があるわけ

薩長連合は江戸無血開城を行ったあと、薩摩の兵は東北へ攻めていく。

強力な薩摩軍にかなわず庄内軍は降伏する。

その時に西郷は、庄内藩の武士には、負けても武士だというほこりがあるはずだとして帯刀をそのまま許す。

逆に入城した薩摩軍の荒っぽい芋侍から、大小二つとも取り上げて丸腰で入場させた。

そのことに酒田の人たちは西郷に感謝し、その後も西郷から訓育を受けることになる。

至誠や武士道を重んじる態度に尊敬と感謝の念が広がった。

 

クリスマスローズ(2021,4,29)

本州ではその名前の通り花を咲かせているようだが、北海道ではまだ雪の中だ。

花が見られるのは4月になるだろう。

明治3年(1870)、庄内藩主・酒井忠篤と家臣の藩士ら70人余りが、西郷を訪ねて鹿児島に赴き、3か月も滞在した。

西郷が賊名を負って死んだ後も遺徳をしのび続け、遺訓編纂に取り組んだ。

その中の一文、

「廟堂に立ちて大政を為すは、天道を行うものなれば、いささかとも私を挟みては済まぬものなり」

今の政治家どんな本を読んでいるのだろう?

数年前には、私を専らにして何ら恥を感じない宰相がいたようだが。

 

おかめざくら(2121,5,8)

陽が少しづつ長くなっている。

しかしあたり一面雪景色だ。春の訪れが待ち遠しい。


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