行雲流水の如くに

物忘れのありがたさ

人が生きていれば、楽しいことも苦しいことも入れ替わりやって来る。

先人は、それを「禍福はあざなえる縄の如し」と称した。

若し脳に「忘れる」という機能が無かったら、苦痛な記憶が何時までも残る。

そう考えたら、年を取って「物忘れする」などは、そのまま受け入れたらよいのだろう。

 

 

もっともあまりに「物忘れ」がひどいと会話が通じなくなる。

昔から「以心伝心」という言葉がある。

話を通じさせる、ではなく、心を通わせる、ことを心掛けたほうが良いのかもしれない。

 

フクシア

 

老子の言うような境地が望ましいが、凡人にはなかなか難しい。

学を求める者は日ましに知をましてゆくが、道を行うものは日ましに知を減らしてゆく。

絶えず減らしてゆくと、やがては無為の境地に至る。

 


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