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中世への憧れ

teacupから引っ越してきました。

まじめである・・・・てどうよ

2012-09-14 00:03:00 | 感傷

1月前の高校の同窓会の時、数学を教わったA先生を、奥様がお迎えに来た。
それで、私と他2名がお見送りしたのだが、

私以外の2名は、ちゃんと奥様に紹介していたのに、

私を紹介しようとして、言葉に詰まってしまわれた。
出てきたお言葉が、「一番前の席で、いつも聞いていた~」

そういう印象だったようだ。

真面目すぎたよなあ。でも、余りふざけるのが上手で無く、そういう個性だった。
今は、大分遊んでいるが、遊び過ぎかもしれない。

時が止まった一角

2011-04-23 12:16:00 | 感傷
実家に持ち帰った本を整理していた。

倉庫と化した私の部屋は休む場所もなく、亡き親父の事務室で休憩する。

ふと、机の横のカレンダーを見ると、2008年2月になっていた。

部屋の主である親父が入院したときで、時が止まっているということに気づいた。何とも

雨ニモ負ケズ

2010-05-21 05:32:00 | 感傷
雨ニモ マケズ
風ニモ マケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモ負ケヌ
丈夫ナ体ヲモチ

欲ハナク 決シテ怒ラズ
イツモ静カニ笑ツテイル

一日ニ玄米四合ト味噌ト
少シノ野菜ヲ食ベ

アラユルコトヲ自ブンヲ カンジョウ
ニ入レズニ

ヨクミキキシ ワカリ
ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニソウナ人アレバ 行ッテコワガラナクテモイイトイヒ
北ニケンカヤソショウアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒデリノトキハ ナミダヲナガシ
サムサノナツハ オロオロアルキ
ミンナニデクノボウトヨバレ

ホメラレモセズ クニモサレズ
カウイウモノニ ワタシハナリタイ

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心病む人に、「雨ニモ負ケズ」はキツイ。しかし、健全な人には励みとなる。
そして、今の私には、こういう言葉は必要だ。

中学の頃、国語の時間に「雨ニモ負ケズ」を習って
(もしかしたら、ラジオ「中学生の勉強室」でだったかもしれない。)
私の初恋の彼女は、ノートの裏表紙に、この詩を書きうつしていた。

純粋で、性格がよく、勉強がよくできる良い子であった。
今はどうしているか分からないが、昔を思い出すと、醜態をさらしている現在の自分に恥じ入るばかりである。

諸人こぞりて  上野で

2009-12-20 21:55:00 | 感傷
こういう描写をどういう風にしていいのか、複雑な思いである。
昨日土偶展を見にゆくと、上野公園の東博より、国立科学博物館の正面の広場に凄い人の数があった。少し汗臭いような、尿っぽい臭いも混じったような、余り好ましくないような臭い。

それは、何百人と並ぶ炊き出し待ちの列であった。

ちょっと離れた所からは「諸人こぞりて」が聞こえ、年末・クリスマスシーズンを感じさせる。よくよく見ると、そういう歌声を奏でている人たちも、炊き出しに並んでいる方々とほぼ同じような感じの人々であった。

恐らく、キリスト教関係の慈善団体が、クリスマスキャロルを歌い、少し説教をしてから炊き出しをするのではないかと思う。単に施しをするだけでなく、布教活動をしているのかなあと思う。

時々、上のような臭いをさせている人と、公園や神社、時には図書館で会うことがある。
近づきがたく、触りたくもないのであるが、

一歩誤れば、私も同じ立場にあったかもしれない。
処世を間違えれば、あるいは病気と言うことである。
自分の心の中には、彼らへの嫌悪感と、同じ身になりうる悲観から何とかしてあげたいという気持ちが同居している。何隔てなく彼らと話をし、慈善活動をしている人たちが、まぶしくて仕方がない。


オーストリアの印象

2009-10-06 00:01:00 | 感傷
いきなり、日本史ネタから飛び出て、オーストリアの話。
「オーストリア」って、今では、「オーストリー」って言うんですかね?

↓私の知り合いサイトご覧ください。
http://www.onyx.dti.ne.jp/~sissi/erz-142.htm

私の中では、オーストリアは全然悪い印象がないんです。
黄色人として、日本人を差別しないというのと、観光立国だけあって、大体英語が話せるし(フランス語、イタリア語、母国語のドイツ語は勿論です。)4~5ヶ国語話せる人が結構いますし。
他の国では、ぼられそうになったりしたことがあるのですが、この国では1週間居ましたが、そういう経験はありませんでした。

個人的体験で申し訳ないのですが、オーストリアの外でも何度かこの国の人と知り合った経験があるのですが、ドイツ人のように群れていないし、何かおっとりしていて、優しい感じがしました。

全ての人が、そうなのかは分かりません。私の中では恋しきオーストリアであり、いつもウィンナーワルツが流れているようなオーストリアなのです。

恋愛に似て、最初は良き面ばかり見た「誤解」で始まり、異なることの「憎悪」に変わり、更にそれを乗り越えての相互「理解」に繋がる。私はまだ誤解のままなのかもしれない。