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中世への憧れ

teacupから引っ越してきました。

弥彦温泉から出雲崎へ

2021-12-09 02:42:00 | 
朝飯を7時にいただき、弥彦神社に参拝する。K君に教わった権宮司のお屋敷は冬季はやっていないとのことで残念なことであった。駅前の宿から神社まで距離があって、参拝しているうちに電車の時間をすぎてしまい、平日には11時過ぎまで、電車がないことに気がつく。これで、出雲崎にゆくと時間がなくなるので、宿に相談してタクシーを呼んでもらう。

弥彦から出雲崎までは20kmくらいあり1時間くらいかかる。タクシー代は1万円弱と見たが、なかなか来れる旅ではないので、頼んだ。弥彦から出雲崎までは、海岸1回にも関わらず結構山がちな地形で、田舎の村々の景色を眺めつつ向かう。

目的地は、良寛記念館と石油記念公園だったが、良寛記念館は山の上で、佐渡が見える丘の上で見晴らしは良かったが、出雲崎の街や石油記念公園は少し離れている。記念館の人が街並みの見所を教えてくれ、長岡行きのバスの時刻まで教えてくれたので、

良寛記念館をゆっくり見た後は、雨が降り出していることもあって、バッグを預かってもらい、階段で出雲崎の街へ降りる。階段はコンクリートの屋根があって、雪が降っても問題なさそう、しかも5分程で待ちに降りられる。

良寛堂(良寛の生家の跡地)、妻入りの街並み、石油記念公園、道の駅に併設の歴史博物館と石油採掘の博物館を駆け足で見る。
帰りがけ「北国街道妻入り記念館」を見学する。預けていた荷物を引き取り、長岡行きバスの時間にも10分前には間に合う。
長岡までは1時間かかり、料金は960円であったが、出雲崎の駅で(大人の休日チケットで)運賃の掛からないJRに乗るのと、時間的、風情的、料金的にどちらが良かったのかはよく分からない。

昼食をとる間も無く、行動していたので、長岡で遅い昼食を駅ナカの寿司屋で食べる。お土産も駅ナカで。結局長岡から新幹線に乗り、予定通り自宅に着く。

糸魚川市へゆく

2021-12-09 02:22:00 | 
十日町を7時台の電車に乗り、ほくほく線と越後ときめき鉄道で、糸魚川市に向かう。
本当はフォッサマグナ博物館に行会いところであったが、長期の修繕休館中で、すぐ隣の長者ヶ原考古館に行く。
ヒスイの加工が行われていた遺跡であり、縄文遺跡としては重要な位置にあった可能性がある。
ヒスイは本来宝飾品としてではなく、磨製石器を磨くためといった記載がある。

バスで駅から移動したのだが、殆ど誰も乗っておらず、博物館も1人っきりで、掃除していたおばさんが受付から、暖房を入れたりビデオを動かしたりと親切にしてくれた。

駅へ戻るバスで、運転手に相馬御風の記念館のそばを通るのかと聞いたら、よく知らなかったようだが、車を止めて調べてくれて、市役所のそばにあって通るというので、近所で降ろしてもらう。
相馬御風というのは、早稲田の校歌「都の西北」とかを書いた作詞家である。糸魚川を調べていて初めて知ったのであるが。

前の晩パソコンをWiFiに繋ぎ、ネットで漸く予約した弥彦温泉の宿のチェックインの時間があったので、余りのんびりできずに向かう。予定通り16時には温泉に着いて、疲れていたせいもあり、温泉に入り夕飯を食べる。ここもWiFiが入っていたが、電波がイマイチ弱い。

十日町へ行く 2021年12月4日(土)のこと

2021-12-09 02:04:00 | 
本当は朝早く行動すべきだったのかもしれないが、心の迷いもありゆっくり家を出る。
上越新幹線であっという間でに湯沢温泉。そこから、ほくほく線で十日待ちに着く。
既に湯沢温泉についたときには、空は鉛色の空であった。
十日町に着いたときには、雨がポツポツ降っていた。

インフォメーションでホテルの位置と博物館の位置を聞いて、コインロッカーに荷物を預け、博物館に先に行くことにした。
歩いて博物館までゆく。ここが目的地で、火焔土器を堪能した。
他に織物として、「越後あんぎん」などの展示や、雪国の暮らしに関するもの。
博物館は建て替えられたばかりのようで、展示が工夫されていた。

駅の反対側のビジネスホテルに向かう。街は伝統を感じさせ、商店街も広がるが、活気はなかった。
夕食は、へぎ蕎麦を食べる。海藻をつなぎに使っているらしい。


翌日は三輪山に登る 2021年10月31日(日)のこと

2021-11-01 00:01:00 | 
朝少し雨、後に曇り、日中は晴れ。

(1)朝
朝起きると、奈良は雨であった。近くにドラックストアは無いかホテルのフロントに聞くと、結構近くにあった。
お世話になったSさんに、虫刺されのかゆみ止めを買ったが、痒みは止まったとかで、その必要はなかった。

(2)この日は桜井市へ
朝食は奈良駅のパン屋さんで朝食を食べる。奈良駅より桜井線で三輪山へ。ここの大神大社に昔あった大御輪寺がかつて聖林寺の十一面菩薩があったことで知られる。それを講座で聞いたのがここにくる切掛となった。

三輪山は登拝が元々制限がされていて、大神神社の摂社 狹井神社へ届けを出して登拝料を支払って登る。400m程の山だが、登山道は整備されているが、結構疲れる。古代の信仰の対象であり、岩屋の岩は古代の信仰の痕跡であるはずだが、疲れてしまい、余りよく見なかった。

ここにきた切掛を作った大御輪寺。今は若宮神社を参拝する。研究報告を聞いて聖林寺十一面観音のことも知ってその地を訪れるというのは何とも感動的である。

下山して、三輪そうめんと箱寿司で昼食にした。とても美味しかった。ビールもいただいたが美味しかった。昔ながらの店構で、古い大きな金庫などが置いてあり、面白かった。近くに「みむろ」という最中を売っている店があり、この最中も美味しかった。

(3)京都に出て帰る
京都に出てSさんと別れ別々の新幹線で帰る。缶ビールと駅弁で、少し食べすぎである。


小田原城天守閣へ行く 2021年05月29日(土)のこと

2021-05-30 00:01:00 | 
晴れ
風があり、心地よい

アクセス数:
万歩計:

(1)小田原城天守閣
3月の諏訪間館長ガイドの小田原城惣構え散策でいただいた小田原城天守閣の入場券が残っていたので、その時の同行者Sさんと
小田急の駅で待ち合わせて、小田原城天守閣にゆく。銅門二階の空間に入ってみると、天井は古式に習った手斧の後。天守閣は博物館位なっており、北条氏の栄枯盛衰 特に小田原攻めの時のことがよく分かる。

(2)だるま屋で昼食
天守閣の近くで、昼食を取ろうと2、3日前にネットで見つけておいた老舗だるま屋で食事をする。お刺身や天ぷらで有名らしく、建物も大正時代の建築で、面白い。少し昼食にしては値が張る(2千円くらい)と思ったが、良き思い出であり、同行者が育ちの良いSさんなので問題なかった。ごま油で揚げた天ぷらは特に美味しいと思った。

(3)大堀切
登り坂がきつかったが、小田原城の西側を北方に向けて登り、大堀切にゆく。戦国時代の惣構えの遺構で本当に素晴らしい。3月の復習だが、逆方向からなので、大分雰囲気が違う。

(4)石垣山一夜城
小田原高校横の道を急勾配で下ると、小田原城新幹線口に直ぐに着くことができる。予約していたレンタカー(3時間)を借りて、石垣山一夜城へ行く。10年前子供達と来た時と大分変わって、綺麗に整備されていた。前にはあまり気がつかなかった井戸曲輪の石垣が野面積みだったが、素晴らしかった。豊臣秀吉は、惜しみなく資金をつぎ込み、一夜城を見せつけ、大軍を見せつけることで北条の戦意を削いでしまったのは、凄いことである。戦略的とでも言おうか。

(5)反省会
夕方になり、鎧坂ファームには立ち寄れなかったが、石垣山一夜城は十分楽しんだ。レンタカーの営業城に戻すと、10kmほどしか乗ってなくて、ガソリン代は100円もしなかった。街中にある北条氏政、氏照の墓所をみて、魚民で反省会。神奈川県はコロナの蔓延防止対象区域になっているところが多いが、小田原は指定されておらず(6月1日から指定)、夜の街も華やいでいた。
居酒屋でお酒が飲めるのも、久しぶりのこと。