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東京シティ・フィル第373回定期(10月3日)

2024年10月04日 | 東京シティフィル
常任指揮者高関健が振るスメタナの連作交響詩「わが祖国」全曲である。高関は2015年4月の楽団常任指揮者就任時のお披露目定期でもこの曲を取り上げ、それまでこの楽団からは聞いたこともないような密度の濃い音と音楽に大層驚いたことを鮮明に覚えている。その日のブログを私はこう結んでいる。「これまでも矢崎彦太郎のフランス音楽のシリーズや飯守泰次郎のワーグナーの演奏会形式の演奏などで数々の名演を残したこのオーケストラではあったが、今回の名演は明らかにそれらとは次元を異にした世界への飛躍を感じさせるものであった。この日オペラシティコンサートホールに溢れ出た音楽をいったい何と表現したら良いのだろうか。仮にこの演奏が「プラハの春音楽祭」のオープニングコンサートで鳴り渡ったとしても、おそらく大きな喝采を得ただろう。これからの高関+東京シティ・フィルから目を離すことはできない。」事実この10年間にこのオーケストラは高関の薫陶を得て長足の進歩を遂げ、それが今回の演奏に結実したと言って良いだろう。それほど完成度が高く感動を呼ぶ仕上がりであった。外連味を一切廃しじっくりと腰を据えてスコアに取り組む中から作曲者の本質を掘り出すという高関の基本姿勢が当に最大限に発揮された名演である。練り上げられた弦の音色、木管群の多彩な表現力とアンサンブルの妙、ホルンを始めとする金管群の迫力、切れ良くニュアンス豊かなティンパニ。それらが一体となって高関の「スメタナ愛」全開の音楽展開に最大限に寄与した。とりわけ「ヴァルダヴァ」や「シャールカ」や「ボヘミアの森と草原から」のような描写性の強い楽曲では風景が目に見えるようだったし、全般的に多用されるている舞曲調のリズムや表現のニュアンスも特筆すべきもので、それらは今回の演奏の大きな特色だったと言えるだろう。日頃のベートーヴェンやブルックナーでは作曲家のオリジナルを求めて原典主義を貫く高関なのだが、この曲に限ってはチェコ・フィルが常用するスコアを下敷きにした演奏だったという。聞き慣れない細部の音が聞こえてきて響に深みを与えていたような気もするのは、高関がスコアの意を踏まえて忠実に再現したからなのかも知れない。長い歴史の中でチェコの巨匠指揮者達がチェコのオケと共に考え抜いてきた表現こそが、作曲当時聴覚をすでに失っていたスメタナの筆を正統に補っているとの理解なのであろうから、私はそれはそれで十分見識のある取り組みだと大いに共感したい。「モルダウ」が終わるやいなや会場後方から「ブラボー」の声がかかってしまったが、誰一人としてそれを非難する聴衆は居なかったのではないか。誰だってそれに共感できたであろう、それほどの演奏だったのだ。

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