English follows Japanese
ケビン、デイルからの書込みです。
悲報について皆さんに真摯にお伝えします。
友人、家族、そして”Life in San Francisco”を大切に思ってくださる皆さんへ。
私たちは花と愛がある、この世界でつながっています。マシュウの言葉と写真と彼の語ったストーリーを胸に。
かつてない悲しい書込みをします。計り知れない悲しみとやりきれない思いですが、伝えなければなりません。去る2008年7月5日、マシュウがこの世を去りました。
彼は亡くなりました。
これを読むすべての皆さん、このブログやここでの繋り、語り合った言葉や皆さんの愛こそマシュウの人生にとってかけがえのないものだったということを覚えていてください。
目を閉じれば、写真や手紙、花など心のこもったメッセージを受け取って幸せに笑うマシュウが見えます。ソファーに座って、チッピーと家で、ベランダで、食卓で、すべてのメッセージを嬉しそうに読んでいました。皆さんの言葉はいつも励ましと理解に溢れていました。
マシュウがここに綴った言葉、掲載されている写真、花、他作品、思いやりや繋りに皆さんからのコメント、その返事。”Life in San Francisco”という完ぺきな集大成には比べようもなく、私からマシュウに捧げる言葉も見つかりません。ひとつひとつの書き込みに、マシュウは人生を注いでいました。
しかし、このブログでは語られなかったマシュウの希望や夢、人生について語ろうと思います。知る人はいないかもしれませんが、繊細かつ類まれな才能を持つ“フラワーボーイ”マシュウは43年前、東京のある芸術一家に生まれました。
かつてマシュウが話してくれたことがあります。自分がどのようにして自然の美やその言葉を理解するようになったか。どれだけ新しい蕾がその密やかな美しさで世界にぬくもりをもたらすかということを。
1960年代後半のこと、マシュウはまだ子どもです。東京で彼の祖父は戦前から開業医をしていました。海外留学をしていた彼は幼い孫を開眼させ、その心を異文化へと導きます。また、ただひとりの美しい自分として生まれたことに感謝しなさいと教えます。
大人になると、マシュウはその愛する祖父の手入れの行き届いた庭を思い出します。そこには、幼いころから心を捕らえて止まないもみじの木がありました。
日本のもみじは実に遅々として成長します。マシュウはいつも、もみじの木は年に1~2インチ(約2.5~5cm)も育たないのだと話していました。そのわずかな成長は余程の観察眼がなければほとんど誰も気が付きません。2人の熱心な観察者、マシュウと彼の祖父がそうです。
日本中がまばゆいような赤、燃えるオレンジ色で秋の到来を祝う間、マシュウと彼の祖父とは1本の木に思いを巡らせ、希望とともに、その中の新芽は緑になってそのうちしっかりとした赤ワイン色の樹木へ茂ると感じ取ります。
マシュウにとっては大人になっても祖父の教えはいつも共にあるものです。人間が非情なまでに美しい木を切り落として、嘆くときも。その繊細でいたわりに満ちた両手に猫を抱くときも、トケイソウのつぼみ、そしてボロボロのポップコーンを手にするときも、彼と共にあって微笑みかけます。
フラワーデザイナーとしてのマシュウは、アレンジしてから数日後に全盛を迎えるよう花を選びます。芸術家としてマシュウは、花瓶の中その茎がずっと長い間伸びていけるよう配慮します。人として、アレンジの中で花がまだ咲いていないという幸せを有難く感じます。徐々に変わっていく花のようすを皆に味わってもらえるだろうことに感謝して。ほんの一瞬見る人ですら、まだ見ぬ成長を秘めたその愛と希望のメッセージを感じ取ることでしょう。
少し前、オークランド市のハリソン通りにあるビルの警備員と少し前にかわした会話が思い出されます。マシュウは毎週ロビーの花をアレンジしていました。その警備員は過剰なコンクリートに囲まれて美しい自然がほとんどないような都市部で生まれ育ったといいます。彼は毎週、私の来訪をいつも快く迎えてくれました。そして、新しい蕾や曲がった茎、そして完璧なかたちに垂れている葉を指差して、「誓って言うけど、こういうの昨日までは無かったんだ。」と、笑いながら主張するのです。
「月曜から金曜まで毎日この作品を見てるのに、まだなんだよ、金曜が来てサヨナラって時が来てるのに、まだ最後まで、見られるはずのものを見てない。いったい彼はどうやってるんだ?」
いったい彼はどうやっているのか。90年代半ばのこと、マシュウと長年のパートナーであるデイルは東京からサンフランシスコへ転居しようとしていました。ファッションとビジネスで華やかな経歴を得た後で、マシュウは何か新しいことをする時期だと感じます。もしかすると、あの庭で祖父から学んだことにあやかろうと考えたのかもしれません。
気持の上で、新たな人生が何かは決まっていました。花です。
マシュウが花を手にすると、それは真っ直ぐ彼の心に語りかけます。“花の言葉”で。
花と話す魔法。聴こえてくるのです。花がこの世界に咲き誇ろうとしている囁きが。何を望んでいるか、どう育てられたいか、何を言わんとしているかを信じることです。
このブログはマシュウの花に溢れています。王や王妃のためにアレンジした花。歌手のため、企業に、教会や学校の子供たちへ、教師へ、看護婦の方へ、近所の人々へ、そして私のため。結婚式はじめユダヤ教の成人祝福式バルミツヴァ、卒業舞踏会プロム、その他数々のお披露目パーティーに赤ちゃん誕生を祝うベビーシャワーから法事まで。マシュウが自身で数えてみると、自分のアレンジした花で喜んでもらった人数は100万人を越えていました。
マシュウが人生を捧げたほとんど誰も気が付くことのない儚い人類の樹の新芽に、若枝に、喜びの調べに共に希望を抱いてください。この儚い若枝がしっかりとした樹木の愛すべき枝となって、皆で登ったり、立ったり、ぶら下がったりできるようになると祈ってください。世界の重さに耐えられるほど大きな枝に。世界中の愛。
そしてマシュウは生涯、人として愛を全うしました。彼が花の水彩画を描く新しい’boy’に出会った証人でいてください。共に花と語らい、その言葉に耳を傾ける。花は確かに答え、幸せなふたりに、無限に花開くことのできる大地を与えてくれました。
’boy’は私です。多くの花の前や庭、通りや彼の働いたフラワーショップに、そして水彩具の色の中にマシュウとケビンは心をつなぐ言葉を見つけたのです。
ドロレスパークやノエ通り、オーシャンビーチやブラックサンズビーチで、花の声なき歌声に心を合わせます。私たちは通り過ぎる全ての花に心慎ましやかに成らざるを得ません。ハワイで出会ったヘリコニア、カストロ地区のプロテア、メリット湖のプラムの咲き初めのようす全ての神秘な姿に立ち止まりました。
花の詩は歌となり、その歌は私たちふたりの心と愛を込めて、世界の希望と光とともに紡がれます。
しかし、庭の外では花々は風に飛ばされ、車に轢かれます。木々は切り落とされます。地面は人と人、国と国を分けるため、柵を設けるために掘り起こされます。
私には皆さんの悲しみや怒り、そして戸惑いなど壮大で尊い嘆きを静めるために何もできません。何故こんなことが起きたのか。なぜこんな美しいことが誤るのか。どんな怪物が美しい花や庭を脅かし、私たちの愛する”フラワーボーイ”を苦しめたのか。誰が必要な時間をゆがめてしまったのか。いったい何故、こんな幸せが死へと変わったのか。
私の願いは、きっとマシュウも、皆さんが楽しく、幸せで、愛情豊かに、平穏に、そしてここで分かち合った素晴らしい繋がりを保っていくことです。
マシュウの教えてくれたこと、熱い思い、そしてマシュウの花は私たちみんなの心の中で生きています。
マシュウの夢は、私たちみんなのキッチンで、庭で、窓際で成長しながら、永遠に世界中に愛を生み出し、その記憶を大切にしながら何度も花開きます。
どうか私と共にマシュウの小さな若芽が丈夫な枝葉になると願い、祈り、そして希望を持ってください。
-ケビン・ウッドソン
PLEASE WRITE YOUR OWN THOUGHTS:
想いを、考えたことを記してください。
是非、ここにあなたのコメントや思い出、花にまつわる話、希望、怒り、悲しみ、嘆きも書き込んでください。互いに意見し合って、花瓶には好きな花を飾り、新しい友達にはおいしい料理を振る舞い、皆さんのブログにリンクを貼ってください。どうか、この悲しくてたまらない書き込みを知らせ合って、約4年間マシュウが私たちに与えてくれた無償の愛も届けてください。
このブログは当分の間、ここにあけておきます。愛すべきマシュウがいた記憶の証として。Life In San Franciscoは皆さんや、花や愛する人のものであり、そして私たちの一番幸せな思い出の場所です。
AN OFFER:
申し出
みなさんご存知のように私は何百枚もの花の絵をマシュウのために描きました。ご存知のように、私がマシュウに送ったラブレターの「絵葉書き」です。ここにも多くを載せましたが、私はほぼ毎日、マシュウのため描き続けました。
マシュウのことを覚えていたいと願うどんな方にも何か出来ればと思います。
この花の絵葉書をこのブログを読んでくれた方やLife In San Franciscoにいらした方々に贈ることができれば幸いです。
遠慮やためらったりしないでください。
マシュウは自分のための絵がみなさんの家や教会、神社かもしれませんが、庭などに、またはあなたが大切に思う誰かにあげたりして生かされるのをきっと喜んだと思います。
花の絵葉書を欲しいと思ってくださる方々へ
● 封筒に自分の宛先を記入した返信用封筒をご同封の上、ケビンまで送ってください
送り先)
Kevin Woodson
484 Lakepark #73
Oakland, CA
94610
USA
● ご自分の宛先を書いた返信用の封筒は絵葉書が十分に入るサイズ(最小 1辺が約11cm×13cm以上)をご用意ください
● 絵葉書は原画ですので、適した丈夫な封筒でお願いします
● 郵便為替などで送料を支払ってくださることは有難いですが、もちろん無くても構いません
● ご質問があれば私までご連絡ください。 kwoodson@kevinwoodson.com
困ってしまいますので、この住所に贈り物など送ったりしないでください。個人的な思い出の品もやめてください。マシュウの思い出は私たちみんなのために是非ここで語ってください。
WHAT TO EXPECT
これからのこと
デイル、チッピー、マシュウの家族、サンフランシスコの友人、そして私は恐ろしく過ぎていく毎日に悲しみを重ねつらく苦しんでいます。しかし、私たちは大丈夫です。マシュウを想い、またマシュウは私たちを想っているのだと信じることに、安らぎを見出しました。
マシュウのEメール matthewsfca@goo.jp は、常時チェックされていませんので、
ここからの返事はいたしません。
私たちはここに書き込みが集まるのを楽しみにしています。そして同様にお互い安らぎが見出せれば幸いです。みなさんのブログへと繋がり、その書き込みを、哀惜の念なら殊更、読むことができるのを心待ちにしています。
マシュウの愛するもの、このコミュニティ、そして世界中にある花が私たちの心をひとつに束ね、いつでもそういられる世界なのだと教えてくれるでしょう。
幸せ、思いやり、そしてあの何よりも静かな囁きに感動と喜びを持って耳を傾ける世界なのだと。
A NOTE FROM DALE:
デイルの言葉
マシュウの家族やケビンと共に彼の死を悼むということは、人生最大の悲劇です。
何と言えば良いのか。腰を落ち着け、そのことを考えるだけで、マシュウの人生を綴った何冊もの本が書けるほどです。どうやって彼と知り合ったかや共に歩んだ人生がどんなだったか、彼が私やみんなにどれだけの喜びや素晴らしいことをもたらしてくれたか、そしてどれだけの無償の支えと愛を私に注いでくれたか。
出会ったときのことを今でも覚えています。どんな部屋で私はどこに座り、どこから彼が私の方へ近付いてきたかを鮮明に思い起こすことができます。
私もマシュウも出会ったその場所に行く予定はありませんでした。私はちょうど退院して間もない頃でした。彼は友人にも始めそこへいく予定じゃなかったと言っていました。けれども、彼も私もちょうどその場所へ出かけたのです。
この空間と時間で織り成す布のほんのひとつの皺の中で、私たちの道は交わり、マシュウと私の人生は絡まったのです。
マシュウは私の初恋の人です。かつて私たちは若く無知でした。世界は自分たちを待ち望み、自分たちはその世界へ漕ぎ出だすのだと思っていました。世界が開けたとき、私たちは同じものを同じときに見て、経験しました。芯の感性の部分で私たちは互いの人生を共有していました。
私たちは一緒にグアムや韓国、タイへ旅行に行きました。またアフリカのモーリシャスやケニア、タンザニアへも行きました。真っ黒いアフリカの夜空の下、天の川が地平線の端から端まで、文字通り川となって流れているのを目にしました。一晩中、アフリカの野生動物の鳴き声が賑やかに、時に優しく私たちの周りで語り合っていました。ひょっとすると、このときこそ私の人生で一番崇高のときであり続けるかもしれません。そのときをマシュウと共有したことに感謝の気持ちが溢れます。
私たちは渡米の際、サンフランシスコに落ち着くことは妥協案でした。
私はアメリカに帰りたかった。マシュウはサンフランシスコに住むならと同意しました。そして移ってみると、この街には絶対的な魔力がありました。サンフランシスコにはきっと、他の町で感じる圧迫感からは自由な、「自分」が本当に「自分」でいられるよう勇気を与える何かがあります。私たち両方ともがその魔力を感じました。
この場所を教えてくれた彼に感謝しています。彼がいなければ、私はこんな場所だとは想像しなかったでしょう。
マシュウほど心から信頼できた人は世の中にいません。私が分かっているのは、彼は何があろうと私を愛す位本当に惜しみなく無償の愛と援助を与える人だということです。そういう心の美しい人でした。
LiSFを通し、皆さんもマシュウの人間性と愛を知るようになってくださればと思います。そして心のどこかに彼の精神も抱いていこうと思ってくだされば幸いです。
私には彼が私のところに訪れたことが分かります。
私にはその彼の美しい人間性と愛を感じることができます。
もし、皆さんも心を開いたなら、きっと同じように感じることができると信じています。
-デイル・バーンズ
ケビン、デイルからの書込みです。
悲報について皆さんに真摯にお伝えします。
友人、家族、そして”Life in San Francisco”を大切に思ってくださる皆さんへ。
私たちは花と愛がある、この世界でつながっています。マシュウの言葉と写真と彼の語ったストーリーを胸に。
かつてない悲しい書込みをします。計り知れない悲しみとやりきれない思いですが、伝えなければなりません。去る2008年7月5日、マシュウがこの世を去りました。
彼は亡くなりました。
これを読むすべての皆さん、このブログやここでの繋り、語り合った言葉や皆さんの愛こそマシュウの人生にとってかけがえのないものだったということを覚えていてください。
目を閉じれば、写真や手紙、花など心のこもったメッセージを受け取って幸せに笑うマシュウが見えます。ソファーに座って、チッピーと家で、ベランダで、食卓で、すべてのメッセージを嬉しそうに読んでいました。皆さんの言葉はいつも励ましと理解に溢れていました。
マシュウがここに綴った言葉、掲載されている写真、花、他作品、思いやりや繋りに皆さんからのコメント、その返事。”Life in San Francisco”という完ぺきな集大成には比べようもなく、私からマシュウに捧げる言葉も見つかりません。ひとつひとつの書き込みに、マシュウは人生を注いでいました。
しかし、このブログでは語られなかったマシュウの希望や夢、人生について語ろうと思います。知る人はいないかもしれませんが、繊細かつ類まれな才能を持つ“フラワーボーイ”マシュウは43年前、東京のある芸術一家に生まれました。
かつてマシュウが話してくれたことがあります。自分がどのようにして自然の美やその言葉を理解するようになったか。どれだけ新しい蕾がその密やかな美しさで世界にぬくもりをもたらすかということを。
1960年代後半のこと、マシュウはまだ子どもです。東京で彼の祖父は戦前から開業医をしていました。海外留学をしていた彼は幼い孫を開眼させ、その心を異文化へと導きます。また、ただひとりの美しい自分として生まれたことに感謝しなさいと教えます。
大人になると、マシュウはその愛する祖父の手入れの行き届いた庭を思い出します。そこには、幼いころから心を捕らえて止まないもみじの木がありました。
日本のもみじは実に遅々として成長します。マシュウはいつも、もみじの木は年に1~2インチ(約2.5~5cm)も育たないのだと話していました。そのわずかな成長は余程の観察眼がなければほとんど誰も気が付きません。2人の熱心な観察者、マシュウと彼の祖父がそうです。
日本中がまばゆいような赤、燃えるオレンジ色で秋の到来を祝う間、マシュウと彼の祖父とは1本の木に思いを巡らせ、希望とともに、その中の新芽は緑になってそのうちしっかりとした赤ワイン色の樹木へ茂ると感じ取ります。
マシュウにとっては大人になっても祖父の教えはいつも共にあるものです。人間が非情なまでに美しい木を切り落として、嘆くときも。その繊細でいたわりに満ちた両手に猫を抱くときも、トケイソウのつぼみ、そしてボロボロのポップコーンを手にするときも、彼と共にあって微笑みかけます。
フラワーデザイナーとしてのマシュウは、アレンジしてから数日後に全盛を迎えるよう花を選びます。芸術家としてマシュウは、花瓶の中その茎がずっと長い間伸びていけるよう配慮します。人として、アレンジの中で花がまだ咲いていないという幸せを有難く感じます。徐々に変わっていく花のようすを皆に味わってもらえるだろうことに感謝して。ほんの一瞬見る人ですら、まだ見ぬ成長を秘めたその愛と希望のメッセージを感じ取ることでしょう。
少し前、オークランド市のハリソン通りにあるビルの警備員と少し前にかわした会話が思い出されます。マシュウは毎週ロビーの花をアレンジしていました。その警備員は過剰なコンクリートに囲まれて美しい自然がほとんどないような都市部で生まれ育ったといいます。彼は毎週、私の来訪をいつも快く迎えてくれました。そして、新しい蕾や曲がった茎、そして完璧なかたちに垂れている葉を指差して、「誓って言うけど、こういうの昨日までは無かったんだ。」と、笑いながら主張するのです。
「月曜から金曜まで毎日この作品を見てるのに、まだなんだよ、金曜が来てサヨナラって時が来てるのに、まだ最後まで、見られるはずのものを見てない。いったい彼はどうやってるんだ?」
いったい彼はどうやっているのか。90年代半ばのこと、マシュウと長年のパートナーであるデイルは東京からサンフランシスコへ転居しようとしていました。ファッションとビジネスで華やかな経歴を得た後で、マシュウは何か新しいことをする時期だと感じます。もしかすると、あの庭で祖父から学んだことにあやかろうと考えたのかもしれません。
気持の上で、新たな人生が何かは決まっていました。花です。
マシュウが花を手にすると、それは真っ直ぐ彼の心に語りかけます。“花の言葉”で。
花と話す魔法。聴こえてくるのです。花がこの世界に咲き誇ろうとしている囁きが。何を望んでいるか、どう育てられたいか、何を言わんとしているかを信じることです。
このブログはマシュウの花に溢れています。王や王妃のためにアレンジした花。歌手のため、企業に、教会や学校の子供たちへ、教師へ、看護婦の方へ、近所の人々へ、そして私のため。結婚式はじめユダヤ教の成人祝福式バルミツヴァ、卒業舞踏会プロム、その他数々のお披露目パーティーに赤ちゃん誕生を祝うベビーシャワーから法事まで。マシュウが自身で数えてみると、自分のアレンジした花で喜んでもらった人数は100万人を越えていました。
マシュウが人生を捧げたほとんど誰も気が付くことのない儚い人類の樹の新芽に、若枝に、喜びの調べに共に希望を抱いてください。この儚い若枝がしっかりとした樹木の愛すべき枝となって、皆で登ったり、立ったり、ぶら下がったりできるようになると祈ってください。世界の重さに耐えられるほど大きな枝に。世界中の愛。
そしてマシュウは生涯、人として愛を全うしました。彼が花の水彩画を描く新しい’boy’に出会った証人でいてください。共に花と語らい、その言葉に耳を傾ける。花は確かに答え、幸せなふたりに、無限に花開くことのできる大地を与えてくれました。
’boy’は私です。多くの花の前や庭、通りや彼の働いたフラワーショップに、そして水彩具の色の中にマシュウとケビンは心をつなぐ言葉を見つけたのです。
ドロレスパークやノエ通り、オーシャンビーチやブラックサンズビーチで、花の声なき歌声に心を合わせます。私たちは通り過ぎる全ての花に心慎ましやかに成らざるを得ません。ハワイで出会ったヘリコニア、カストロ地区のプロテア、メリット湖のプラムの咲き初めのようす全ての神秘な姿に立ち止まりました。
花の詩は歌となり、その歌は私たちふたりの心と愛を込めて、世界の希望と光とともに紡がれます。
しかし、庭の外では花々は風に飛ばされ、車に轢かれます。木々は切り落とされます。地面は人と人、国と国を分けるため、柵を設けるために掘り起こされます。
私には皆さんの悲しみや怒り、そして戸惑いなど壮大で尊い嘆きを静めるために何もできません。何故こんなことが起きたのか。なぜこんな美しいことが誤るのか。どんな怪物が美しい花や庭を脅かし、私たちの愛する”フラワーボーイ”を苦しめたのか。誰が必要な時間をゆがめてしまったのか。いったい何故、こんな幸せが死へと変わったのか。
私の願いは、きっとマシュウも、皆さんが楽しく、幸せで、愛情豊かに、平穏に、そしてここで分かち合った素晴らしい繋がりを保っていくことです。
マシュウの教えてくれたこと、熱い思い、そしてマシュウの花は私たちみんなの心の中で生きています。
マシュウの夢は、私たちみんなのキッチンで、庭で、窓際で成長しながら、永遠に世界中に愛を生み出し、その記憶を大切にしながら何度も花開きます。
どうか私と共にマシュウの小さな若芽が丈夫な枝葉になると願い、祈り、そして希望を持ってください。
-ケビン・ウッドソン
PLEASE WRITE YOUR OWN THOUGHTS:
想いを、考えたことを記してください。
是非、ここにあなたのコメントや思い出、花にまつわる話、希望、怒り、悲しみ、嘆きも書き込んでください。互いに意見し合って、花瓶には好きな花を飾り、新しい友達にはおいしい料理を振る舞い、皆さんのブログにリンクを貼ってください。どうか、この悲しくてたまらない書き込みを知らせ合って、約4年間マシュウが私たちに与えてくれた無償の愛も届けてください。
このブログは当分の間、ここにあけておきます。愛すべきマシュウがいた記憶の証として。Life In San Franciscoは皆さんや、花や愛する人のものであり、そして私たちの一番幸せな思い出の場所です。
AN OFFER:
申し出
みなさんご存知のように私は何百枚もの花の絵をマシュウのために描きました。ご存知のように、私がマシュウに送ったラブレターの「絵葉書き」です。ここにも多くを載せましたが、私はほぼ毎日、マシュウのため描き続けました。
マシュウのことを覚えていたいと願うどんな方にも何か出来ればと思います。
この花の絵葉書をこのブログを読んでくれた方やLife In San Franciscoにいらした方々に贈ることができれば幸いです。
遠慮やためらったりしないでください。
マシュウは自分のための絵がみなさんの家や教会、神社かもしれませんが、庭などに、またはあなたが大切に思う誰かにあげたりして生かされるのをきっと喜んだと思います。
花の絵葉書を欲しいと思ってくださる方々へ
● 封筒に自分の宛先を記入した返信用封筒をご同封の上、ケビンまで送ってください
送り先)
Kevin Woodson
484 Lakepark #73
Oakland, CA
94610
USA
● ご自分の宛先を書いた返信用の封筒は絵葉書が十分に入るサイズ(最小 1辺が約11cm×13cm以上)をご用意ください
● 絵葉書は原画ですので、適した丈夫な封筒でお願いします
● 郵便為替などで送料を支払ってくださることは有難いですが、もちろん無くても構いません
● ご質問があれば私までご連絡ください。 kwoodson@kevinwoodson.com
困ってしまいますので、この住所に贈り物など送ったりしないでください。個人的な思い出の品もやめてください。マシュウの思い出は私たちみんなのために是非ここで語ってください。
WHAT TO EXPECT
これからのこと
デイル、チッピー、マシュウの家族、サンフランシスコの友人、そして私は恐ろしく過ぎていく毎日に悲しみを重ねつらく苦しんでいます。しかし、私たちは大丈夫です。マシュウを想い、またマシュウは私たちを想っているのだと信じることに、安らぎを見出しました。
マシュウのEメール matthewsfca@goo.jp は、常時チェックされていませんので、
ここからの返事はいたしません。
私たちはここに書き込みが集まるのを楽しみにしています。そして同様にお互い安らぎが見出せれば幸いです。みなさんのブログへと繋がり、その書き込みを、哀惜の念なら殊更、読むことができるのを心待ちにしています。
マシュウの愛するもの、このコミュニティ、そして世界中にある花が私たちの心をひとつに束ね、いつでもそういられる世界なのだと教えてくれるでしょう。
幸せ、思いやり、そしてあの何よりも静かな囁きに感動と喜びを持って耳を傾ける世界なのだと。
A NOTE FROM DALE:
デイルの言葉
マシュウの家族やケビンと共に彼の死を悼むということは、人生最大の悲劇です。
何と言えば良いのか。腰を落ち着け、そのことを考えるだけで、マシュウの人生を綴った何冊もの本が書けるほどです。どうやって彼と知り合ったかや共に歩んだ人生がどんなだったか、彼が私やみんなにどれだけの喜びや素晴らしいことをもたらしてくれたか、そしてどれだけの無償の支えと愛を私に注いでくれたか。
出会ったときのことを今でも覚えています。どんな部屋で私はどこに座り、どこから彼が私の方へ近付いてきたかを鮮明に思い起こすことができます。
私もマシュウも出会ったその場所に行く予定はありませんでした。私はちょうど退院して間もない頃でした。彼は友人にも始めそこへいく予定じゃなかったと言っていました。けれども、彼も私もちょうどその場所へ出かけたのです。
この空間と時間で織り成す布のほんのひとつの皺の中で、私たちの道は交わり、マシュウと私の人生は絡まったのです。
マシュウは私の初恋の人です。かつて私たちは若く無知でした。世界は自分たちを待ち望み、自分たちはその世界へ漕ぎ出だすのだと思っていました。世界が開けたとき、私たちは同じものを同じときに見て、経験しました。芯の感性の部分で私たちは互いの人生を共有していました。
私たちは一緒にグアムや韓国、タイへ旅行に行きました。またアフリカのモーリシャスやケニア、タンザニアへも行きました。真っ黒いアフリカの夜空の下、天の川が地平線の端から端まで、文字通り川となって流れているのを目にしました。一晩中、アフリカの野生動物の鳴き声が賑やかに、時に優しく私たちの周りで語り合っていました。ひょっとすると、このときこそ私の人生で一番崇高のときであり続けるかもしれません。そのときをマシュウと共有したことに感謝の気持ちが溢れます。
私たちは渡米の際、サンフランシスコに落ち着くことは妥協案でした。
私はアメリカに帰りたかった。マシュウはサンフランシスコに住むならと同意しました。そして移ってみると、この街には絶対的な魔力がありました。サンフランシスコにはきっと、他の町で感じる圧迫感からは自由な、「自分」が本当に「自分」でいられるよう勇気を与える何かがあります。私たち両方ともがその魔力を感じました。
この場所を教えてくれた彼に感謝しています。彼がいなければ、私はこんな場所だとは想像しなかったでしょう。
マシュウほど心から信頼できた人は世の中にいません。私が分かっているのは、彼は何があろうと私を愛す位本当に惜しみなく無償の愛と援助を与える人だということです。そういう心の美しい人でした。
LiSFを通し、皆さんもマシュウの人間性と愛を知るようになってくださればと思います。そして心のどこかに彼の精神も抱いていこうと思ってくだされば幸いです。
私には彼が私のところに訪れたことが分かります。
私にはその彼の美しい人間性と愛を感じることができます。
もし、皆さんも心を開いたなら、きっと同じように感じることができると信じています。
-デイル・バーンズ