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言霊をさがして

mattamanの一刀両談

我が子を亡くしてⅢ

2007年02月22日 20時36分43秒 | ムコ多糖症について
ただいるだけで

 
あなたがそこに
 
ただいるだけで
 
その場の空気が
 
明るくなる
 
あなたがそこに
 
ただいるだけで
 
みんなのこころが
 
やすらぐ
 
 そんなあなたに
 
 わたしもなりたい
相田みつを


 あまりにも有名な相田みつをさんの詩だけれど、
 
Tはまさにこんな子だった。
 
何がそうさせるのか、持って生まれたものとしか思えない。
 
神様がいるとしたら、神様が与えたとしか
 
思えないようなものをもっていた。
 
Tの周りには常に子供たちが
 
何重にも輪を作ってわいわいがやがや…。
 
かと思えば、先生に怒られたり、
 
友達とけんかしたりした子や心がさみしくなった子が
 
Tに向かい合って、話しかけてる。
 
廊下を自転車で走ると、各教室から手が振られたり、
 
笑顔が返ってくる。
 
Tの周りにいる子はいつも笑顔だ。
 
朝も昼も学校にいる間,
 
Tの周りに人がいないことはなかった。
 
そして、ただ遊んでいるだけでなく、
 
Tと心を通わせ、Tが何をしたいのか、
 
何を手伝って、何をしてはいけないかを
 
自然にわかるようになっていく。
 
 Tは、人の心を癒し
 
何が大切か、何を大事にしなければならないかを
 
言葉を話せなくても、物を持つことができなくても、
 
みんなと同じ速さで歩くことができなくても、
 
みんなに自然と教えていく力を持っていた。
 
 神様がいるとしたら「神の子」とはTそのものだった。
 
何も話せない、
 
聞くことも不自由、
 
何もできない。
 
けれど、周りで起こるすべてのことを
 
感じ取っているようだった。
 
悲しい出来事が起これば、涙を流し
 
楽しいことがあったときは笑い、
 
泣いている子がいれば、近寄ってそばにいる。
 
なぜあんなことができていたのだろう。
 周りの子供たちも、Tを
 
「かわいそう」とか「お世話をする」というような、
 
見下した接し方ではなく、対等に接し
 
Tのできないことには
 
「手をさしのべる」
 
「お手伝い」と言って
 
決してべったりくっついているのではなかった。
 
Tに悩みを話しかけたり、
 
「Tのような心を持った人になりたい」という子まで…。
 
 Tの身体的なハンディキャップから考えれば
 
あり得ないことばかりが起こっていた。
 
Tは、確かに「人を優しくする子」であった。
 
それは、私自身に対しても同じで
 
Tの存在なしに今の私は考えられない。  
 

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