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言霊をさがして

mattamanの一刀両談

自分探しは…

2007年05月23日 20時17分46秒 | mattamanの考へ

世の中は「自分探し」が大流行だが

「自分探し」はしてはいけない

その理由は

そもそも、「自分」ほどあいまいなものはない

自分を考えてみればよい

毎朝、同じ気持ちで目覚めることなんてできるだろうか

朝、機嫌がよかっても何か一つの出来事によって

機嫌が悪くなることだってあるし

自分はおとなしい性格だ

と言っていても、キレることもある

「落ち着いてる」ってまわりが思っていても

本人は、困惑して動けなくなっていることもあるし

イライラして、物事をなげだしていることもある。

「自分」というのは、時と場合、また相手によって

かわるものなのだ。

YGの理論でも

「同一性格は、半年以上続かない」ということが

証明されているではないか

そんなあいまいな「自分」をさがしたり、とらえたり

確定したりしようとしても

できるはずがないし

決めつけてしまってはいけないのである。


時間の密度を

2007年05月23日 20時08分43秒 | mattamanの考へ

今や生活をしていく上での

時間の密度が濃くなってきている

この10年を見てみてもそうである

仕事の上でも普段の生活でも

単位時間あたりに処理しなければならないことが増えた。

便利になって、楽になったのではなく

便利になってやらなければならないことが

増えたのである

 

ゆえに今までと同じことをしていてはダメである

人と同じことをしているだけでもダメである

 

自分で時間と処理する内容を管理しなければ

時間と処理せざるをえない事柄にあやつられて

自分が気がつかない間に

自分を見失ってしまうのである。


スランプ

2007年04月30日 03時58分12秒 | mattamanの考へ

「スランプ」って

どんな状態を言う?

勝てないこと?

自分らしいプレイができないこと?

それとも、自分の感覚と実戦の動きのズレや違和感のこと?

 

誰が決める?

監督?

チームメイト?

見てる人?

対戦相手?

それとも、自分?

 

 

どうしたら脱出できる?

勝てば脱出したといえる?

自分が「これでもういいや」と開き直ればそれで良い?

それとも身体感覚の問題?

 

結局は、すべて

自分の心が決める…

 

自分がスランプだと思えばスランプだし

まわりがスランプだと言っても、

自分がスランプだと感じてなければ

スランプではない

今、勝てなくても、次の展望がみえていて

それに取り組めていればスランプではないし

いま。勝っていても次につながっていなければスランプである

 

大リーグのイチローは、ある時、ボテボテのセカンドゴロを打って

今の打撃の感覚をつかんだという。

自分の身体感覚を大切にしている人は

そういうものである

 

ただしそれをつかむには、人一倍の練習が必要である

量の問題もあるが、中身と自分自身の意味づけの問題である。


適応力

2007年04月24日 02時36分58秒 | mattamanの考へ

「剣道は、正々堂々と」と言うのは簡単だけれども、

実際の試合の中でそれをやるのは難しい。

たとえば、つばぜり

正しく中心をとって攻める

と言うのが基本だが

タイミングをずらそうとしてくる者もいれば

くちゃくちゃ手を動かせて

正しく構えず、それを捕らえようとこっちが無理して

崩れたところをうまく当てに来る者もいる

あまりに中心で捕らえることにこだわりすぎて

相手に着いていったり、嫌がって逃げると

相手の思うつぼにはまってしまう。

相手が崩そうといろんなことをやる

ということは、その瞬間のどこかに

必ず好きがあると言うことだから

あくまでも自分は崩れず、

相手をしっかり見て

正しい構えで対応することができるようにならないといけない

この適応力は、すぐに身に付くものではなく

常日頃から考えて稽古することからしか

身に付かない。

 


こんな本を読んできた 愛読書

2007年04月19日 22時14分01秒 | mattamanの考へ

一番の愛読書

「人間の理解」 小林 晃夫著

内田クレペリン検査法を大成された小林 晃夫先生の名著である

残念ながら今は廃盤になっており、一般には手に入らないが、

特別に手に入れることができた

生徒を理解する上だけでなく

人を理解する上で、どのようにすればよいか

分かり易い例をあげて分析してある

またそれだけでなく

その人物の伸ばし方もきめ細かく書かれている

時代を超えても使える名著である。

3-1dのページと検査法のページは

まだ、大学生だった頃の船越先生が書かれている。

学生の時にこれだけのものを書かれるとは

やはりすごい。