と、タイトルは書きましたが。実は、ほんの少ししか見ていません。
いつもは9時には自室に入る夫がいまして・・・。どうもこのドラマ嫌いらしい。
「プロジェクトX」見てました。音楽用カセットテープ開発の話、TDKの。
すごく面白かった。
それはさておき・・・。
見た場面は、加賀の救命処置に懸命な場面。何で全員なにもせずに見てるんだ!やっぱりここの病棟には、患者はいないの?
と、思って番組変更。
で、次に見たのは、岡山の加賀父(高松英夫さん久しぶり~)と電話で楓が話してる場面。どうして父自らこちらに来ないんだろう。遺体を実家に連れてきたいんなら・・・。
と思ってたら、処置室に残る進藤・黒木両医師に切り替わる。やっぱり最後に修理が残ってた機械が、影響したんだね。
で、前回
じゃすみんさんのブログでコメントしたとおり、黒木医局長無力感感じて落ち込んでる。地震発生したときは、あんなに割り切っていたのに・・・。
視聴者の予想通りに動いていくストーリーにちょっと鼻白んで、プロジェクトX本腰入れて見ることにしました。
なんかね。ドラマの中の各場面というのは、制作者側が訴えたいことを表すものであるし、ただ俳優の姿を見せるだけの場面なんて嫌いなのだけど・・・。
でも、ここまで不自然に彼の死を引っ張って(早く死なせたら、楓が婚約者の遺体のことを考える余裕ない)、あの震災の時の、遺体を安置する場所も、運ぶ棺も手だてもなかった、ということを表現するなんて。
1番大変なときに歯を食いしばってがんばった、一山越えきった黒木医局長に、こんな形で無力感を感じさせるなんて。
自分で予想していて何なんだけど、”為にある伏線””為にある場面”が見え見えで、
ほんとに、すっかりしらけてしまった。
ボランティアリーダーとなった河野次男のエピソードも、寺泉代議士のエピソードも見てないけど、そしてきっと、なかなかいいエピソードだと思うけど、
メインキャストのエピソードがこうだと、どうもなんとも哀しくなります。
わかるんですけどね。制作者の熱意は。なんかほかの表現なかったのかなあ。
いつもは9時には自室に入る夫がいまして・・・。どうもこのドラマ嫌いらしい。
「プロジェクトX」見てました。音楽用カセットテープ開発の話、TDKの。
すごく面白かった。
それはさておき・・・。
見た場面は、加賀の救命処置に懸命な場面。何で全員なにもせずに見てるんだ!やっぱりここの病棟には、患者はいないの?
と、思って番組変更。
で、次に見たのは、岡山の加賀父(高松英夫さん久しぶり~)と電話で楓が話してる場面。どうして父自らこちらに来ないんだろう。遺体を実家に連れてきたいんなら・・・。
と思ってたら、処置室に残る進藤・黒木両医師に切り替わる。やっぱり最後に修理が残ってた機械が、影響したんだね。
で、前回
じゃすみんさんのブログでコメントしたとおり、黒木医局長無力感感じて落ち込んでる。地震発生したときは、あんなに割り切っていたのに・・・。
視聴者の予想通りに動いていくストーリーにちょっと鼻白んで、プロジェクトX本腰入れて見ることにしました。
なんかね。ドラマの中の各場面というのは、制作者側が訴えたいことを表すものであるし、ただ俳優の姿を見せるだけの場面なんて嫌いなのだけど・・・。
でも、ここまで不自然に彼の死を引っ張って(早く死なせたら、楓が婚約者の遺体のことを考える余裕ない)、あの震災の時の、遺体を安置する場所も、運ぶ棺も手だてもなかった、ということを表現するなんて。
1番大変なときに歯を食いしばってがんばった、一山越えきった黒木医局長に、こんな形で無力感を感じさせるなんて。
自分で予想していて何なんだけど、”為にある伏線””為にある場面”が見え見えで、
ほんとに、すっかりしらけてしまった。
ボランティアリーダーとなった河野次男のエピソードも、寺泉代議士のエピソードも見てないけど、そしてきっと、なかなかいいエピソードだと思うけど、
メインキャストのエピソードがこうだと、どうもなんとも哀しくなります。
わかるんですけどね。制作者の熱意は。なんかほかの表現なかったのかなあ。
おや一転、辛口ですねマトリョーシュカさん!!
熱心にみていただけに・・・・かしら。お気持ちお察しいたします(^^;;;)
私も、この際死なせるなとは言わないまでも、別の病院にいたままで良かったじゃないかと思いました。
ひとりの患者のケアをスタッフ一同で取り巻いてるなんて!!
いっそ喘息の子が発作でも起こして、楓はそっちに集中せざるを得ないとか、あざとく描くなら天井知らずだというのに中途半端がなんとも・・・・・。
6話UPしましたのでそちらをTBさせていただきます。