いち・に・山歩!! 

街・山、名所・イベント等、様々な場所に出没!
『よし』・『ゆき』、我が家に住むペンギン?の「ペン太」の散策記です!

大山古道イヨリ峠コース~蓑毛・秦野駅 ~2016.1.16(土)~

2016-01-16 22:52:15 | 山歩(さんぽ)2016

 ユキさんは出勤日。
なので、1人でお山へ行ってきました!
今日もお供は『すみっこ暮らしのペンギン?』で、我が家で暮らすペン太クン!

 小田急線伊勢原駅で降りました。
今日のコースは近年整備されて復活した『大山古道』の1つ。
イヨリ峠コースを歩きます。

 駅前では「産能大学に行かれる方は」と案内をしている男性が。
「受験か・・・」
懐かしいですね。
若い気持ちで居るけれど、あれから20年以上経ってしまった…。
集まっている高校生を見ながら、
 「そんなに歳の差が有るのかぁ~…」
と、しみじみ思ってしまった…。

 駅前では三味線を弾いているお年を召した男性が。
ストリートミュージシャンは、ギターやシンセサイザー、サックスを見た事が有るけれど、三味線は初めて。
なかなかの腕前で、
 「どう言った方なのかなぁ?」
と気になりました。
 「バスが出発する時間が遅れても良いかな」
とも思った。
 写真は社務所前のバス停。
今日は此処から歩きます。

 バス停の直ぐ先に有る曲がり角に「大山古道入口」の案内が。
整備されてどの様に復活したか楽しみだなぁ。
案内には「禊の滝」と言う表示も。
初めて聞く名です。

 沢の対岸には、大岩に跨る木が。
窪みが有る岩で、しめ縄が見えます。


 窪みの中には「蛇かな?」
水に関係すると「竜」である事が多いけれど、とぐろを巻いているようだから蛇かと。


 ペン太「禊の滝に到着!」
鳥居とお社が有り、その手前右手にベンチと滝についての案内看板が有ります。

 大山詣でに訪れた参拝者が滝行を行った滝との事。
9mの高さがあるそうです。
静かな滝だけれど、水量の多い夏場はどんな姿なのかな?
まぁ、この辺りの夏場は『アレ』が出るけれど…。

 この道に入って直ぐの場所に昨年夏に掲示したままの看板が有りました。
何月何日にヤマビル対策の為に薬剤を撒く旨の案内で、ディートを何倍に薄めた物…と言った事も記されていました。

 そう言えば、滝の前に有る祠の中にお皿が有り、盛り塩が有りました。
その前に蓋に『塩』と記された瓶が置かれていました。
「盛り塩用」だけでなく、「ヒル対策?」だったりして・・・。


 滝を過ぎ、少し行った所に小さな石の祠が。
「山の神」である事が多いのですが、『大山詣で』で賑わった場所なので、どうなのだろう?
祠には『安政六年』と刻まれていました。
設置者が刻まれているのは普通なのですが、作った石工(いしく)の名前も刻まれているのは珍しい。

 今回は吉備人出版の『東丹沢登山詳細図』を見ながらの山歩き。
16500分の1と言う詳細な地図で、初めて使いました。
本当に詳細で、50000分の1の昭文社の登山地図が使い勝手が悪い為に購入しました。
両方を使いながらと思ったのですが、吉備人の方は目安時間が記されていない点で使い難い。
圧倒間に通り過ぎている事も多く、地図と地形をとてもこまめに見ながら歩くか、この尺度に慣れないと難しいですね。
写真は、吉備人版に記されている×印が付けられた分岐の道が有る地点。
右の道は、すぐ先でススキの藪になります。
この先に有る左に延びる×印の道は、道幅も太くて整備されていますが、林業の作業道。


 地蔵と地図に記されている林道との合流地点。
地蔵ではなく石柱が正しいですね。
右が寛政七年卯弥生と刻まれた石柱、左が祠です。
右手(写真奥)のアスファルトの林道が左右に伸び、写真の手前(背中側)に土の道が伸びるので、登ってきた登山道を合わせて4本の行き先が有る場所。
吉備人版の×印が有る道は背中側の土の道なのですが、登山道の赤い線は林道、登山道の黒線の上に記されています。
その為、登山する際に使う道が山道なのか林道なのかの区別が出来ない。
此処で道を間違えて背中側の道に行ってしまいました。

 途中で気付いて戻って来ました。
注意して歩かないといけませんね。


 水呑地蔵。
 山を彷徨っていた旅人が、この地の泉で喉の渇きを潤して命拾いした後、お地蔵さんを奉納したとの事。
ペン太「で、泉は何処?」
ペン太「何だか頭の上が乾くと調子が出ないんだよね」
よし「それって、頭の上のお皿?」 


 高圧電線の鉄塔へ向かう巡視路の案内もしっかししています。
注意をしていれば見落とす事は無いでしょう。

 スミレも咲いていました。
・・・暖冬かぁ・・・。

 イヨリ峠到着。
昭文社の登山地図には不動越と記されています。
吉備人版の地図では、「地域や時代で名前が異なる場所は、極力併記するようにした」との注意書きが有る。
此処から右に行くと大山に通じる登山道で、左は高取山を経て弘法山へ向かう。
もう1本左に行く道が有るのだけれど、此れが今回歩こうと思っていたゴルフ場沿いに下る道。
通り過ぎてから「おやっ?あれがそうだったのか」と気付いた。
慣れない地図で読み間違えた。


 林道を下っていったが、吉備人版の地図は、林道が黒い1本線「ー」で2本線『=』ではない。
その上に「紹介しているコース」である赤線をひいている。
紹介されているコースで登山道の場所は赤い線のみ。
線が2重になっていても、道路を示す黒線は薄いインクなので、道路を通るのか登山道を通るのかが分かり難いのが難点。
何度も見間違えたり、目を凝らして再確認したりの繰り返し。
 写真は送電線秦浜線№9鉄塔の入口。
 イヨリ峠での入口を通り過ぎても、この先に有る分岐から№8鉄塔近くに下る道に入れば、当初下ろうと思っていた道に合流して才戸バス停に行く事が出来る。
 その分岐を通り過ぎても、№6番鉄塔から登って来て大山からイヨリ峠に延びる尾根に突き上げる支尾根の道が地図に記載されている。

 でも、何れも通り過ぎていました・・・。
写真は大山山頂。
此処で異変に気付いたのです。
「大山山頂が見える」
「浅間山のNtt中継所が見える・・・北側を向いていて、これらが見えるってことは…」
「行き過ぎていないか?」
…と言う事で、周囲の景色と地図を見ながら現在位置の特定をする。
後方の眼下に送電線と麓に向かって複数の鉄塔が見える。

地図を確認。
「周囲に秦浜線以外の鉄塔は・・・・無いか…」
「と言う事は、通り過ぎたか・・・。」

問題は、「今いる場所」が浅間山林道のどの場所かで、先に進むべきか戻るべきかだった。
この先を進んで麓に下る道が有ると良いのだけれど、残念ながら地図には記載されておらず、林道の終点である蓑毛の直ぐ上迄行く事になる。
其処からの上り下りは以前通った事がある。
「其処までの林道は歩いた事が無いから、歩いてみるのも良いな」
「でも行程は長いし、戻った方が距離は短い」
「途中右手の浅間山に上る小道の分岐と、道の表記は無いけれど、非常になだらかで麓に下りる際に使えそうな下り道の尾根が左に延びているから、その入口を確認するのも手だな」

と、散々迷った挙句、先を行く事に。

 「こうなったら、二度と歩く事の無い『山深い場所の長い林道歩き』を楽しもう!」
ペン太「枯れた草の茎にカサカサのスポンジ?日に焼けた発泡スチロールが付いているよ!」
よし「これは蟷螂(カマキリ)の卵だよ!」
ペン太「何匹位生まれる卵なの?」
よし「100~200匹生まれるそうだよ」

 子供の頃、プラスチックの虫かごの中で孵化した光景を見た記憶が有ります。
ウジャウジャと小さな小さなカマキリが歩いていたっけ。

 緑色の大きなオオカマキリには思い出が有ります。
子供の頃は道や校庭、森で毎日遊んでいたので、色々な虫を捕ったし、様々な思いだがあるのだけれど、オオカマキリの思い出で強く残っているのは、その日幼馴染と近所の藪に入って互いにオオカマキリを捕まえた時の思い出。
カマキリを持ったまま移動し、他の友達(A)に出会いました。
(A)家の前にいたら、(A)の友達が現れました。
同級生ではなく上級生だったと思う。
その時が初対面のその子は、我々が持っているカマキリを見て、家の中から物を持ってきました。
説明もないままカマキリに注射が打たれ、しばらくするとカマキリは動かなくなった。
注射は『蝶等の標本』を作る際の注射だったのでしょう。
泣きながら帰った記憶が有るなぁ。

 その後、夏休みの自由研究で昆虫標本を作ったけれど、死んだ甲虫に注射して作った。
1匹だけ生きた状態のアゲハに注射したのだけれど、苦しみながら弱っていくアゲハを見て泣きながら後悔した。
その後、父だか母だかが「黒アゲハも捕まえたから注射しなさい」と言われたけれど、無言で虫取り網を上げて逃がした記憶が有る。
オオカマキリを飼っていて、虫かごに餌として蝶を入れるのだけれど、必死で逃げるモンシロチョウを見ると、心が痛んだし、お腹が空いていないと、翅の部分は食べ残す姿を見て、彼是思った記憶も有る。

 大人が管理し、与え、見ている中での遊びでは得られない様々な出来事。
子供にとっては大切な事だと思うなぁ。


ペン太「サクランボ?」
よし「違うよ!これはバラの実だね」
ペン太「バラ?2つくっついているのに?」
よし「ローズヒップティーは、バラの実のお茶だね。でも、この野茨(のいばら)ではないけれど」
ペン太「真っ赤で酸っぱいお茶だよね。僕は緑の方がすきだけど🎵」
よし「ペン太の言う緑は、抹茶でなくてキュウリか。」

 ペン太「なかなか浅間山に上る分岐に着かないねぇ」
再度地図と地形を見ながら現在地を確認。
大きく見える浅間山の建物ですが、歩いてみると結構距離が有る様で、何度カーブを曲がっても『未だ未だ先』と言う状態でした。

ペン太「車両通行止めのゲートだよ」

 ゲート?
地図に記載されている『ゲート』の場所は、林道終点で蓑毛直ぐ近くの箇所だけ。
其処だと浅間山への分岐は既に通り過ぎている事になります。
 ???
よし「此処はどこだ?」

浅間山林道の説明看板。
林道の終点にこう言った看板やゲートが有るけれど、此処が蓑毛の上だとすると、右に曲がるコンクリートの道が何なのか分からない。
蓑毛の上だとすると、右に延びる道は土の登山道でもっと細い山道の筈だ。

 でも此処が浅間山林道の終点で、直進するとここからは春岳林道と言う事になり、林道の名前が変わるからこの看板が有るというのも分かる。
登山地図のゲートは浅間山林道の終点に記載されているので、其れも符合する。

 色々考えて、此処は蓑毛の上ではないと判断して先を行く事に。
結果は正解で、少し先に左から右に道を横断する登山道を発見しました。
此れが左(蓑毛)から右(蓑毛越)に続く登山道。
矢張り、先程のゲートは、登山地図に記載されていない林道のゲートで、右に曲がるコンクリートの道は浅間山に向かう道でしたか。
でも、近距離に『ゲート』と記載されている箇所とそうでない個所が有るのは、地図を誤認しそうで嫌だなぁ。

 此処でしっかりと現在位置が確認出来たので、地図と記憶を確認して気になっていた№5鉄塔に下る尾根の観察も出来た。


 此処から蓑毛までの下りは、何度も通っている道。
ペン太「油断は禁物!今日だけで何度失敗しているんだ?」


 途中道を外れると、その先に堰堤が有る場所があります。
新しい堰堤で、その工事に使った道と駐車スペースかな?

 この広場の片隅に2か所穴が有り、何かが捨ててありました。
毛むくじゃらの・・・。

 猪か鹿ですね。
狩猟後、此処で解体をし、その際に出たいらない物を穴を掘って放り込んだ様子。
家だけでなく、足先の様な物とか、血の付いたものが見えました。
虫が飛び交っていたし、せめて埋め戻す位の事はして欲しいよなぁ。

 蓑毛に到着。
バス停の近くに有るのに、今迄お参りをしていない大日堂に寄りました。
此処にも大山詣での参拝者が利用した泉やら何やら歴史を感じる者が有りました。
 蓑毛迄の道は、数えきれない程歩いた事が有るのですが、久々に来たら随分と変わっていました。
家が無くなっていたり、茅葺のお店の屋根が痛んで、一部がビニールシートに覆われていましたし、営業していないように思って帰宅後に調べたら休業しているとの事。
マス釣り場の前に有る鳥小屋の中に居た鳥たちが居なくなって空っぽだったり。
随分と寂れてしまった感じでした。
何だか、『時の流れ』を突き付けられた感じで寂しかったなぁ。

 せっかくだから、このまま歩いてしまおう!
と思い、いつの間バスに乗っている区間の蓑毛~秦野駅間を歩きました。

 大鳥居。
1本の車道が鳥居の前で左右に分かれて2本になり、鳥居を過ぎて再び合流します。
鳥居には『安政六 未年』と刻まれています。

 鳥居を過ぎた先の野原が工事現場になっていました。
何だろうと思ったら、第二東名の高取山トンネルの工事現場との事。
 「第二東名って高取山を貫くのか!」と驚き。
知っている場所が次々と変わっていってしまいます。


 写真奥の山が大山から続く高取山等の山々。
長閑なこの場所も頭上に高速道路が通って様変わりするのでとしょう。
すぐそばに東名が通っているけれど、こんな至近距離に2本の高速が通るんだね。
リニア新幹線は、山梨ルートにして東海道新幹線と違う個所を通る事にしたけれど、第二東名は「東名の混雑緩和」が目的だから、そうはならないのか。

 東中学校前バス停。
右側の塀沿いに看板が有り、「ふるさと秦野 景観10000選 清水湧水池跡(記念碑)」と記されていました。
田園の用水と民家の用水に利用された4か所の湧水池がかつて有ったそうで、縄文時代から利用されていたが、2004年の県道改修工事で姿を消したとの事。
こうなると、『景観100選』ではないよな…。

 学校の裏手に有る波多野城跡にも寄りました。
川が流れる窪地の手前は田んぼ。
中央が高くなっている箇所は果樹園になっていますが、此処に城(住居)があり、その奥は川で、湿地と川に囲まれた地と言う事だったのだけれど、調査の結果建築物の跡等は出てこなかったそうです。
実際の住居は他の高台に有ったと言うのが今の説で、此処は「かつて波多野城と思われていた場所」と言う事。
看板はそのままになっています。

 確かに面白い地形なのだけれどね。
「中洲の土山を削って平らにして農耕地にした」と言う事なのかな。
それが、「城や砦が有ったからこんな地形になった」と言う事になったのでしょうか?
秦野市の豪族波多野氏の邸宅が有った波多野城は何処に有るのかな?
埋蔵金の伝説でもあれば、さぞや盛り上がるだろうに。

 山歩きの場所とは離れている史跡等の名所の1つであった波多野城も見たし、太田道灌の墓である道灌塚の前もバスで通った。
後は源実朝の首塚だけかな。
と言いたいけれど、道灌塚は、車窓からでは分からなかった。
 未だ「全てを一通り見た」と言うのには時間が掛かりそうです。

 この後、秦野迄の光景は、以前に歩いた事が有る道だと思う。
昔高取山からこの辺りに下った際に歩いた光景に似ているんだよね。
彼是見ながら、感じながらの行程でした。
商店街の中には、昔の宿場町や街道沿いの商店を思わせる古い建物も。
シャッターが降りているお店も有るけれど、近年オープンした若い子やマニアをターゲットにしたお店が有ったりと、やり方によっては注目されそうな商店街だなぁと感じました。

 流石に歩き疲れたし、初めての道で気が張っていた事も有り、電車の中では眠かったなぁ~。
 相模大野で降り、ドトールでコーヒータイムにして今日の行程をメモに書き記してから帰宅しました。
この反省会を兼ねたコーヒータイムが恒例になりつつあるな。
でも、あまりのんびりして帰りが遅いと、心配されるので程程にしないとな。



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