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『よし』・『ゆき』、我が家に住むペンギン?の「ペン太」の散策記です!

『生麦生米生卵 本当の生麦は魚の街』  (川崎宿~神奈川宿) ~東海道歩き旅レポート その④ 3日目 2017.8.12(土) 

2017-08-12 22:28:42 | 街・観光地編2017

 今日も東海道を闊歩。
相棒はミニペン太達。
何処まで行けるか、行き当たりばったりの旅の始まりです(^^♪

 前日に川崎迄辿り着いたので、『スタートは川崎』で良いのだけれど、時間切れで行けなかった場所が有ったので、少し戻って蒲田に寄ってから川崎に向かう事に。

 JR蒲田駅で降りて商店街を行くと、街頭には『すずらん通り』の名と『750ライダー』のタイトルとイラストが。
750ライダー(ナナハンライダー)は1975~1985年に週刊少年チャンピオンに連載されていた漫画で、作者の石井いさみさんが此処大田区の蓮沼出身と言う事で、通りのお店のシャッターにもイラストが描かれているとの事。
子供の頃、チャンピオンを毎週購入して読んでおり、750ライダーは、その頃に連載されていた漫画。
ストーリーはよく覚えていないのだけれど、懐かしいなぁ。

 通りの街頭。
昨年行った山梨のスズラン祭りが行われる芦川村は、街頭もスズランだったけれど、ここは・・。
スズランを模していると思えばそう見えなくはないけれど、どうなのかな?

女塚神社へ到着。
住宅地の中の小さい神社で誰も居ません。

 拝殿の右側には、境内社の女塚稲荷社。


 左側に御神木のクスノキと境内社が。


 拝殿前から振り返って。
左手は社務所。
2階建ての住宅の様な社務所ですが、無人です。

 御神木の落ち葉を。

 女塚神社と言う変わった名は、南北朝時代に新田義貞の子である新田義興を暗殺しようとして送り込まれた竹沢左京亮が、義興の歓心を得ようとして京から少将局と言う女性を義興に送りました。
義興に上手く取り入った竹沢左京亮が暗殺を実行に移そうと、一族郎党を屋敷に潜ませて宴を催し、義興を招きました。
これを知った少将局は、義興に文を届けて義興を助けましたが、その為に竹沢左京亮によって殺されてしまったそうです。
哀れんた村人が、その遺体を祀った物が女塚との事。

 因みに義興は、その後多摩川の矢口渡において討たれました。
その後矢口渡に「光り物」が表れて人々を悩ませたので、現在の大田区矢口に墳墓を築き、現在の新田神社が建てられたとの事。

「悲恋」ですが、「恋に生きた女性を祀った神社」です。
「大事な人の無事を願う」、「幸せを願う」と言うのは、昔も今も変わらないよね。

 『恋愛成就』や『縁結び』の神社がチヤホヤされるけれど、こう言う謂れの有る場所も貴重なのではないかな?
少将局の冥福を祈ると共に、大切な人を思う気持ちを共有する。
 力を貸してもらえるかな?
 力が湧いてくるかな?

 女塚神社へ参拝したその足で蒲田八幡宮へ。

 蒲田八幡宮の御朱印。

 女塚神社の御朱印。
少将局の後ろ姿と扇が。


 昨日参拝した椿神社の御朱印。
椿の花と葉、咳止めの御利益が有る麻の紐も。
他にも稗田神社、南蒲田北野神社、御園神社と、兼務社を合わせて6社の御朱印を戴く事が出来ます。
ただ、「10月1日~1月末迄は兼務社の御朱印は受け付けない」と言う旨の貼り紙が貼ってありました。
夫々の神社にまつわる印が押された御朱印で、「わぁ~♬」と思う御朱印です。

 京急で川崎駅迄戻り、さらに大師線に乗り換えて川崎大師駅に。

「川崎に来たのならば、此処に寄らないとなぁ~」



 参道には、咳止め飴や葛切り等を販売するお店がずらり。
川崎大師土産と言えば葛餅が有名ですが、達磨(だるま)にも謂れが有る様で、達磨を扱うお店も多く有りました。

 川崎大師の山門。


 山門の先はこう言った様子。


 山門には四天王のが鎮座していますが、その足元に鬼が。
此れは四天王が追い払ったり、見張っている邪鬼なのかな?

 ペン太達も一緒。
海賊「此れが川崎大師か」
ポンチョ「初詣の参拝者は、神奈川で1番。全国でも毎時神宮と成田山に次いで3位だっけ?」
海賊「名物のお宝は参道の葛餅か」


 川崎大師の御朱印。
複数の御朱印が有りますが、「厄除遍照殿 大本山 平間密寺」と記されています。

 川崎駅迄移動し、其処からは歩き旅再開!
昨日遅い時間に辿り着いた稲毛神社へ参拝するところから旅の再開。
 御神木の銀杏。
昨日は薄暗い中見たけれど、明るい中で見るとこんな感じなんだね。

 鳥居と拝殿。

 ポンチョ「昨日は暗くてよく見えなかったけれど、境内社が多い広々とした神社だね」
 海賊「目の前は大通りで車が引っ切り無しに通るし、裏は住宅やマンション、オフィスビル…だけれど、この一角だけ木々に囲まれて別世界だな。そういう点では、この場所も貴重なお宝か・・・」

 稲毛神社の御朱印。
『健勝堅固』。
神社名ではない文字が真ん中に来るのは珍しいですね。
健勝(健康)、堅固(しっかりしている、壊れにくい、堅い)。
そうありたいですね。


 小土呂橋の親柱。
現在は大通りになっている前の前の道は、昔は川だったとの事。
暗渠はあちこちで見るけれど、此れだけの大通りの暗渠は初めて。
全体が川だったのか、一部が川なのか? 

 昼食を済ませ、大通りから離れて川崎宿の京都側入口へ。
パーキングの柵、電信柱の右側の看板に案内が記されています。 

 八丁畷の駅横に有る無縁塚。
周辺で亡くなった旅人等、引き取り手の無い遺体を葬った場所との事。
当時道中で行き倒れになる方はどの位いたのだろう?
行商を生業とする方は、高齢でも行き来していただろうし、今の様な戸籍管理や身分証、行政組織が無かった以上、他所の地で倒れたら
 「どこの誰だろう?」
と言う事になっただろうなぁ。
仮に「どこどこ村の誰」と言う事が分かる物を持っていたとしても、それが遠方であればわざわざ知らせてくれる事は無く、無縁仏扱いだったのではないかな?
軽く会釈し、手を合わせ、御冥福を祈り、この地を後にしました。

 市場の熊野神社前。
昔は市場村だったと言う事で、市場の熊野神社と区別されます。

 広い境内ですが、無人の神社。
複数の境内社に大きな拝殿なのですが、修復がされずに荒れている感じが。
昔は非常に栄えたと言う感じが・・・。

 石灯籠の土台には、獅子かな?
此れは慶応3年製

 こちらは龍。
こう言ったところにも彫物が有ったりと、彼方此方凝っているんだよね。


 愛国婦人会市場・・・と有る。
戦前の物か。
戦時下の遺物なんだね・・・。 

 狛犬。



狛犬の土台にも狛犬が。


 左側の狛犬


此方の狛犬の土台にも狛犬の彫物が。
此れは慶応2年の物。


 拝殿と本殿。


 本殿裏には門が。
現在は有れているけれど、手の込んだ造りだなぁ~。


 拝殿に向かって左側の境内社。



 右側の境内社。
稲荷社かな?

 井戸の跡も。
電話で連絡をすれば御朱印や授与品を戴けるとの事。
 七福神巡りのスタンプ巡りの1社になっていて、決められた日には氏子さんの代表者が居られるそうです。

 熊野神社を後にし、市場村の一里塚へ。
小さなお社が横に有ります。


  庚申塔で馬頭観音かな?


 近くから。


 下に申が居れば庚申塔と分かるのだけれど、波の様な雲の様な・・・。
雲かな?
となると、庚申塔ではないのかな?
 横の看板に『庚申地蔵 宝暦4年10月 1754 願主 鈴木仁右衛門』と記されていました。

庚申塔であっているんだね。

 庚申地蔵の左手に有るのが下町稲荷。
小さなお社のみのお稲荷さん。



 トラックが停まっている駐車場の左が下町稲荷、駐車場の右、家の門の内側に有るのが庚申地蔵。



 鶴見川に架かる鶴見川橋を渡ります。
右の自転車の男性は、沢山の空き缶等を袋に入れ、空き缶回収をされている方。
蒲田でも見ましたが、廃品回収を生業とされている方をよく見ます。
昔は結構見掛けたけれど、すっかり見なくなったので、懐かしく思います。


 橋を渡ると『寺尾稲荷道』の石碑が。
馬術が苦手だった寺尾城主諏訪馬之助はこの稲荷に日々祈願して馬術が上達。
それによって馬術上達や馬上安全を祈願する稲荷社として有名になったとの事。
 此処で右折して参拝したとの事。
気になったけれど、この日は寄りませんでした。


 鶴見神社へ。


 富士の溶岩なのかな?

 溶岩の上に狛犬が。
で~んと胸を張って誇らしくしているようで、格好良い!!

 境内社がずらり。


 拝殿はきらびやかな姿ではなく、素朴な姿。


 拝殿裏の本殿の土台も溶岩。

 裏には富士塚が有り、浅間神社が。
何処までも溶岩尽くし!
浅間神社と言ってしまった方が良い位。

 鶴見神社は鶴見七福神の寿老人を祀る神社。
扉が閉まっていますが、横に写真が有り、その姿を見られます。

 此処にも寺尾稲荷道の碑が。
これは昔の物との事。

 ペン太達と。
横浜市に入ったので、水兵さんも。

 鶴見神社の御朱印。
字がかぶって黒色のスタンプの文字が見えないんですが、『鶴見の田祭り』と書かれています。
復活した『田祭り』で有名な神社。
でも、周辺は住宅地で田畑は全く有りません。

 鶴見と言えば曹洞宗本山の總持寺が有る場所。
線路の反対側へ行き、總持寺へ。

 広い敷地内を歩き、最初の門へ。
總持寺の山門としては飾り気の無い素朴な印象。


 その先に大きな山門が。


 とても大きな山門。
左右に仁王像が鎮座し、「矢張りこう言った大きな山門なんだ」と言う感じ。


 マリンペン太を加え、3匹で記念撮影。
ポンチョ「さっきの川崎大師も本山なんだよね」
水兵 「この總持寺は曹洞宗の総本山」
海賊「曹洞宗派のアジトってことか?」
ポンチョ「ちょっと違うけれど、分かり易く言えばそんなとこかな」


 勅使門


 總持寺の御朱印。
山門に向かって右手の大きな建物の中で戴きます。
お願いすると、「前の売店兼休憩所で待っていてください」と言われ、書き終わると知らせていただけます。
以前は達磨の絵を描く方が居られたのですが、亡くなられたとの事。
その頃に訪れ、生で見たかったたなぁ。

 線路を渡った所に神明社が。



 線路沿いの狭い神社で、狭い敷地に拝殿と手水舎と鳥居が。


 この先、生麦の辺りでは、魚の加工業を生業としている家々と作業場がずらっと並んでいます。
パッと見魚屋さんが左右にず~っと並んでいる感じ。
街頭にも「魚」の文字が


 そんな通りの中に平屋建ての家のようなお堂が。

 中には金色の仏様が。


 子育地蔵尊。
裏の慶岸寺が管理している仏様で、毎月23日が縁日との事。

 お寺の門の左手に掲示されていたポスターの文言。

 「蓮は泥の中に成長して泥の染むるところとならず」

う~ん、深い。
・鶴見区仏教会 慶岸寺 http://www.tsurumi-kubutsu.org/keiganji.html


 生麦の魚の加工を生業としている家々が並ぶ通り。
海は見えないものの、昔からの漁師町である事を感じさせます。

 道念稲荷。

 1766(明和3)年のお地蔵様。



 1668(寛文8)年のお地蔵さま。
豊臣秀頼の正室だった千姫が亡くなったのが寛文6年。
忠臣蔵の浅野内匠守が生まれたのが寛文7年。
そんな時代のお地蔵さんなんだね。

 拝殿
小さいけれど、なかなか凝った作り。

 水平「『蛇も蚊も』と言う300年前から続く奇祭で有名な場所なんです」
 ポンチョ「じゃもかも?ってどんな御祭り?」
水兵「300年前に悪疫が流行した時に始まったそうで、萱で編んだ縄の蛇を担いで『蛇も蚊も出たけ、日和の雨け、出たけ、出たけ』と言って練り歩いて、蛇体に悪霊を封じ込める物で、昔は海に流していたいたそうです」
海賊「俺らの海に病気や害虫やらを流されちゃ溜まんねえなぁ~。今なら下水処理法か不法投棄だぜ!」

 海の近くへ向かうと有るのが水神宮。

 更に狭い敷地内に拝殿や狛犬、社務所が。

 彩色され、顔が大きくて太い眉・・と、印象的な顔つきの狛犬。
この白くてふさふさの太い眉は・・・村山元首相を思い出すなぁ~。


 後ろ姿。
後ろ側も彩色されています。
土台の文字も赤く色が入っていますね。

 右側の狛犬。
チョット上目遣いなんだね。
昭和2年3月建立の狛犬。
石工は『石寅』と彫られていました。
彩色もその時の物なのかな?
流石に月日が経っているので、塗りなおしているのかな?
どちらにしても、狛犬自体は非常に状態が良い。
この辺りは、戦争の空襲はどうだったのかな?


 拝殿の彫物。
子鼻は彩色された獅子。
真ん中は龍が彫られる事が多いけれど、
波が見えます。
この点が漁師町と言う事なのかな?

 境内には『富士浅間大神』の碑とその根元は溶岩かな?
右の小さい石板は『小御嶽石尊大権現』。
富士信仰と御岳信仰。
富士山と御嶽山が此処に有るんだね。

 真言宗智山派 南海山瑠璃光院 正泉寺。
奥の鉢に蓮が植えられ、花の時期はとても奇麗と言う話です。


 お寺の手前の石仏。
1652(慶安5)年建立の物。
3代将軍徳川家光、4代の家綱の時代。
私の住む地域では古いと言っても江戸中頃から終わりにかけての石仏が多いので、江戸初期の物が普通に有る事が珍しく感じます。
まぁ、東海道沿いだから、納得するものは有るけれど…。


 住宅の塀に説明看板が。
此処が『生麦事件の現場』で、その説明。
歩道と車道の境に有る三角コーンは説明を読む人や写真を撮る人が下がった際に車道に出て車に接触するのを防ぐ為かな?
 教科書で見る生麦事件の白黒写真は、遠くに海が見える坂の上だと思ったけれど、現在は海も坂も見えません。

 右手の横道に小さなお社が。
御社母子稲荷神社。

 可愛い小さな狐さんが。
巻物を咥えていると言うよりも、食べ物を咥えているみたい(⌒∇⌒)。
盗み食いをしたのを見付かって「はっ!!」とした感じ


 こちらは子狐と。
くっきりした目が印象的。
此れは何を咥えているのかな?
油揚げじゃないなぁ~。
鰻?蛇?きゅうりの漬物みたいな・・・。

 こちらも「蛇も蚊も祭り」が行われる。
「かつては原と本宮で1体ずつ作り、原が雌蛇、本宮が雄蛇で、境界で絡み合いを射せた」そうですが、現在は別々のお祭りになっているとの事。


 石仏群。


 1677(延宝5)年建立の庚申供養塔。
4代将軍家綱、5代綱吉の頃。


 庚申塔。

 高速道路の下に生麦事件の碑が移設されています。


 一部が欠け、風化が進んでいる石碑。


 水兵「教科書に載っている生麦事件の石碑です」
 ポンチョ「屋根付きで、仏様が祀ってあるみたいだね」
 海賊「それだけ『お宝』って事か・・・。ただの古びた石にしか見えねぇけどなぁ~」
後ろはキリンビールの横浜工場。

 6番目の一里塚になる『東子安一里塚』の説明。
これ以外に痕跡は有りません。

 参道が線路の建設で分断された遍照院。
踏切の向こうに山門が有ります。


 一之宮神社に寄り道。
土台に『日露戦争』の文字、上にミサイルを象った物が有ります。
戦意高揚を狙って、信管が入っていないミサイルを全国の神社等に配ったそうで、そう言った物が神社に祀られているので、此れもその1つなのかと。


 慰霊塔。
第2次大戦の物が大半ですが、珍しく先程のミサイルもこの慰霊塔も日露戦争の物。
この地域から多数の方が出征されたと言う事なのでしょう。

 地神塔と稲荷社。
狐が沢山います。

 神楽殿かな?


 植物に覆われた拝殿。
建物が見えません。

 横からだと拝殿の姿が分かります。
白い建物と言うのは珍しいなぁ~。 

 扁額。
武蔵一之宮氷川神社宮司の書と記されています。
一之宮神社と言うと、「相模の国の一之宮は寒川神社だし・・・???」と思うのですが、元々漁民が祀る小さな祠が有ったこの地に1561年、武蔵野国の一之宮である氷川神社の分霊を勧請したとの事。
それでこの名前の由来も扁額の件も納得できますね。 

 階段脇に社務所が。
古い二階建ての木造住宅ですが、現在は住んでおられない様子。
御朱印も調べた範囲では無いようです。
神社庁のHPによると、毎月1日、15日の月次祭を含めて、祭礼の日が多く、昔から熱心に活動をされていた様子。


 階段途中の狛犬。




拝殿に向かって右側の狛犬。

 階段下には鳥居と狛犬が。

 階段下の参道の様子。


 脇には溶岩を積み上げた上に小さなお社が。
「浅間神社かな?」と思ったら、弁財天でした。


 一之宮大神の石碑と根元には『木遣塚』の文字が。


 『大正十二年六月修繕 石工 金子久太郎』と刻まれている狛犬。
と言う事は、もっと古い物と言う事だよね。
なかなか個性的な顔つきの狛犬。


 右側の狛犬。
胴体の造りは非常にシンプル。
胸も胴体も顔に対して堀や毛並みの模様は無きに等しい。
この辺りは修復の跡なのかな?
顔が大きく、威厳や怖さではなく、チョットユーモラスな感じ。


入江橋のT字路に出ました。
海は見えないけれど、昔は入江だったのかな?
入江の海に架けられた橋なのか、現在は暗渠になっている川が地面の下に有るのかな?

 子安通一丁目信号。
背後にランドマークタワーの姿が。
 「横浜に来た~!」
と言う気持ちになる光景。

 笠のぎ稲荷神社へ到着。
直ぐ近くがJRの東神奈川駅で、神奈川宿へ到着です。
前を通ると何故か笠が脱げる事から「笠脱ぎ稲荷」と呼ばれ、それが「笠のぎ稲荷」になったとの事。
のぎは「禾(のぎへん)」に「皇」をくっつけた字。

 珍しい板碑が名物で、案内板にも記されていました。
鎌倉末期~南北朝時代初期の物で、写真上部の文字の様な模様の様な物は阿弥陀如来を示す種字(キリーク)、その下に天蓋、その下に有る縦書きの文字が六字名号『南無阿弥陀仏』の梵字が刻まれています。
此れは変形五輪塔と言う事で、珍しい物。
私もこう言った板碑は初めて見ました。

 熊野神社によって今日は終わり。
この熊野神社は横浜熊野神社と呼ばれています。

 鳥居の左右に嘉永年間(1624~1645)の大獅子と言う大きな狛犬が鎮座しています。
将軍は3代家光で、
 1625 嘉永 2 毛利輝元死去
 1630 嘉永 7 藤堂高虎死去
 1632 嘉永 9 徳川秀忠死去
 1636 嘉永13 伊達政宗死去
 1640 嘉永17 島原の乱
 1643 嘉永20 春日局死去

と言った時代。
戦国時代を生きた人々が次々と亡くなっていき、島原の乱も発生し、この後長く続く江戸時代の制度が固まっていく…そんな時代ですね。

 平成21年に修復をしているとの事。
とにかく大きな狛犬。
迫力が有るし、なかなか威厳と貫禄が有ります。


 拝殿。


 右手の境内社。
合祀社で、金刀比羅社、大鳥社、稲荷社、香取社、鹿島社と書かれていました。
地域の神社が合祀されたのかな?


 左が『馬頭観世音』、中央が『玉串を帆にしている船』が彫られ、その下に『願望』の文字、右端は『穴守神社』かな?

 拝殿の右奥には稲荷社が。

 御神木の銀杏も。
空襲で周辺が焼け野原になる中、共に焼けるも生き残ったとの事。

 大小有るけれど、熊野神社も彼方此方に有りました。
熊野信仰の広がりを感じる旅になりました。
他には富士信仰の浅間神社とか伊勢信仰の神明神社も多いなぁ~。

水兵「此処が神奈川宿。名物で亀甲煎餅と言う物が昔は有ったそうです」
ポンチョ「今は無いんだ。残念だね。どんな物だったのかな?」
水兵「亀の甲羅に似ているのか、亀の甲羅の様に硬いのか、その両方なのかな?」
海賊「べっ甲ならお宝だけれど、煎餅じゃなぁ~。煎餅の亀じゃぁ、竜宮城にも連れて行ってくれないだろうし・・・」
海賊「海辺の街だったそうだけど、未だに日本橋から此処迄1度も海が見えない…。海が、波が恋しいなぁ~」
 

 狛犬の大きさ比較。
私の身長は178㎝。
土台を抜いた本体の身長も150㎝位かな?
とても大きな大きな狛犬で、土台が有るので尚更大きく感じます。


 左奥のビルが東神奈川の駅。
横浜線の終点なので、次回のスタート地点としては便が良いです。
今日は良い天気でしたが、明日以降天気が悪いとの事。
う~ん、晴れて日差しがきつくて暑いのも厳しいけれど、雨はなぁ~。



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