MY LIFE,MY SPIRIT by Masato

今までの人生で感じたこと、自分の考え方を率直に語ります

前世の記憶

2006-10-20 12:33:44 | Weblog
昨日フジテレビで前世のトキュメンタリー番組がやっていた。まじめなスピリチュアルな番組は少ないのでなるべく見るようにしている。

番組の内容はこうだ。アメリカのある家庭で、3歳位の男の子が突然前世の記憶を語りだす。自分は第2次世界大戦の日本との戦争で、戦闘機に乗っているときに打ち落とされて死んだという。乗っていた戦闘機や戦艦の名前や特徴、戦友の名前も語りだす。両親はこれはもしかして本当かもしれないと事実関係を調べると、子供の言った戦闘機や戦友が実在し、全部つじつまが合う。子供の前世と思われる人物も確定し、子供はまだ生きていた戦友や前世時代の姉との再会を果たす。

この番組を見た人はどんな感想を抱いたのだろうか。そんなもの信じられないという人もいるだろうし、もしかしてあり得るかもしれないという人もいるだろう。人によって反応は様々だと思う。

僕の感想はこの程度の現象はごく当たり前で、別に驚くにも値しない。子供はあの世から来たばかりでまだこの世の色に染まっていないから、子供が前世の記憶を語るケースはよくある。
昔アメリカの精神科医のイアンスティーブンソンという人が、「前世を記憶する子どもたち」という本を出版し、科学的アプローチから世界中の前世の記憶を語る子どもたちの事例を紹介している。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4531080610/sr=8-1/qid=1161309863/ref=sr_1_1/503-6264881-8406359?ie=UTF8&s=books
この本以外にも前世の事実を証明するような事例を紹介した本は沢山ある。

この番組では前世の記憶を持つ子どもの事例を紹介しただけだが、その背景にあるスピリチュアリズム的な観点から見た生まれ変わりの法則について述べてみたい。

スピリチュアリズムでは生まれ変わりは全人類に共通した法則であると説く。人によっても差があるが、大体平均して300年周期位の間隔で生まれ変わってくる。だがこの事例のように戦争で早く死んだような人は前の人生でやり残したという感覚が強く、どうしてももう一度生まれ変わってやり直したいという気持ちが強いので、再生のサイクルが短くなる傾向にある。
また生まれると前世の記憶は消されてしまうのが原則なのだが、一部の人は前世の記憶を残して生まれてくる場合がある。これは人間には生まれ変わりという法則があるというのを示す神の配慮でもあるだろう。

また生まれ変わりが事実だとしたら、なぜ一度切りの人生ではなく、何度も生まれ変わってくる必要があるのか。
それは人間が一度だけのわずか数十年の人生では完全な人生は送れないからだろう。誰しもやり残したことを後悔して死んでいくのではないだろうか。そのために何度も生まれ変わってやり直すチャンスが与えられているのと言われている。

また転生輪廻にはカルマの法則というのもある。
よく言われるように、ある人生で自分のことしか考えなかった人、他人に対して悪事を行った人が、その罪を償うために次の人生では自分が他人から被害を受けるような人生を歩むケースは実際にある。
しかしカルマというと前世で悪いことをした罰のようなイメージがあるが、そうとも限らない。例えば前世で一生懸命学んだことは、次の人生でその才能を発揮できるとか、前世で善行を行った人が次の人生では幸せな人生を送れるといった良いカルマもある。
原因があればそれ相応の結果が出るというのがカルマの法則である。仏教的に言えば「因果応報」、キリスト教的に言えば「蒔いた種は自ら刈り取る」と同じ意味である。
カルマの法則は誰かから罰を受けるのではなく、人間の魂にはバランスを取ろうという法則が埋め込まれていて、自らバランスを取ろうとするためと考えた方が正しい。

また人によって個性の違いがあるのも転生によって説明できる。人間は永遠の生命を持つ霊的な存在だが、何千年、何万年という長い年月の間、様々な時代や地域を変え、何度も生まれ変わって経験を積んでいく。その経験が違うために個性が違ってくる。人によって音楽が好きとか、運動が好きとか、絵を書くのがうまいとか、好むものが違い、才能が違う。それは前世でそうしたことをやっていた経験が魂の奥底に秘められていて、成長するに従ってその記憶がにじみ出てくるためである。

また初対面なのになぜか前から知っているように感じてすぐに仲良くなる友人や、会った瞬間にお互いインスピレーションを感じて結婚するような夫婦のケースはよく聞くと思う。これも前世でも友人だったり夫婦だったり肉親だったりするケースが多い。もちろん前世の時とは顔も名前も変わっているが、魂の奥底では決して忘れてはいないのだ。

スピリチュアリズムの説く転生輪廻やカルマの法則は僕にとっては実に合理的で理性的に見ても自然に受け入れられる思想なのだが、人によって信じる人と信じない人がいるのが現実だ。
だが信じないという人は、物質的なもの、科学的なものがすべてであって霊的なものは古代の人々の迷信だと最初から決め付けている人が多い。あるいは現代の形骸化した古い宗教の教義に縛られていてそこから抜け出せていない人も多いだろう。
学校で教えてくれるものでもないので仕方ない面もあるが、こうした人々は一度も上記のような本や番組を見たり読んだりしたことがないのだろう。スピリチュアリズムを少しでも学べば、心の開けた人であればそれが事実であることを確信するように変わっていくだろう。

「生まれ変わりなどない、人間は死んで灰になったらもうすべてがなくなる」という人の発言を聞くと、僕は正直言ってこの人は一体いつの時代の人間なのかと思う。中世期ではあるまいし、なんと遅れた人なのかと呆れ果てる。
そう言う人は僕から見ると「世界は平らになっていて太陽と月が空を回っている。海の向こうは断崖絶壁の滝が流れている」という中世期の世界観を言っているのと同じように聞こえる。

15世紀にコロンブスの功績で地球が丸いということが証明されたが、その前にも地球は丸いのではないかと推測する先進的な人々は一部いたはずだ。だからスペイン女王もコロンブスに資金を提供したのだろう。
17世紀にはガリレオは地動説を発表し、教会から弾圧を受けた。だが科学は後にそれが正しいことを証明した。20世紀終わりになってようやくカソリック教会はガリレオに対する裁判が不適切だったと謝罪した。謝罪までになんと3世紀もかかっている。

今の時代もそれと同じことが起こっている。
現実のこの世がすべてであり、自分が実際に見て証明できなければ霊的な世界など一切信じないという唯物的な人々が多く存在する。僕はこうした唯物論には真っ向から反対する。
また形骸化した宗教の教義に縛られ、それ以外の考えを受け入れられない人々も多く存在する。僕は古い教義の呪縛から抜け出せない人達を気の毒に思う。

そうは言ってもこの世に生きている間はそれを証明することはできない。だから議論をしてもずっと平行線のままだ。これは仕方がない。同じ時代に生きていても、転生の歴史が違うのだから悟りのレベルも違っていて当然だ。彼らが自らの間違いに気付くのは彼らが死んだ後になるだろう。

しかし数世紀先には霊界の存在や転生輪廻の法則が科学的にも証明される時代が来ると思う。
その時、唯物論を唱える人や形骸化した古い宗教を信じる人はどんな顔をするのだろうか。