MY LIFE,MY SPIRIT by Masato

今までの人生で感じたこと、自分の考え方を率直に語ります

本社での失望

2006-10-03 13:09:40 | Weblog
1996年11月、嫌々ながらも広尾にある本社のシステム部に行った。
システム部はそれまでの営業とは全く違う雰囲気だった。仕事柄裏方の地味な仕事だけに暗い社員が多かった。営業で使い物にならなくて左遷されたような先輩もいた。噂には聞いていたが、システム部長も変わっていた。僕を警戒しているのか、最初から僕とはほとんど会話はなかった。

当時、旧システムから新システムに移行する時期で、システム部には日立の技術者が大勢来て、一日中PCの前に座ってプログラムを組んでいた。
新システムの画面を見たらMS-DOSの時代と同じテキストベースで使いにくい。せっかくWindowsマシンを使っているのになぜGUIにしないのだろう。H社ではブラウザ上でマウスで操作出来る簡単なシステムだったのに、これでは何十億もかけて新システムに移行する意味がない。何百人もの社員が使うのだから最大限簡単でわかりやすいシステムにするのが当然だ。理由を聞いたら社員が慣れていないからとか言っている。
これくらいは本社の若い社員ならすぐに覚えるのに、全くピントがずれている。今からでも修正した方がいいと思ったが、僕が来たときには既に8割以上開発を終えていた。
それにシステム部だというのにメールシステムすらない。H社では当たり前だったから、不便でたまらなかった。将来社内にメールを導入する予定はないのか聞いたら、社員同士でメールで遊ぶようになるからやらないという。
全くシステム部の人間が何を時代遅れなことを言っているのかとあきれ果てた。
上田さんがシステム部の人間は考えが古いと言っていた理由がわかった。

僕は旧システムの大型コンピュータはわからないから、新システムの検証作業ばかりやっていた。単調な仕事の繰り返しでつまらない毎日だった。こんな仕事はバイトにでもやらせればいいのにと思った。

新システム移行中の試験では様々なトラブルが出てきた。プログラムを組むのが人間である以上ミスがあって当たり前である。部長は日立の責任者を呼んで一体どうしてくれるんだと怒鳴り散らしてばかりいた。全く怒鳴っている暇があったら、具体的にこれからどう処理するべきか打ち合わせして実行に移すべきだろう。いい年をして自分のやるべきことを全然わかっていない。

せっかくH社で優秀な人達と仕事をしていたのに、本社に戻ったらまたバカの集まりに逆戻りだ。想定の範囲内とはいえ、やはり本社には失望させられた。
最初の月からシステム部での単調な日々の繰り返しが嫌になった。やはりここでは自分は満足できない。

システム部で単調な仕事をしながら、自分が将来パソコン教室を開く構想に思いをはせた。エクセルでシュミレーションしながら、どんなカリキュラムでいくらでやろうか考える毎日だった。
どうしても自分でパソコン教育の仕事をやりたくてたまらなかった。だからといって今更H社には戻れない。H社に加盟しても自分のやりたいパソコン教室は作れない。世の中に自分の理想とするパソコン教育をやる会社もない。

短い期間だったがH社で上田さんの下で勉強してこの会社での最後の目的は達成した。生涯で最も好きだったTちゃんもいない。もうこの会社には何の未練もなかった。

これ以上貴重な時間を無駄に費やしたくはない。
こうなったらもう自分でやるしかない。
2ヶ月目には会社を辞める決意をした。