まさおレポート

映画「グレート・ギャツビー」メモ

ロバートレッドフォードの「グレート・ギャツビー」を見ていたのでレオナルド・ディカプリオのリメイクはどうか、そんな興味を持って見た、一回目は4年前に見て「あまり面白くない」、つまりロバートレッドフォード「グレート・ギャツビー」の印象が強すぎてうまく入っていけなかったのだが、二回目は非常に面白かった。

一回目は映像を作りすぎていて、つまり綺麗すぎて違和感があったが二回目はその映像の美しさを楽しむことができた。リメイク版は以前の作品の印象を消すために2回見ることが、それも少し間を置いてみることが大事だなと思った。

 映画の中では下記の言葉をニックキャラウェイが語る、あるいはタイプライターに打ち込んでいく。それぞれが映像とよくあっていた。いずれも村上春樹訳より。英文はF・スコット・フィッツジェラルドの原文より。

外では風音が高まり、湾の方に雷鳴の微かなとどろきがいくつも聞こえた。それに合わせてウェスト・エッグじゅうの電灯が次々に灯されていった。帰途につく通勤客を乗せたニューヨークからの電車が、雨中を勢いよく突き進んでいた。それは人たるものが底深い変化を遂げる時刻であり、高ぶりが電波となって発せられていた。

何よりもまず確かなことがある 金持ちはますます金持ちになり 貧乏人はますます 子だくさんになる とかくするうち そうこうするうち

ギャツビーのそんな話に耳を傾けているあいだ、そのあまりの感傷性に辟易としながらも、僕はずっと何かを思い出しかけていた。捉えがたい韻律、失われた言葉の断片。遙か昔、僕はどこかでそれを耳にしたことがあった。ひとつの台詞が口の中でかたちをとろうとして、僕の唇は聾唖者の唇のようにしばし半開きになっていた。驚きの空気を外に吐き出すという以上の何かをそれは希求し、あえいでいた。しかし結局声にはならなかった。思い出しかけていたものは意味のつてを失い、そのままどこかに消えてしまった。永遠に。

Through all he said, even through his appalling sentimentality, I was reminded of something -- an elusive rhythm, a fragment of lost words, that I had heard somewhere a long time ago. For a moment a phrase tried to take shape in my mouth and my lips parted like a dumb man's, as though there was more struggling upon them than a wisp of startled air. But they made no sound and what I had almost remembered was uncommunicable forever 

人は誰しも自分のことを、何かひとつくらいは美徳を備えた存在であると考えるものだ。そして僕の場合はこうだ 世間には正直な人間はほとんど見当たらないが、僕はその数少ないうちの一人だ

友情とは相手が生きているあいだに発揮するものであって、死んでからじゃ遅いんだ

He had changed it at the age of seventeen and at the specific moment that witnessed the beginning of his career—when he saw Dan Cody’s yacht drop anchor over the most insidious flat on Lake Superior.

十七歳のときに、彼はその名前を変えた。更に詳細に述べるなら、人生の新しい展開の端緒を目にしたとき つまりダン・コーディーのヨットがスペリオル湖の、油断ならない浅瀬に錨を投じるのを見かけた瞬間にである。

The truth was that Jay Gatsby, of West Egg, Long Island, sprang from his Platonic conception of himself.

ロング・アイランドのウェスト・エッグ在住のジェイ・ギャツビーは、彼自身のプラトン的純粋観念の中から生まれ出た像なのだ、というのがことの真相である。

For over a year he had been beating his way along the south shore of Lake Superior as a clam digger and a salmon fisher or in any other capacity that brought him food and bed.

そして彼は夜ごと、自らの妄想の図柄を更に豊かなものへと膨らませていった。眠気がやってきて、そこにある鮮烈な情景を忘却の包容をもって覆いかくしてくれるまで、倦むことなくそれは続いた。

He had been coasting along all too hospitable shores for five years when he turned up as James Gatz’s destiny at Little Girl Bay.

岸辺という岸辺で歓楽をつくしながら航海を続けた末に、ジェームズ・ギャッツの運命を司るべく、まさにそのリトル・ガール湾に姿を現したのである。

(原文はいろいろなネットから参照させていただいた。)

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