12日の第11回学校図書館自主講座には、たくさんの方に参加していただき、和やかななかにも実り多い会になりました。まだ途中の段階で英語の読みも浅く、十分にこなれていない発表にもかかわらず、辛抱強くおつきあいくださった皆さんに、この場を借りてお礼申し上げます。そこで今日のブログも引き続いて同じ話題を取り上げさせていただきます。
昨年のIFLA(国際図書館連盟)の年次大会がヘルシンキで開かれると知ったとき、正式なプログラムが発表されていないうちから、ひそかに期待していたプログラムが二つあった。その一つは、ヘルシンキ大学のユリア・エンゲストローム教授の講演である。教授が2009年から2010年にかけてヘルシンキ大学の科学技術系図書館(Viikki Science Library)の職員とともに新しい図書館サービスの開発のためにおこなったチェンジ・ラボラトリー(Change Laboratory)のことは、かねてから聞いていた。そのプロセスで、図書館職員は自らが置かれている状況をどのように認識し、その意識と行動をどのように変えることになったのかが知りたかった。エンゲストローム教授の講演は予想どおり実現し、大会に参加しなかった私も「ノットワーキングに向けて:大学図書館の仕事にたいする新しい概念をデザインする」("Towards knotworking : Designing a new concept of work in an academic library")と題する講演の様子と、その時に使用されたスライドを見ることができたので、講演をめぐる雑感を、すでにブログに書いた。
間接サービスから直接サービスへ(電子社会における図書館サービスを考える)
もうひとつ私が期待したのは、フィンランド北部の都市、オウル市における学校図書館の取り組みに関する何らかの報告だった。オウル市の学校図書館に関心をもつきっかけになったのは、前年(2011)に発表された「学校の文化を変えるツールとしての学校図書館」と題する、このたび自主講座のメンバーで分担して読むことになった下記の論文だった。
かつてフィンランドを視察した学校図書館関係者から、この国の学校図書館には、ほとんど見るべきものがないと聞いていた。たしかに論文を読んでみても、他の学校図書館先進国にくらべて、とくに進んだ実践が紹介されているわけではない。それにもかかわらず魅力を感じるのは、この論文には、地域的な規模での学校図書館の取り組みと、それにかかわる教師や校長の学びのプロセスが、報告書やインタビューといった生の資料を数多く引用して描かれていて、現場の教師の息づかいが感じられるからだ。加えて、学校図書館や教育学、情報学といった多分野における先行研究を踏まえることによって分析に幅と深みを増している点も見逃してはならない。といっても、教員OBの私に学術論文としての妥当性や信頼性を厳密に論ずることができるわけではないが、とにかく、1960年代には「学校の心臓」とまで呼ばれていながら、その後の不況の影響もあって1990年代にほぼ消滅状態になったフィンランドの学校図書館を、ICTの導入にともなう情報リテラシーの育成という新たな使命を付与して、一からよみがえらせようとする試みに感動さえ覚える。
そんな私の期待に反してIFLAの膨大なプログラムの中に、この実践に関する報告を見つけることはできなかったが、その代わりにオウル市のリタハリュ・コミュニティセンター(Ritaharju community centre)に関する資料が見つかった。
Together for the Future - Ritaharju community centre
このセンターには図書館、学校、デイケアセンター、青少年活動センターといった所轄行政機関の異なる4つの施設が入っているのだが、それは単なる集合体ではなく、それぞれの機能が相互に有機的に作用しあうことによって一つの複合体を形成するようにデザインされているという。たとえば図書館は、公共図書館と学校図書館の両方の機能を果たしていて、小学校一年生全員に利用者カードを発行して学校の教育プログラムにさまざまな児童サービスを組み入れるとともに、学校図書館として、情報検索の指導はもちろん、隣接する情報センターを利用しながら教師とともに探究型学習やプロジェクト型学習の指導にもかかわっている。
12日の学校図書館自主講座では、そんなオウル市の最近の動向も紹介しながら、フィンランドの教育行政と学校図書館の歴史などを踏まえて、2002年―2004年に実施されたSLI(情報社会の学校図書館)プロジェクトの成果とその後(2009年まで)の影響について研究の概要をメンバー有志が手分けして報告した。
なお、当日の参加者には事前に、かなり詳しい論文の要約を配布してありましたが、当日の話し合いにもとづいて少し修正を加えたものを6月初めにはネット上にアップロードする予定ですので、ブログの読者の皆さんは、それまでお待ちください。以下は、当日、各報告者が使ったスライドを集めたものですが、内容の一端でも感じ取っていただければ幸いです。
オウル市のSLIプロジェクトは、行政と公共図書館と学校との三者のコラボレーションによって、学校図書館が公共図書館への依存から自立して、その機能を取り戻そうとする取り組みだったと言えるでしょう。プロジェクト終了後も学校図書館の活動をはじめる学校が増えているといいます。その流れの中で、今後、Ritaharju community centreのようなケースがどう展開していくのかに関心をもって見ています。
学校図書館と公共図書館の運営について縦割り行政の壁を取り払うことには注意が必要で、そのことはRebecca Knuth先生の1997年の論文で、大変クリティカルに議論されていますから、ぜひご一読ください。日本では、学校図書館と公共図書館の連携は、誤解され、財政削減のために活用される可能性があります(実際、すでにそれが進行しているという見方もできるほどです)。統合ではなくて、両図書館のcollaborationの実現こそが、目指すべき方向性だと私は思っています。
「読書のアニマシオン」がフランコ政権時代のものだという評価がどのような根拠に基づくのか分かりませんが、日本での受けとめられ方も含めて、さまざまな見方と実践があることは理解できます。6月17日の記事ではアンニョリさんの「知の広場」を社会文化アニマシオンの視点で捉えてみましたが、読書活動であれ図書館活動であれ、その他の文化活動であれ、人々をつないで精神の自由を保障する公共空間をつくっていく取り組みは応援したいと思っています。
それから、もっと新しいブログ記事で書いておられた、アニマシオンについてですが、バルセロナで図書館情報学者や子どもに対する図書館サービスの実践家たちと話した経験から、読書のアニマシオンの考え方やその実践は、スペインと日本ではまったく違う広まり方をしていると私は思っています(フランコ時代のもの、と反応した人もいたのが忘れられません)。マドリードでは違うのかもしれないとも思っており、いつか確かめたいです。