リーマンの鯉釣り日記

鯉釣りを始めて、もうかれこれ40年、鯉釣りが好きなんですと言える気持ちを持ち続けていたいです。

訓練の場としての野池

2023年11月06日 | 野池
地元での訓練の場として、最近は野池に通うことが、このところの私の場合です。以前は、地元の河川がその場でしたが、最近の河川はミドリ亀の影響で、なかな思うような釣りもできにくいのが現状で、昔の河川が懐かしく思い出されるのですが、こんなにも河川の生態系が変わってしまってることは、一般には知られれないのでしょうね。
そこで、自然の残る野池を探索しながら、野鯉釣りのできる野池を探しながら、自分の足と目で確かめながら、野池探索をしている自分がいます。
人が釣ったとか連れたとかという情報をもとにする鯉釣りでは、楽しみが半減します。私の周りでも、今はそういう鯉釣り師がほとんどなってきていますが、それもあって、昔と違って、最近は釣った写真の背景を隠すことで、そのポイントを知られたくないとすることが多くなってきています。人が釣ったポイントだけを頼りにするような釣り方では、長続きしないのが見えています。40年も鯉釣りをして来て、いつの間にか辞めてしまった人は大半がそういうタイプの人でした。だから、日頃から自分に言い聞かせているのは、自分の目と足でポイントを探すということです。その際、天候や季節、風向き、水温、波の立ち方、岸の木々の様子、さらに水深、水温、塩分濃度、そこの土の硬さや土質、餌となる貝類やザリガニの有無、ミドリ亀やブラックバス、ブルーギルの有無など、様々な環境が鯉の生育や食性に影響があると考えられる中で、そのターゲット考えるフィールドでそれらの環境をどう考慮するか、そこには、日頃からの意識の度合いとその積み重ねとしての経験値が重要になります。ぼーっと時間がすぎるのを待つ釣りにするか、それとも、考えを巡らすかで大きく釣りに違いが出てくることを見過ごしがちになり、引いては釣果にも大きな差異が出て来るのが、鯉釣りではないかと、長年の経験から感じざるを得ません。鯉釣りの醍醐味を味わうことの原点は忘れたくないと自分に言い聞かせているのが今の私です。
そんな今の私の訓練の場としての野池に通っているので、このところの私ですが、ボーズであっても、そこから如何に学ぶかが、大切であること最近になってまた再認識して、今回もそんなところに出かけてきました。
このところ、この野池では10回近く、ボーズが続き、その難しさを痛感しているのですが、なんとか食わしたいと今回は早朝から夕方までの釣行になりました。通常は5、6時間の釣行ですが、今回は8時間釣行です。池の自然環境の状況に関しては、ある程度把握している中で、今回はフィーディングや食わせえさにこれまでとは違う観点から変化を持たせ、試みてみました。
しかし,アタリもなく,時間だけが過ぎていき納竿時刻の16時も迫って来た15時50分に待望の当りです.
ネットとアンフッキングマットを携え,釣り座に着くと,すでにリールからの糸は出ていません.しかし,竿を持つとズシリとトルクの重さが竿を伝って手に響いてきます.ゆっくりドラッグに注意しながらリールを巻き始めると池の最深部に向かって糸が出ている感じで,ゆっくりと鯉が動き始めるのが伝わってきます.その動きが竿を伝って確かに手に伝わってきます.大型を確信しながら,横走りされると取り込みが難しくなるので,ゆっくりとじわじわ寄せる感じでリールを巻いていきます.しかし,かなり糸が出ているので,時間がかかります.10分ほどやり取りしながら,やっと手前まで寄せることができ,15m程沖で鯉の波紋と背びれが見え,ここからネットインまでは慎重なやり取りが必要で,何回か寄せては走りを繰り返して,何とかネットイン.やれやれです.
しかし,最期に何とか喰わすことができ,このところの課題を何とか克服できた気持ちになります.


92cmの良型で,傷一つなくきれいな姿はこの池の特徴を表しています.メーターオーバーもいると思いながら4年目を迎えたこの池での釣行ですが,まだその大型の姿は見ることはできていません.まだまだ修行は続きそうです.


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