奇跡の一本松「蘇生は絶望的」 記念碑として保存へ
保護断念が決まった「奇跡の一本松」=13日、岩手県陸前高田市、山西厚撮影
震災の大津波に耐え、復興のシンボルとなっていた岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」について、日本緑化センター(東京都)は13日、「蘇生は絶望的」として、これまで取り組んできた保護を正式に断念したことを明らかにした。
市は一本松の幹を「記念碑」として保存する方針で、近く具体策の検討に入る。
国の名勝・高田松原は7万本の松が茂り、日本百景に数えられた。
3月の津波の直撃を受け、ほとんどが根元から折れ、1本だけが残っていた。
センターによると、一本松は樹齢約270年で、塩分を含んだ地下水で根が腐るなどして衰弱が進んでいた。
報告書を受けとった戸羽太市長は「あれだけの津波に耐えただけでも奇跡。
この9カ月、みんなの支えになってくれた」と述べた。
今後は専門家と相談し、樹脂で固めたり、別の場所に移転したりして保存する方法を検討するという。
一本松をめぐっては、クローン技術を使った再生や接ぎ木による保存などさまざまな取り組みが県内で続けられている。
一本松の奇跡、受け継いで 子どもの苗が成長中
陸前高田市の「奇跡の一本松」の種子から育った苗=14日、東京・大手町
津波にも耐えて残った岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」の種子から苗を育てることに、住友林業が成功した。
衰弱が進んでいた一本松は蘇生が断念されたが、その後継ぎとなる18本の苗は、高さ約4センチまで成長。将来的に松原の再生に生かしたい考えだ。
14日に発表した。同社によると、東日本大震災後の4月、一本松の樹上に残っていた松ぼっくりを集め、わずかに残っていた種子25粒を採取。
低温処理を施した上で、9月から脱脂綿の上に種子をまき始めたところ、間もなく発芽した。今後は温室や畑などで管理。約10年後には50センチほどまで育て、植樹できるようにしたいという。
http://www.asahi.com/national/update/1214/TKY201112140586.html 朝日新聞より
7萬本のうちたった一本生き残る姿は 哀れというか 寂しさが先に目にに飛び込む
夏の盛りに一目見たいと高田に そびえたつ瓦礫の側の松は哀れであった。
生き延びる姿も力強いが 津波の恐ろしさが先に頭に浮かんでくる。
全国より 樹医が吹っ飛んできて 手厚く保護
そびえ立つ松は人間様同様 包帯だらけ
しかし、この生きる姿に感動もちらつく
他の全滅した松の材木は 全国で 引き取り手がない
京都の送り火
成田山のお守り
長野の善光寺でも絵馬?
企画すれども、市民の猛反対に遭い その後が耳にすることはない
人間の一部の勝手な 言い分に あわれ 可哀想な松であった。
今年の賀状は 迷い迷ったあげく
この残された すくっと立つ姿に めでたい言葉はいらぬ
一言 感謝 生きる喜び 絆
こんな一言の言葉を添えて印刷
しかし2011/12/13日
ラジオから流れるニュースで 手当の会もなく枯れた悲しい知らせに
溜息が出た
賀状は、すべて 廃棄処分
まるで、松の世間の風評と同じ
最後まで姿を消してしまう運命になってしまった。
しかし、心の中にこの景色だけは焼き付けておこう。
悲しいニュースである。
保護断念が決まった「奇跡の一本松」=13日、岩手県陸前高田市、山西厚撮影
震災の大津波に耐え、復興のシンボルとなっていた岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」について、日本緑化センター(東京都)は13日、「蘇生は絶望的」として、これまで取り組んできた保護を正式に断念したことを明らかにした。
市は一本松の幹を「記念碑」として保存する方針で、近く具体策の検討に入る。
国の名勝・高田松原は7万本の松が茂り、日本百景に数えられた。
3月の津波の直撃を受け、ほとんどが根元から折れ、1本だけが残っていた。
センターによると、一本松は樹齢約270年で、塩分を含んだ地下水で根が腐るなどして衰弱が進んでいた。
報告書を受けとった戸羽太市長は「あれだけの津波に耐えただけでも奇跡。
この9カ月、みんなの支えになってくれた」と述べた。
今後は専門家と相談し、樹脂で固めたり、別の場所に移転したりして保存する方法を検討するという。
一本松をめぐっては、クローン技術を使った再生や接ぎ木による保存などさまざまな取り組みが県内で続けられている。
一本松の奇跡、受け継いで 子どもの苗が成長中
陸前高田市の「奇跡の一本松」の種子から育った苗=14日、東京・大手町
津波にも耐えて残った岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」の種子から苗を育てることに、住友林業が成功した。
衰弱が進んでいた一本松は蘇生が断念されたが、その後継ぎとなる18本の苗は、高さ約4センチまで成長。将来的に松原の再生に生かしたい考えだ。
14日に発表した。同社によると、東日本大震災後の4月、一本松の樹上に残っていた松ぼっくりを集め、わずかに残っていた種子25粒を採取。
低温処理を施した上で、9月から脱脂綿の上に種子をまき始めたところ、間もなく発芽した。今後は温室や畑などで管理。約10年後には50センチほどまで育て、植樹できるようにしたいという。

7萬本のうちたった一本生き残る姿は 哀れというか 寂しさが先に目にに飛び込む
夏の盛りに一目見たいと高田に そびえたつ瓦礫の側の松は哀れであった。
生き延びる姿も力強いが 津波の恐ろしさが先に頭に浮かんでくる。
全国より 樹医が吹っ飛んできて 手厚く保護
そびえ立つ松は人間様同様 包帯だらけ
しかし、この生きる姿に感動もちらつく
他の全滅した松の材木は 全国で 引き取り手がない
京都の送り火
成田山のお守り
長野の善光寺でも絵馬?
企画すれども、市民の猛反対に遭い その後が耳にすることはない
人間の一部の勝手な 言い分に あわれ 可哀想な松であった。
今年の賀状は 迷い迷ったあげく
この残された すくっと立つ姿に めでたい言葉はいらぬ
一言 感謝 生きる喜び 絆
こんな一言の言葉を添えて印刷
しかし2011/12/13日
ラジオから流れるニュースで 手当の会もなく枯れた悲しい知らせに
溜息が出た
賀状は、すべて 廃棄処分
まるで、松の世間の風評と同じ
最後まで姿を消してしまう運命になってしまった。
しかし、心の中にこの景色だけは焼き付けておこう。
悲しいニュースである。