月下の道標
光と闇が映し出す心象的夜の風景と日常的自然風景
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Carl Zeiss Makro Planar T*2/50
/
2011-07-13
CANON EOS5D Markll
Carl Zeiss Makro Planar T*2/50 ZE
「こんなところで働かされて
かわいそうだよね」
誰かが言った
こんなところとはなんだ
かわいそうとはなんだ
その言葉に苛立ちを感じた
コメント (
6
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重たそうなカバン
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夏の過ごし方
»
コメント
まあまあ・・・
(
teru
)
2011-07-13 20:22:51
働く環境だけの問題じゃないんだよね、きっと
働いていた人の年齢だとか
なぜ遊びたい盛りに働いていたとか・・・
映画の中の話として・・・。
でも別の話として
当時のこの地方の紡績工場というのは
すごく待遇もよかったとありました。
柳ケ瀬が華やかだった時代
遠くから出稼ぎに出てきた
そんな活気があったようですよ。
母たちもそんな中の一人でしたね。
へぇ~
(
ドラゴン
)
2011-07-13 22:05:02
これって、もう既に廃業中の会社で撮影するの?
う~ん、どう動くのか見てみたい^^
しかし、teruちゃんの読んでて感心するわ~
最近思うんだけど、真面目に捉えて解説してるよな~
teruちゃんって話好きなん?
ジャーナリストになれたりして^^
そんで、marimっちが記者で写真担当したら良いかも(*^。^*)どないでっか?
そうそう
(
marim
)
2011-07-14 07:33:32
思っているほど
紡績工場で働いていた子たちは
悲惨ではなかったと思う
明治 大正 昭和と
その頃の子供たちは
みんな家の仕事を手伝っていたし
それがあたりまえだったと思う
紡績工場は長時間労働で
賃金も安かったとも
過酷な労働条件だったとも聞きますが
そこで働いていた子たち
夢も希望も持っていたし
うちの母も夢をもって
商売を始めたと思う
私たちを育てるためだけではなかったよね
紡績工場があったおかげで
街は活気にあふれていた
紡績工場がなくなったとたんに
街はさびれた
当時 私たちの住んでいた場所には
大きな紡績工場はたくさんあったけれど
街の人は紡績工場で働く子たちを
「ばたんこ」と差別的な呼び方をしていた
「こんなところで働かされてかわいそうね」
という言葉には
そんな差罰的なふくみがあったので
いらっとしたわけで
岐阜は繊維の街だったから
紡績工場がなくなったとたんに
街全体がなにもなくなっちゃったよね
ははは^^
(
marim
)
2011-07-14 07:41:02
ドラゴンさん、こんにちは
この機械は動いていなかったのですが
動いていたのもありますよ
油の匂いが充満していました
廃業中の会社で撮影・・・
以前はやったこともありますが
今は家庭もありますので
無茶はやっていないですよ 笑
不法侵入はできないですね 笑
姉妹でですか
どうなんでしょうね~
同じ細胞でも
考え方違いますからね
どこかで遺伝子組みかえされてるかもしれない 笑
Unknown
(
reno
)
2011-07-29 04:25:31
おはようございます
小学生のころ
近所にはたくさんの機やさんがありましたよね
織機の音がいたるところから聞こえてきて活気がありました
遠い記憶ですが・・・
その当時は機やさんちの子は
羽振りがよく羨ましかったですよ
最近仕事で真夜中に
金町や長住町界隈を通りました
夜中ということもありますが
昔の賑わいは感じられませんでしたね
勢いよく回る白い糸と
バタンバタンという勢いのある音が聞こえてきます
涙が出てきた
活気のある町
(
marim
)
2011-07-29 09:53:46
renoさん、こんにちは
機や 「はたや」と読むのですね
私は機やのない場所で育っていないので
どちらかというと
街の子でしたので
いわゆる繁華街ですね
人の声の中で育ってきたかんじで
大人社会はよく知っていましたね
マセた子供でした
少し郊外にいくと織機の音が
あちらこちらで聞こえていました
renoさんとは少し世代が違いますが
私の子供のころも
アパレルは盛んで
大きな工場も
小さな下請け工場も
あちこちで見て
どこも活気がありましたね
懐かしいです
今でもそこにある音や熱気
町全体が動いていた頃を
感じることができます
岐阜周辺はアパレル産業が主流でしたから
中国などへの海外進出で
岐阜の産業は一気に空洞化
駅前問屋町も
郊外の下請けや内職業
柳ヶ瀬などの繁華街も
何もなくなってしまいましたね
あるのは
再開発もされず
未だ残る当時の建物
それを見ていると
さみしさを感じます
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働いていた人の年齢だとか
なぜ遊びたい盛りに働いていたとか・・・
映画の中の話として・・・。
でも別の話として
当時のこの地方の紡績工場というのは
すごく待遇もよかったとありました。
柳ケ瀬が華やかだった時代
遠くから出稼ぎに出てきた
そんな活気があったようですよ。
母たちもそんな中の一人でしたね。
う~ん、どう動くのか見てみたい^^
しかし、teruちゃんの読んでて感心するわ~
最近思うんだけど、真面目に捉えて解説してるよな~
teruちゃんって話好きなん?
ジャーナリストになれたりして^^
そんで、marimっちが記者で写真担当したら良いかも(*^。^*)どないでっか?
紡績工場で働いていた子たちは
悲惨ではなかったと思う
明治 大正 昭和と
その頃の子供たちは
みんな家の仕事を手伝っていたし
それがあたりまえだったと思う
紡績工場は長時間労働で
賃金も安かったとも
過酷な労働条件だったとも聞きますが
そこで働いていた子たち
夢も希望も持っていたし
うちの母も夢をもって
商売を始めたと思う
私たちを育てるためだけではなかったよね
紡績工場があったおかげで
街は活気にあふれていた
紡績工場がなくなったとたんに
街はさびれた
当時 私たちの住んでいた場所には
大きな紡績工場はたくさんあったけれど
街の人は紡績工場で働く子たちを
「ばたんこ」と差別的な呼び方をしていた
「こんなところで働かされてかわいそうね」
という言葉には
そんな差罰的なふくみがあったので
いらっとしたわけで
岐阜は繊維の街だったから
紡績工場がなくなったとたんに
街全体がなにもなくなっちゃったよね
この機械は動いていなかったのですが
動いていたのもありますよ
油の匂いが充満していました
廃業中の会社で撮影・・・
以前はやったこともありますが
今は家庭もありますので
無茶はやっていないですよ 笑
不法侵入はできないですね 笑
姉妹でですか
どうなんでしょうね~
同じ細胞でも
考え方違いますからね
どこかで遺伝子組みかえされてるかもしれない 笑
おはようございます
小学生のころ
近所にはたくさんの機やさんがありましたよね
織機の音がいたるところから聞こえてきて活気がありました
遠い記憶ですが・・・
その当時は機やさんちの子は
羽振りがよく羨ましかったですよ
最近仕事で真夜中に
金町や長住町界隈を通りました
夜中ということもありますが
昔の賑わいは感じられませんでしたね
勢いよく回る白い糸と
バタンバタンという勢いのある音が聞こえてきます
涙が出てきた
機や 「はたや」と読むのですね
私は機やのない場所で育っていないので
どちらかというと
街の子でしたので
いわゆる繁華街ですね
人の声の中で育ってきたかんじで
大人社会はよく知っていましたね
マセた子供でした
少し郊外にいくと織機の音が
あちらこちらで聞こえていました
renoさんとは少し世代が違いますが
私の子供のころも
アパレルは盛んで
大きな工場も
小さな下請け工場も
あちこちで見て
どこも活気がありましたね
懐かしいです
今でもそこにある音や熱気
町全体が動いていた頃を
感じることができます
岐阜周辺はアパレル産業が主流でしたから
中国などへの海外進出で
岐阜の産業は一気に空洞化
駅前問屋町も
郊外の下請けや内職業
柳ヶ瀬などの繁華街も
何もなくなってしまいましたね
あるのは
再開発もされず
未だ残る当時の建物
それを見ていると
さみしさを感じます