まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

義理もまた楽し

2012年02月06日 23時58分25秒 | 日々雑感
「前倒し」という言葉がある。

行事なんかを予定繰り上げて行ったりする場合に使われる。

逆はなんだろう。

「後ろ起こし」か?

それはどうでもいい。

わたしは基本的に「前倒し」が好きだ。

遅れるくらいなら先に済ませたい。

誕生日のプレゼントでもお祝いの言葉でも、早いぶんには数日前でもかまわないが

一日でも遅れると、なんか興ざめしてしまう。

わたしにとっては「終わったこと」になってしまうのだ。

なので、すでにバレンタインの配布を始めている。

まさに「配布」というにふさわしい、本命なしレースである。

いや、レースになってないな。

何も狙っていないのだから。

強いて言えばウケ狙いか。

これまで義理チョコってもらっても嬉しくないだろうと思っていた。

しかし、もしも自分が男だったらどうだろう。

本命どころか義理ももらえなかったら。

よほど悟りを開いてなければ、なんかがっかりするんじゃないか。

本命がもらえる人はいい。

義理なんかもらっても、お返しが大変だし

もしかすると、あらぬ疑いをかけられて本命との仲がこじれる素だ。

だが本命がいないなら、せめて義理でも欲しいのが人情というものだろう。

そう思うと、「義理チョコ」ではなく「人情チョコ」と言ったほうがよさそうだ。

家庭持ちの人は、義理チョコの一つも持ち帰らないと、家族から馬鹿にされることもあるかもしれないし。

今、小中高校生女子の間では「友チョコ」が定着しつつあるらしい。

手作りのお菓子を作りたい年頃だしね。

わたしも中学の頃はクッキーを焼いたりしてたもの。

買ったほうが美味しいと気付いてやめたけど。

「友チョコ」のもらえない子は寂しいとか寂しくないとか新聞に書かれていたけれど

子供の世界のことだ、放っておけ。

大人が何でもコントロールできると思ったら間違いだ。

「友チョコ」がもらえないことが「寂しい」とか「みじめ」なのではなく

そういう風に周りに思われることこそが、もらえない子を追い込むのだ。

心無い親が「友チョコもらえなかったの?」などと言えば、きっと子供は悲しい思いをする。

「友チョコ」を禁止したりするよりも、チョコがもらえないからといって

うちの子は友達がいない・・・などと短絡に思ったりしないことが大事だ。

もらえない子はもらえないなりに、それを受け止めたり消化したりして成長して行くのだから。

そう思うと、お母さんが男の子に用意するバレンタインチョコもどうなのかなぁ。

男の子はお母さんが好きな子が多いから嬉しいのだろうか。

わたしが撒いた義理チョコは、結構喜ばれてるみたいです。

明らかな義理チョコ風で、あらぬ疑いや紛争の素にならないようにラッピングしました。

なんたってチロルチョコメインだから。

でもわたし、ゴディバのチョコよりチロルチョコのが美味しいと思うんだけど。

まあ高級感はありますが。

百貨店のお菓子売り場を歩いているとウキウキする。

この時期にしか見られない可愛いチョコ。

きれいな箱に入って。

素敵なリボンをかけられて。

誰かがわたしにくれたらいいのに。

「逆チョコ」もあるらしいですが。

それこそ縁がないんだわ。

「逆義理チョコ」が流行る日も近い?

なんか、ややこしいなぁ。
コメント
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