まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

もう、元には戻れない

2012年05月25日 20時30分12秒 | 日々雑感
買い物帰りに、近所の軒下で数人の小学生男子がしゃがみこんでゲームをしていた。

ゲームだったら一人でもできるだろうに、やっぱり友達と一緒にやりたいのだろうか。

一人一台ずつ手にして興じている様は、なんとも馴染めないが対戦や通信もできるのだろうし

みんなでやる楽しみがあるからこそ集まってやっているのだろう。

先日、知人の三歳になる女の子が一心不乱にipadを操作していた。

驚くほどのことでもない。

子供というのはすぐに家電の操作を覚える。

2歳の子が、アンパンマン見たさにビデオデッキを操作したなんて話さえある。

デジタルネイティブ。

生まれた時から、ITや便利家電が身近に当たり前にある子供たちにとって

使うとか使わないという選択肢はない。

当たり前のように使うのだ。

スマートホンは便利だと、テレビも雑誌も絶賛するが、その便利さは必要な便利さだろうか。

なくても困らない便利さではないのか。

そもそも携帯電話は誰もが持つ必要のあるものか?

携帯を紛失して、数か月持たなかったことがあったが、さほど不便を感じなかった。

ただ、両親が高齢になったり災害のことを考えると

もしものときのために持っていたほうがいいのだろうと

なんとなく持っている。

コンプリートガチャが問題になっているけれど

問題は、こんなことに夢中になって、際限なく時間と金を使ってしまう人のほうではないだろうか。

本当のガチャガチャは目の前で現金がなくなっていくけれど

携帯のガチャは、そういうわけではないから感覚が麻痺してしまうのだろうか。

わたしのようなアナログ派にはわからない・・・と言いながら

今、パソコンを使っている。

酒と一緒だ。

飲んでもいいが、飲まれるな。

道具に支配されるな。

テレビもゲームも想像の余地がなく、受動的な娯楽だ。

本を読んだり絵を描いたり、俳句をひねったり。

大事なのは創造と想像。

なんて、下手なこと言うなあ、わたし。

幼児にipadやゲーム機を与えるのはかまわない。

その代わり、絵本も読ませてほしい。

積み木も与えてほしい。

ゲームの刺激に慣れて、それ以外の楽しみがわからないような子供は増やさないでほしい。

電車に乗っても車窓を眺めるでもなく、すれ違う電車に歓声を上げるでもなく

ゲーム機だけを見つめる少年。

寂しいなんて思わない。

不気味だ。

しかし、こんなこと言ってもノスタルジーにすぎないのだろうか。

わたしも、ブログを綴らないで、紙新聞を発行するべきだろうか・・・





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 未知との遭遇 | トップ | ルーズで優しい »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日々雑感」カテゴリの最新記事