まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

格差を拡散、隠さんの?

2024年08月17日 15時22分42秒 | 日々雑感
スポーツが嫌いなのは、小学校でも中学校でも努力や根性のプレッシャーがあり

しかも上手に出来ることや強いこと、勝つことが目的となっていることが多かったからだ。

努力する根性も才能もなく、勝てる要素のないわたしがスポーツに参加する余地などなかった。

とにかく勝つこと。

それは今も変わらないような気がする。

勝たなくてもいいからがむしゃらに頑張ること。

ひたすらに打ち込むこと。

他のことには目もくれないこと。

誰が誰に対して強要しているのか知らないけど。

スポーツって楽しむためにするものじゃないのか?とか

運動ってストレス解消や心身の健やかさを保つためのものでしょ?

なんて言っても負け犬の遠吠えなのだ。

勝った方が楽しいには違いないけど

誰のために、何のために。

勝つためにやっているのか、結果として勝つのか。

オリンピックでわたしが唯一見たのはブレイキンだ。

知人は「これってスポーツなの?」って言っていたけど。

確かに「スポーツ」感も薄いし競技感も薄い。

見てみたら面白かったですね。

すごく良かった。

勝っても負けても悲壮感がない。

始まる前も競技中も終わってからも「いえーい」って感じ。

予選から決勝まで、女子も男子も見た。

本当に色々なスタイルの選手がいて、人間って身体ひとつでこんなことが出来るのかと驚嘆し

無謀にも「わたしもやってみたい」と思ってしまった。

日本を代表する選手の一人が「誰か一人でもお気に入りの選手を見つけて欲しい」って言っていたけど

ホント、そういう感じ。

採点競技って、あれこれ言われがちだけどブレイキンは

勝ちとか負けとか上手い下手よりも「自分はこのスタイルが好き!」でいいと思う。

一緒に身体動かしたくなるような気にさせてくれただけでサンキュー、だぜ。

オリンピックの全体結果だけざっと目を通したらメダル獲得の表があった。

国ごとに体格や体力や身体能力に大きな差はないはずなのに

これだけメダル獲得数に差があるということは

どれだけその競技に打ち込める環境が整っているかということと

国がどれだけ威信をかけているかということ

その競技に全てを打ち込むという競技者がどれだけ存在するのかということ

その差が現れているような気がして、メダル獲得も格差ありか?と考えると

獲得数を誇るのは逆にちょっとなんだかなぁな気持ちになったのでした。

最後に、オリンピックでのブレイキンあるあるをひとつ。

競技を終えた選手の多くが帰り道を間違う。

そういうところも微笑ましくてよかった。