待ち合わせの時、相手を待たせるのが嫌な人と、待たせても平気な人がいる。
待たせるのが嫌な人は、たいてい他人の時間のルーズさにも厳しいし
待たせるのが平気な人は、待たせられても気にしない人が多いようだ。
わたしは待たせるのが嫌なので、少し早めに行くタイプ。
昔まだ、携帯電話がこの世にない頃、2時間近く待たせられて絶交した苦い経験から
待つのもほどほどにしようと考えていたけれど、
昨今、遅れるときは連絡が入るし、どうしたのかと思えばこちらから電話もできるのだから
「待ちぼうけ」や「すれ違い」といったことはほとんどなくなった。
むしろ、待たせるのが嫌な人同士の待ち合わせのが厄介だ。
例えばわたしが、「迎えに来てもらうのだから少し早めに待っていよう」と考える。
しかし迎えに来る人は「XXさんは早めに来るタイプだから、それより少し早く待っていよう」と考える。
結果、待ち合わせ時間より双方が10分ずつ早く来ていたりする。
そのときも待たせたほうが恐縮し、次の機会には
この前、10分前に行って待たせちゃったから・・・などと考えて
さらに早く行くようになるから、全くもう。
せっかちという性分もあるのだろうけど、両親もやたらと早く用意したがるタイプ。
10時に出れば余裕で間に合う、というときは
「じゃあ、ちょっと余裕見て9時半ね!」
なんでだ。
父親が車で送ってくれるときも、頼んだ時間より15分も前からエンジンをかけ始めるので
近所迷惑だし、早く着いてしまうし、最近は出たい時間より遅めに言うことにしている。
それでちょうどよいくらい。
かと思えば、つわものはわたしの妹である。
「13時頃」と約束したら大体14時。
頃、の概念がどうかしてる。
なので最近は、言われた時間からほぼ1時間~1時間半を目安に待っている。
そうするとどんぴしゃり。
どこかラテンの国の待ち合わせを思わせる感覚に
こういう風にわたしもなりたい、と本気で思うのだ。
待たせるのが嫌な人は、たいてい他人の時間のルーズさにも厳しいし
待たせるのが平気な人は、待たせられても気にしない人が多いようだ。
わたしは待たせるのが嫌なので、少し早めに行くタイプ。
昔まだ、携帯電話がこの世にない頃、2時間近く待たせられて絶交した苦い経験から
待つのもほどほどにしようと考えていたけれど、
昨今、遅れるときは連絡が入るし、どうしたのかと思えばこちらから電話もできるのだから
「待ちぼうけ」や「すれ違い」といったことはほとんどなくなった。
むしろ、待たせるのが嫌な人同士の待ち合わせのが厄介だ。
例えばわたしが、「迎えに来てもらうのだから少し早めに待っていよう」と考える。
しかし迎えに来る人は「XXさんは早めに来るタイプだから、それより少し早く待っていよう」と考える。
結果、待ち合わせ時間より双方が10分ずつ早く来ていたりする。
そのときも待たせたほうが恐縮し、次の機会には
この前、10分前に行って待たせちゃったから・・・などと考えて
さらに早く行くようになるから、全くもう。
せっかちという性分もあるのだろうけど、両親もやたらと早く用意したがるタイプ。
10時に出れば余裕で間に合う、というときは
「じゃあ、ちょっと余裕見て9時半ね!」
なんでだ。
父親が車で送ってくれるときも、頼んだ時間より15分も前からエンジンをかけ始めるので
近所迷惑だし、早く着いてしまうし、最近は出たい時間より遅めに言うことにしている。
それでちょうどよいくらい。
かと思えば、つわものはわたしの妹である。
「13時頃」と約束したら大体14時。
頃、の概念がどうかしてる。
なので最近は、言われた時間からほぼ1時間~1時間半を目安に待っている。
そうするとどんぴしゃり。
どこかラテンの国の待ち合わせを思わせる感覚に
こういう風にわたしもなりたい、と本気で思うのだ。