三     九

いつも ありがとう

大難が小難で

2015-10-30 08:18:14 | 毎日が日曜日
良かったと思っています。今は感謝しながらの生活です。



突然、病院からの電話、思いもよらない出来事に 慌てふためきました。

四国へ12日間の予定で父さんは八十八ヵ所歩き遍路に出かけました。

1泊目船舶、 2泊目民宿、3泊目病院、 4泊目自宅 5泊目病院と現在に至っています。



四国の病院からの電話で 元気な声の父さんと 会話することができて 安心はしましたが、

骨折した足を手術をしないといけないということで さてどちらでするか、

長崎に帰って来て手術したほうがと決まり 私が 四国まで迎えに行く  そう決めた私は

ガソリンを 満タンにし、高速を走るのでタイヤの空気圧を見てもらって・・・・・

店員さん 「タイヤがすり減っていますねー 交換したほうがいいですよー」

 

気もそぞろ、とりあえず 娘に 

「お父さんが 四国で  かくかくしかじか・・・・・・・」

娘 「お父さんはどうして入院しているの」に 四国に馳せ参じる事ばかり考えている私の頭の中には

はて? お父さんは どこを どうして入院いているんだっけ うまく娘に説明できず…でした。

「お母さんが 高速を走っていくこと自体 心配でたまらない 弟に頼んでみてよ」と娘


息子に電話して 「父さんが 四国の病院に入院しているので 迎えに行ってくる」と言うと

長男 「俺 今夜から 東京出張   お母さん 高速 走ったことあるね?」

「長崎空港まで45キロぐらい走った事あるかな」と私

息子 「それは怖い 四国まではかなりある 何とかするから」と


しばらくして 

息子 東京 翌日半日の仕事で 13時10分羽田発の飛行機で四国高松in

レンタカーを借りて、 病院まで父さんを迎えに行ってくれることになりました。

我が家の1大事 千葉に住む次男にも連絡します。





父さんに会えた長男からメールが届きました。

「元気にしていますよ~ 左足以外」 と

車いすに座って、父さんのいつものナイスポーズ、右手アップの元気な姿と、

痛々しく骨折して包帯を播きまきの左足の写真2枚が送信されてきました。


退院手続きを終え病院からの 

帰りのルートは 八幡浜港まで行って フェリーで別府に渡り 別府から九州横断鳥栖まで行って一路長崎へ 

息子の背中に おんぶされ自宅に着いたのは 深夜の2時半頃でした。



日頃 長男は仕事柄、県内にいないこともあり 連絡取りたい時にとれない事もあり急用の時は・・・と心配したりしていましたが、

グッドタイミング 偶然とはいえ東京半日出帳 今回の長男の活躍に大きく安心し私は自宅で無事の帰宅を待ちました。

次男は参考情報にとフェリーの船内のバリアフリー情報 車いすの貸出サービス 身障者用トイレ スロープウェイ等事細かく情報を発信してくれていました。



転院の手続きをしてもらっていて 近くの病院に入院中の 父さんは 足の腫れが引いてからの手術となります。

早速 兄ちゃん思いの 父さんの2人の弟夫婦も兄ちゃんの顔を福岡からと島原から見に来てくれました。

孫の顔も じーちゃんの元気UPのスタミナ剤です。



山道での災難で 打ち所が悪かったら・・・崖下に落ちていたら・・・ 119が通じなかったら・・・・ いろいろ思うと 

このくらいの怪我で よかったねー とみんな 笑うことの多い事 今だから笑えますが・・・。

いろんな方にお世話になりました。たくさんの方々に 感謝しています。

父さんの 術前 術後 見守り隊 隊長を しっかり努めまーす
 
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