いろいろの検査をした結果 99.90%悪性の肺がんに間違いないでしょうとの
説明を受け 手術をした。
不幸中の幸い 0.10パーセントの 良性のものだった。
器質化肺炎という病名をきき
夫は大層な痛い思いをしたのですが・・・。
3週間ほどの入院でした。
退院する前
PSAの数値が グレーゾーンを超えていたので12箇所の、
組織検査を 出したまま 退院したのでした。
単身赴任していた夫は 独身寮にお世話になっていて
長崎に帰りたいと言うので 退院後3日目で自分の運転で長崎へと帰りました。
前立腺の組織検査の結果は 電話で聞いていいと言う事だった。
結果は「電話ではお話できません」と気になる返事。
丁度 南の方では 台風が発生していて 北上中
早朝3時 長崎を 出発して 広島の病院へ行く。
検査の結果 「12箇所の細胞のうち 5箇所からがん細胞が 見つかりました」と
ああ無情・・・
それからというもの 再度入院の予定を組んで
その日のうちに長崎へと
がん がん と実感のないまま そして今度は本当の
癌を取除く、 夫は 二月(ふたつき)の間に
大きな手術を2回もしたのでした。
今も思うのですが 肺を悪性の・・と言われている時 前立腺癌の
存在がはっきりしていなくて良かったと思っています。
肺癌といわれていた頃 前立腺癌が見つかっていたら がん細胞は2箇所に
転移していると言う事になって 肺の手術はなかったかも知れないが
治療方法は 抗がん剤の投与ではなかっただろうか
夫は勿論、私達家族は 不思議な力によって
偶然にも救われたのではないだろうかと これこそ「不幸中の幸い」と
夫 共々感謝の日々です。
結果的に 前立腺癌がさほど大きくならない内に見つかったのです。
人間ドックで肺癌 騒動 この6月で あれから 5年になります
ホルモン注射も打ちましたが 数値が落ち着いていたので
止めて3年になります。
目下 少し上昇の気配がありますが 注射をするまでないということで
経過観察中 定期的にPSA検査に行っています。
一病息災 元気で 笑って 免疫上げて 楽しくいきましょう、
と誓うのでした。
説明を受け 手術をした。
不幸中の幸い 0.10パーセントの 良性のものだった。
器質化肺炎という病名をきき
夫は大層な痛い思いをしたのですが・・・。
3週間ほどの入院でした。
退院する前
PSAの数値が グレーゾーンを超えていたので12箇所の、
組織検査を 出したまま 退院したのでした。
単身赴任していた夫は 独身寮にお世話になっていて
長崎に帰りたいと言うので 退院後3日目で自分の運転で長崎へと帰りました。
前立腺の組織検査の結果は 電話で聞いていいと言う事だった。
結果は「電話ではお話できません」と気になる返事。
丁度 南の方では 台風が発生していて 北上中
早朝3時 長崎を 出発して 広島の病院へ行く。
検査の結果 「12箇所の細胞のうち 5箇所からがん細胞が 見つかりました」と
ああ無情・・・
それからというもの 再度入院の予定を組んで
その日のうちに長崎へと
がん がん と実感のないまま そして今度は本当の
癌を取除く、 夫は 二月(ふたつき)の間に
大きな手術を2回もしたのでした。
今も思うのですが 肺を悪性の・・と言われている時 前立腺癌の
存在がはっきりしていなくて良かったと思っています。
肺癌といわれていた頃 前立腺癌が見つかっていたら がん細胞は2箇所に
転移していると言う事になって 肺の手術はなかったかも知れないが
治療方法は 抗がん剤の投与ではなかっただろうか
夫は勿論、私達家族は 不思議な力によって
偶然にも救われたのではないだろうかと これこそ「不幸中の幸い」と
夫 共々感謝の日々です。
結果的に 前立腺癌がさほど大きくならない内に見つかったのです。
人間ドックで肺癌 騒動 この6月で あれから 5年になります
ホルモン注射も打ちましたが 数値が落ち着いていたので
止めて3年になります。
目下 少し上昇の気配がありますが 注射をするまでないということで
経過観察中 定期的にPSA検査に行っています。
一病息災 元気で 笑って 免疫上げて 楽しくいきましょう、
と誓うのでした。