マリアヨハンナさんのブログ

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アヴェ・マリア(カッチーニ)編曲吉松隆・ピアノ田部京子

2015年11月13日 | 日記・エッセイ・コラム
アヴェ・マリア(カッチーニ)編曲吉松隆・ピアノ田部京子


今日は思わぬことが起きた。
 以前から、教会でお世話になっている高齢のご夫妻を月1回だけ平日(金曜日)ミサの送迎をさせていただいている。
歩いて数十歩の近いところに住んでいらしたのだが、昨年、お二人とも高齢になって、体調がよくないことがおおいので、どちらかが倒れると共倒れになってしまうということで、高齢者の自立支援型の施設に転居された。

 ご主人様の持病があって体調が安定しないので、通常の主日ミサには、長時間になって疲れてしまうし低肺の補助の酸素を常に持っているので邪魔にもなるし、足りなくなるのが心配だと言うので、平日ミサなら短いからということで、そのようにしている。
奥さまは、もともとカトリック信者ではなかったのですが、長年、御主人を支えていらしゃって、今後の万一の時のご相談を受けている時に、御本人に確かめたところ、洗礼を受ける意思をお持ちだったので、1年前に受洗されました。月1回の高齢婦人達の集まりにも、喜んで欠かさず参加されるようになった。

 今日も、いつものようにミサの送迎に伺って、ミサ後にちょっと話しこんでしまったので、施設での日常健康体操に遅れるので、ちょっと慌てていたら、奥さまが指を車のドアに挟んでしまうというアクシデントが起こった。
見る見るうちに紫色に変色して腫れてきた。

 指を車のドアに挟んたことを20年以上前に体験したが、それはそれは驚くほど痛いもので、数日間痛みが収まらないどころか、痛みで眠ることさえできなかった。指先というのは非常にデリケートなんだとつくづく感じたのだった。
 車に乗り込む時に、体をささえるために、扉の外枠につかまっていて、他の人がうっかりドアを閉めてしまったのだった。
自身で閉めるのならそれほどしっかりと閉めることはないが、他人の場合は、全く見えてないのでしっかりと閉めてしまう。
そして、挟まれた方は、申し訳ないので、「大丈夫、大丈夫。平気だから・・・」と言ってやせ我慢をしてしまう。
これがいけない、すぐに、手当とか、痛みどめとか飲めば良かったという反省が、後々起きてくる。
 数日間、挟んだ指が「ズキン,ズキン」と音が聞こえてくるくらいに腫れて、本当に痛かった思い出がある。

 それで、「骨折はしてないかもしれないけれど心配ですし、挟んだ当初は、感じないけれども、後々から感じるのは半端な痛みではないので、すぐに御医者様に行きましょう!!」とご相談して、近所の整形外科に行った。
車で1分くらいのところにある病院は、普段は超満員で、なかなか、順番が回ってこないらしいのだが、今日は、午前の時間ぎりぎりに入ったせいか、ほかに待っている患者さんもいなかったので、レントゲンも先に撮ってと先生が気を回してくださって、費用を払って出てきたら、30分もたってなかった。
御蔭で、施設の昼食に間に合うこともできた。
神様が用意してくださっていたみたいな感じがして、二人で「神様に感謝ね」と言って戻ってきた。
幸い、骨折はなかった。微小なヒビがある時は、レントゲンに写らないこともあるので注意をするようにと言われて、とにかく痛み止めだけは出していただいた。

 私としては、やっと、教会のミサにお連れできるようになったのに、これが原因で、心配だからと今後、出られなくなったら困るなと思った次第。
マリアさまに祈るような気持ちで帰宅した。

自立型でも、高齢者施設にいるので、職員さん達にも良く説明をして、気を使って見守りをしていただけるのは良かった。
痛みも少なくてすぐに治るように祈りたい。




ギターのこんな演奏はいかがですか?
Ave Maria Giulio Caccini / Аве Мария Джулио Каччини


調べてみると、「ソ連の作曲家・リュート奏者 Vladimir Fyodorovich Vavilov (1925-1973)によって1970年頃に作曲された曲で、彼自身によって1972年に出版およびMelodiyaレーベルに録音されています。これがなぜか、彼の死後、Cassini作とされてしまったようです。」らしいです。


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