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井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

トークの会

2017年10月22日 | 日記

あいにくの雨空でしたが、気持ちの良い会場を用意していただき
拙い話でしたが、聴いて頂きました。

ドラマ執筆と重なったので、トーク内容を勉強、準備する時間が全くなく、
申し訳ないことでした。

話の中、物質化ということで私や私がお話しているお相手に
時々金粉が浮く、というような埒もないこともお伝えしたのですが、
お話が終わって皆様と雑談中、5,6名の方々の手のひらや
お顔に金粉がきらきらと浮いて、私がホラを吹いているわけでは
ないことを実地に見て頂けました。

初めて体験される方の中には、その現象に相当びっくりした方もいらしたようです。

会場に白壁があれば、そこを背に立っていただきオーラの見方なども
お教えしたかったのですが、あいにく白壁はございませんで。

というと、オカルト的怪しげな話ばかりしていたようですが、
いちおうテーマは「美意識について」でしたから、脱線しながらも
日本独特の「心意気」などについて、語らせて頂きました。

お足元の悪い中、参加の皆様まことにありがとうございました。
締め切りで余裕のない中、つかの間ゆったりとした時を過ごさせて
頂き、楽しゅうございました。

またオフ会のメンバーの方4人もご参加で、帰路お茶をご一緒して
これも、締切の合間のいい気分転換でありがとうございました。

遠路よりご参加の方もいらして、恐縮。
またお目にかかります。

 

 

どうしてだか、白の長襦袢がどうしても見つからず紫を着込みました。
半襟がちらっと覗いてますが。

 

末尾ながら、このような場を設営してくださった[笹島式着付け教室の衣香さん]に感謝申し上げます。

 

付記 オフ会にキャンセルが出て、あと1,2名様は枠があると世話人さんより連絡あり。

ご参加希望の方は、こちらへお申込みください。

izawaoff@gmail.com

1 HN

2 実際のフルネーム

3 正確な住所

4 電話番号

5 メールアドレス

 

以上を添えて「オフ会希望」としてお出しください。

28日土曜日2時から、銀座に近い某所です。

会費 3千円。

参加の方々のセキュリティ保全のため、世話人の方から電話、
住所確認のための郵便物など行く場合がございます。

更にセキュリテイ厳しく、当日は配布された暗証(合言葉的な)を問われて
答えられない方は会場に入れません・・・・。

 

誤変換他、後ほど。

 

 


村野のター坊

2017年10月20日 | 日記

「徹子の部屋」を見ていたら、村野武範さんというより

私には「村野のター坊」が夫人と共に出ていて、

途中からでしたが、なつかしく拝見。

学部が異なっていましたが大学が同じ、彼が俳優に

なる以前からの付き合いで・・・・

そうこうするうち、私は豪州に放浪に出かけ、

帰国したらター坊は学園ものの青春スターになっていて

びっくり。

もう違う世界の人・・・・と連絡もせず(私はまだ脚本を書いていません)

一度電話をもらったきり会わず・・・・・

それから何年も何年も経ってから、脚本家として再会・・・・

そして、今回、テレビで再会するまで、交わりは途絶えていました。

仕事でペアリングすることもなかったのです。

病気のことは報道で知りつつ、もう電話番号も失くしてしまい・・・・

額のほくろが、そのまんまだなあ、と見てました。

青春期のター坊と顔立ちはさほど変わってはいません。

かなり濃密な付き合いだったと思うのですが、彼が歌謡曲が好きで

よく歌っていたとは初耳で、レコーディングまでしていたとは・・・・

そういえば森田健作さんもそうですが、青春スターって歌を歌うものでしたね。

おおむね俳優をやるような人は歌も上手なのですが、少数例外がいます。

一声聞いたとたん、あ~れ~・・・と内心こちらが汗たらり。

歌をグループで歌っているアイドルも、ソロでカラオケで歌うと

あ~れ~なお方も。

 

話が逸れました。

たぶんター坊が私より一ヶ月ほど「お兄さん」だった気がします。

元気でいてください。現在進行形のお付き合いはありませんが、
思い出が永遠にビビッドです。青春期を分かち合った友というのは
格別です。

 

誤変換他、後ほど。


装い

2017年10月20日 | 和服

トークの会のために誂えたものです。

 

 

上が着物、下が羽織。要するに同じ紬の反物で着物と羽織を仕立てて
もらったのです。

着物と羽織の縞目が、重なってどういうふうに出るのか着てみないと
解らず・・・・出たとこ勝負です。

誂えてくれたところも、興味津々で着た状態で画像欲しいとのこと。

草履は、これかな・・・

 

 

羽織のたもとに忍ばせる香袋が、これ。

帯は、まだ決めてません。

当日の画像をアップするので、見てください。

off会には、白っぽい着物を注文していますが、それを着るかどうかは
未定。

すでに仕立て済みで、グレーの羽織、背中に家紋・・・・が主体で
着物を決めます。

 

それぞれの会にまたがって参加の方もいらっしゃるので、衣装替えはしないと・・・
と思うのはテレビにしじゅう露出していた頃の名残なのでしょうか。

別に私の話を聴きに来てくださるので、着物を見にいらっしゃるわけでもないのに
気になります。

 

誤変換他、後ほど。

 

 


銀座でデート 三田佳子さんブログ編

2017年10月20日 | 日記

私のブログですでにレポートしたそのまんまの中身なのですが、

三田佳子さんのブログ編。

 

 http://www.yoshiko-mita.com/blog.html

 

「外科医 有森冴子」の話題もそうでしたが、三田さんとの最初の出会いであった
NHKの連ドラ「家族合わせ」でも話が盛り上がりました。

私がまだ連ドラをまだ書き慣れてない頃の作品ですが、愛着があります。

私の生い立ちをフィクションを交えながら描いた作品で、私の母を演じてくださったのが
三田さん、父親を伊東四朗さん、祖母を加藤治子さんがやってくださいました。

思えば、豪勢な「家族」ですね。

三田さんとは公私共にお付き合いが長く、あれこれ思い出が尽きず、思えば私の
人生の一画を豊かにしてくださった方。

三田さんと食事に出かけ、ご自宅までお送りしたのはいいのですが三田さんが
お家の鍵を忘れ、人が来るまで二人で冬の寒空に門前で震えていた事とか。

その話をしたら「私、しょっちゅうよ」と笑っていらっしゃいましたが。

かと思えば、セカンドハウスとして求められた某タワーマンションの
最上階をやはり二人で訪れた時、鍵がかかっていず開けっ放しで、
こっちが青くなったことも。

私の家に、スイカをまるごと抱え、運転手さんが休みだとかで
タクシーでいらしてくださったこともあります。

夏のある日、その頃あった深沢の邸宅を訪れたら、三田さんが
台所で、ところてんを用意して食べさせて頂いたことも。

あまり人に言えない話なのですが、二人でこっそり深夜のポルノショップを覗いたら
表で「三田佳子だ」と騒ぎになり、ほうほうのていで逃げ出したことやら。

それこそ、両手に余る思い出があるのです。

ポルノショップの話は書いたら怒られるかしらん。
強引に誘ったのは私です。色々、面白そうだなあ、と気になっていたのですが
一人では入りづらく。だからといって、よりによって三田さんを誘うかなあ、と今にして
思いますが、私にとって三田さんはそんな気楽な方だったのです。

私の思い出をたくさん彩ってくださいました。

ご恩返しには、三田さんにいい脚本を差し上げることだと、そう思っています。
早く、三田佳子という女優さんにセリフを書いてみたい。

私のホンを120%解ってくださった上で、常にしかし意想外の芝居を
一瞬、見せてくださるのです。

女優と作家が四つに組んだ作品で、いつか勝負したいと願っています。

・・・・そう言えば、三田さんから絵文字入りのメールが来ました。

昔はFAXのやり取りだったのに、お互い進化してるよなあ、と思ったのでした。

 

誤変換他、後ほど。

 

 

 


雨の要塞

2017年10月19日 | 日記

今日の東京は冷え冷えと、雨に降り込められていますが
締め切りが逼迫している身には、いっそいい環境です。

さあて、とねじり鉢巻、原稿を書き始めた昨夕、電話が鳴り
大学時代の友人で、近くに来たから出てこないかと。

格別に親しかった人なので、締め切りほっぽりだしていそいそ
出かけ、結局夜中まで遊び呆けました。

というわけで、今日は終日こもっての原稿書きです。

大学といえば、私が大学を授業料未納で放校されたの、夜間部だのと
調べれば即わかる嘘を、あれこれ書き散らす人の目的と神経が
不可解です。

私は学歴に重きを置くたぐいの人間ではありませんが(そういう分野での仕事師であるし)
学歴で人を貶める卑しさが、これも理解不能。

その前を通りかかったことすらない「アテネフランセ」でも学費滞納で、追い出されたのだとか。
どこからアテネフランセが出てきたのやら、また私の居住地もでたらめ。

私を朝鮮人にしたいらしいのですが、私は日本人です。戸籍の画像でも見せればいいのでしょうか。
私は人種的偏見を持たぬよう心がけているので、人を朝鮮人呼ばわりして
傷つけた気になる人の心根もまた、理解できません。半島の人も、いろいろです。
総体としてのキャラには物申したいこともありますが、偏見ではありません。

何度も繰り返していますが、日韓併合時代の京城での誕生です。当時の日本人には京城、満州誕生は
珍しいことではありません。京城は日本でした。
敗戦により日韓併合も自動消滅の形なので、併合が瓦解する数日前の誕生なのですが。
そして、引揚船で日本に帰って来たのです。

と、何度か書いたことですが、私をどうしても朝鮮人にしたい、その意味も解りません。

もっと、理解が及ばないのは「私が一体何をしたから」ネット内に虚偽を撒き散らされるのか、
それが一番解りません。誰か分かる人はいるでしょうか?
まあ好奇心です。何をしたから、憎まれているのでしょう?
誰それのなりすまし、というのは読みましたがたとえばTTさん。私はTTさんに頼まれ一緒に、
警察に被害届を出しに行っています。

警察関連のことに、嘘は書きません。書けません。担当刑事さんも、ブログやコメ欄もひょっとして
チェックなさっているだろうし。
私がTTさんであるという説もどこから出てくるのかさっぱり判らないのですが、同一人物なら
警察に行った二人は誰だったのでしょう。(同一人物説を、思い込みから来る妄想で書いた、熊子という最初の人間はいましたが、これもさっぱり意味不明です)

仮に、仮にです・・・私が複数ブログを別名で営んでいるとして(物理的に複数並行は、あり得ませんが)、それが何か問題なのでしょうか? 

私の意見に異論があるなら、コメント欄はそのために開放しています。
言論には言論で来ればいい。なぜ学歴や国籍で嘘までついて、貶めた気になるのか
理解の埒外です。

おそらく狂気ベースの、思い込みによる妄想でやられることに、理由を求めても詮無いことではありますが。

さて、雨の要塞に外出の道を閉ざされたがもっけの幸い、こもってしとしとと
原稿を書きます。

 

誤変換他後ほど