コンビニに立ち寄ったら、3歳位の女の子が床にひっくり返って、泣きわめいていた。
コンビニの店員さんたちは、駄々をこねている女の子をにこにこと見ている。
私はといえば、にこにこ派ではなく、お母さんが、なんで放置しているのかなあ、
と思うほうである。
私自身がひどく厳しく躾けられたほうで、大人になってから他の親の
子供への接し方など見ていると、時として私は冷酷なぐらいのことやられたのだなあ、
と客観的に見ることが出来る。
そういう自分の生い立ちもあって、放任している親を見ると心の奥でざわざわ
するものがある。
ただ、若い頃よりは寛大になっていて、6歳ぐらいのお兄ちゃんが笑いながら、
なだめながら、抱き起こしている姿を見て、ああこの子は長じて女性の扱いが
上手い男になるなあ、などとそんなことを思う程度のゆとりは持てるようになった。
姉にしろ妹にしろ、女きょうだいを持つ男の子は、女性に過剰の夢を
持たぬし、対応も慣れて円滑である。
今ひとつ自信を持って断定できるわけではないのだが、白人社会で
子供が床や道路にひっくり返って泣き喚いたり、新幹線やレストランで
走ったり動き回っている姿を見かけたことがない。
アメリカ欧州を旅して、豪州には暮らして約3年、ついぞ見たことがない。
インド、タイ、マレーシャ、台湾・・・・・なども、一過性の旅人でしかなかったから
何とも言えないが、こちらでも見かけたことはない。タイにはわりに
頻繁に訪れていたのだが。子供のそういう姿に遭遇したことがない。
日本が特殊なのだろうか。たまたま私が他国で見なかったというだけか。
ただ、私は昔に比べ寛容なのは、日本人は長ずれば礼儀正しく秩序を守ること、
世界でもトップクラスなので、子供の頃の放任はいいのかなあ、とそういう
考え方をするようにもなった。
叩いたり蹴ったり、過剰に厳しくするよりはましなのかもしれない。
ただお母さん。店を出て行く時に店員さんたちにともなく、客達にともなく
「お騒がせしました」のひとことがあらまほしいとは思った。
常識やマナー以前に、人としての品位だという気がする。
品位の別名はおそらく、教養や成熟なのだと思う。
「おやかましゅうございました」という挨拶は昔は裕福でもない
庶民の間にもあったような気がするが。
最近やんごとなきあたりでも、品位のある方ない方がくっきり
分かれてきたようにお見受けするのは、気のせいか。
その子の仲間らしき子達は、我先にと乗り込んでいたにめた関わらずです。
こんな子も居るんだ…と、嬉しくなると同時に、ちゃんと躾をしてもらえてるんだなぁと感心してしまいました。
デパートやコンビニでだだをこね、奇声を発している子を時々見かけます。
かと思えば、買い物に気を取られているのか、小さい子の手もとらず放置の親も見かけます。
大人であっても、ぶつかっておいてもそのまま知らん顔で通り過ぎる人が殆どです。
だからこそ、昨日の様な子や、運転中、横断歩道で頭を下げながら渡る子に遭遇すると、本当に本当に嬉しくなりますね。
多少勉強は出来ずとも、気持ちの良い挨拶が出来たり、何気ない心遣いが出来る様な躾は、大切だと感じます。
(○○しないと、みんなに怒られるよ)ではなく、(○○しないと、みんなに迷惑をかけるよ)という躾。
そんな躾の域にも、(子供にも人権がある!)と、何から何まで無差別的に人権が蔓延り、周りの大人のみならず、教師さえも叱らない時代ですから、難しいのかも知れません。
話は全くそれますが。
全盲となりながらも、殆ど迷惑をかけず一生懸命生きてくれていた老犬ワカメが、4月29日、17歳と1ヶ月で亡くなりました。
犬を飼うではなく、犬と一緒に暮らすという気持ちにさせてくれたメバルという子の曾孫・ワカメ。
24年間続いた血筋が絶えてしまい、今まで味わった事の無い喪失感を感じてます。
今も元気にはしゃぎ回っている里子犬達が、その寂しさを和らげてくれては居ますが…。
私は10歳と13歳半で、それぞれ見送りました。
もう、10年、それ以上経ちますが、思い出さぬ日は
ありません。毎日心のなかで手を合わせています。
同じ家族として大事に、そして他人に迷惑を掛けないようきちんと躾ける。
そうしてこそ他人様にペットも子供も嫌われずに済む、と考えてる風に見えます。
日本では子供は神様とも言い甘やかせて育てる傾向はありますが、電車内で子供に靴を脱がせて座席に座らせる母親は多く見かけますよ。
先の大震災は日本に大きな被害をもたらしましたが動画の多くが日本人の「品位」を世界中に知らしめてくれた事が数少ない救いの一つでした。
日本人に宗教色は無くともこれほど崇高な精神力が有ります、海外の方には理解出来ないでしょうね。
17歳まで可愛がってもらって幸せな一生を送れたワカメちゃん、天国で感謝しながらachabiさんを見守っていることでしょう。
四国は遠く都から離れていましたので、案外古い言葉が残っているのです。
言葉には本当に魂が宿っているんですね。。
最近の親は、子が臨界点に達するまで放置する人が多いと感じます。悪い芽はすぐに摘まねばならないのに、自分達の事にかまけてながしてしまうのです。そんな時に親を叱り、導かねばならない爺婆は嫁・婿に遠慮して放置するのです。私からすれば其れは媚びているとしか思えません。
年寄りのキメ台詞「今の若い者は」に、私は「今の爺婆は」を加えています。
私の幼い時は近所の爺様、婆様は優しくて恐い人でした。そして、質素な風情でも風格がありました。
媚びる人間には風格も品格もないと思います。
未だ、姑にも祖母にもなっていませんが、「言う事を聞いてくれるから好き」とは云われない人間でいたいと、常に心構えを忘れないように致しております。
思ってましたが、皆さんもしつけに関しては
そうですか・・・・。
せっかく日本人の良いマナーがあるので
壊したくないですねえ・・・・。
亡くした子に対し、もっとやれる事があったんじゃないか?と、懺悔の気持ちで日々過ごしてます。
コメント、嬉しかったです。