井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

映画と喫煙

2019年03月06日 | 映画

「七つの会議」と「ギルティ」と立て続けに2本の
映画を同日に観た。

「七つの会議」は、心に響くというたぐいの作品ではなく
娯楽に徹している映画だが原作を含めて上手なので、飽きない。
俳優が豪華で、こんな役にこの人を使う? というのが随所に。
制作陣のヒットを見込んでの豪華なキャスティングなのだろうが、
あては外れなかったようだ。

「ギルティ」は珍しくデンマーク映画で、言うところのone situation drama
であり、映画には緊急取調室の室内にカメラを据えっぱなしで、出演者も
ほぼ1人、と言っていいくらい他の人物は同僚として時々出てくるだけ。
ひたすら主人公の肌のブツブツや産毛まで見えるアップの表情と、
電話から漏れてくる緊急出動依頼の声のみで構成されているという、息苦しい映画であり、脚本はこういう限定状況でよくここまで作り上げたと感心させられるが、好きな人はどっぷりはまり、受け付けない人はまるでだめ、という
たぐいの映画である。

「七つの会議」だか、野村萬斎さん扮する主人公が煙草を吸う。
ということで、また昨日触れたNHKの大河ドラマに来ているという
喫煙シーンへの抗議についてであるが、野村萬斎さんが
喫煙するからと言って別に喫煙の許容でもなければ、お勧めでも
ありはしない。大企業の中で、1人浮いている存在を表すための
今どき、大企業内では珍しい社内喫煙者としての描き方である。
これをしも、大河ドラマにクレームを寄せる人は許容
できないのか、それとも副流煙の害さえなければいいのか、
そこが分からないのだがいずれにしても、映画やドラマに
おける喫煙シーンに目くじらを立て、「謝罪しろ」とまで
詰め寄るのはヒステリックに過ぎないか。

たまたま深夜のテレビで「あの日のように抱きしめて」という
ドイツ映画を再見したのだが、時代はナチスドイツの崩壊直後で
ここでも、男たちのみならず女たちがひっきりなしに
煙草をふかす。そういう時代だったのだ。
このての映画から喫煙を除け、と迫るのは歴史改竄を迫るに
等しくはないか。いささか大仰ではあるけれど。

私は日に数本吸うが、許された戸外か室内のみで
人と会うときはいっさい吸わない。3,4年間吸わなかった
時期もあり、だから狭い場所で吸われる苦痛も知っているし、
会う相手が喫煙者である場合、高価な着物は避けるなどの
煩わしさも承知、歩き煙草をしている人の
煙が風で鼻先に来ると、顔をそむける。
一時期、散歩のついでに路上の吸い殻を拾っていた
こともある。

だから、喫煙への嫌悪感は重々解かる。が、映画やドラマで
「時代風俗」や人物のキャラクターを表現するシーンに
文句をつけ、あまつさえ謝罪しろというのは極端過ぎないだろうか。

東京五輪に向け、喫煙に関してはいよいよ締め付けが厳しく
なろうだろうが、個人的には不可のエリアで吸わねばいいだけのこと、
痛痒を感じないし反対もないのだが、ただ魔女狩りふうの
監視社会になるのは避けたい。(喫煙擁護論ではない)
どころか街から煙草の煙が消えれば清々しいだろうな、
とさえ思っている。

昨日も書いたことだが、喫煙という日常些事表現に謝罪を迫る
人達は、番組それ自体が日本を貶め傷つける意図を持った
番組に、敏感に声を上げる人達だろうか?そちらのほうに、
抗議が寄せられたという話は、余り聞かない。

余談だが・・・・ヴェトナムを訪れた際、駅のホームに
降り立った金正恩委員長の喫煙の仕草が、格好いいという
評価に絶句した。・・・・格好はいいのかもしれないが、
わざわざ褒める神経が解らない、という私がこの場合は
偏狭で人のことを言えぬのか? 昔ながら、マッチをする
その仕草にふと郷愁を覚えたのも、事実ではあるけれど。

もう一つ余談・・・・映画を観終えて廊下に出たら、もう一つの
映写室から「ボヘミアン・ラプソディ」のクライマックスシーンの
音声と拍手の音声が漏れて来ていた。封切りが確か昨年11月だったか?
4ヶ月のロングランは稀有だろう。この映画にも受動喫煙お構いなしの
煙草シーンがあった。

なんだか旭日旗を目の敵にする韓国人みたいな人達だと
いう気もする。大河ドラマの喫煙シーンに謝罪しろと
詰め寄る人達。そのメンタリティに於いて、であり旭日旗と
煙草を同列に並べる意図はない。

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