井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

使い回され、骸と成り果てた言葉

2018年10月21日 | 歴史・政治

その文言自体は正しく美しくとも、実態のないまま
繰り返されるうち力を失い、使い古しの
ティッシュ並みになる言葉がある。
昨今、「人権」と共に日韓における「未来志向」がそうであろう。

鋭利な発言で頼もしかった小野寺五典氏の後任である
岩屋毅防衛相の、韓国へ抜いたなまくら刀が
もどかしく、憤ろしい。

済州島で開かれた国際観艦式で、旭日旗を拒否しながら七カ国へ戦艦旗の掲揚を許し、
あまつさえ自国も中国由来とも言われる、李舜臣(イ・スンシン)将軍の
旗を自国の戦艦に掲げたことも看過、という情けなさ。
豊臣秀吉の軍隊と戦った李舜臣将軍の旗をこれ見よがしにはためかせたことは、
日本への嫌がらせであり、とりようによっては”宣戦布告”であろうに。
極めて小児的な布告であるにせよ。
これへの文在寅氏の言い訳も稚拙。
「未来の海洋強国への意志を表明したもの」
抗日旗でしかないものを、これで何の弁明になっているというのか。

これに対して岩屋防衛相は「残念」という、紋切り型のぬるい一言のみ。
言葉にすらなってはいない。

痩せこけた言葉しか持たぬ者同士の、不毛の対話未満。


シンガポールにおける韓国の鄭景斗国防相との会談でも、当初と同じく「極めて残念だ」と発言、したたか殴られた頬をさすりながら「残念」とつぶやく腑抜け。

一体、何をなさっておいでか。
韓国に日本不参加を同じく残念と言い返され、それに応酬の言葉すら
持たぬ。

貴国に残念という言葉を用いる資格はない、という程度の言葉を
なぜ発せられぬのか。盗人猛々しいとまで伝えよ、とは言わぬ。
しかし、何の抗議にもなってはいぬことを発したとて
それは言葉ではなく単に音声であろう。
誰でも言える。通過スワップに類する援助は今後、いっさい
期待せぬのだな、となぜ「言外に」詰め寄らぬ?
言葉の芸は、政治家の芸である。

「未来志向」も誰でも言える。誰でも言える言葉を発するオウムは
政治家ではない。

無礼を無礼として認めぬ限り、両者に未来はない、となぜ返せぬのか。
韓国は日本を必要としてはいないとしか思えぬ、それなら
我が国も考えざるを得ないと、なぜ言えぬ。

政治家にとっても言葉は武器である。この武器を使えない政治家がいる。
岩屋氏もそうだが、近くはその内容の是非は鬱陶しいので触れぬとして
杉田水脈氏の
あの粗雑な日本語に、私は本当に気色が悪かった。何と下卑た
文章であったことだろう。言葉の欠如はしょせん、教養の欠如である。
言葉は政治家の器に比例する。

岩屋氏に関しては、その単に使い古した音声でしかない
発言もさることながら、パチンコ業者数十社からなる
「一般社団法人パチンコチェーンストア協会」の政治アドバイザーなる
肩書が大いなる瑕疵であろう。よりによってこういうお方がなにゆえ
韓国という我が国を”敵国”として拳を振り上げ続けている
国へ対さねばならぬ防衛相なのか。

党内人事が、バランス取りの妥協の産物であらざるを得ないことは
理解しているが、それにしても防衛相はないであろう。
パチンコが韓国と切っても切れぬ関係にあることは、
国民も知っている。よりによってなぜその遊興に寄り添う
人物が防衛相なのか

いずれにしても言葉の反射神経の貧しい政治家に、伸びしろはない。


1 コメント

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岩屋防衛大臣 (白文鳥)
2018-10-24 01:50:03
岩屋防衛大臣は、ペッパーのメモを持ちながら、顔を上げず目を落として
読んでいました。自分の言葉を発しない弱腰の防衛大臣にイライラしました。韓国の国防相は薄ら笑いを浮かべていました。

韓国にあれだけ自衛隊の誇りを侮辱されたのに……自分の言葉で言うべき時は言わなくてはなりません。
小野寺防衛大臣の交代が残念です。
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