田中英道先生の著作で知ったことだが、パルテノン神殿も法隆寺も
同じ美の黄金比率で出来上がっているらしい。
ギリシャ、日本共に古代の人々の美的直感の共通項に
息を呑む思いだが、共通でないことは
パルテノン神殿は石で、法隆寺は木で出来ていることだ。
しかるに、堅牢な石の神殿は柱を残して潰え、木の寺は完全な形で生き延びている。
むろん、歴史はパルテノン神殿のほうが遥かに旧いので、同じ地平での
比較はアンフェアだが、おそらく法隆寺はこれから先も延々と生き延びる。
永遠性を夢見て石を積み上げるのが西欧なら、万物いずれ滅びるものとして
木を使う日本の精神性の違いで、滅びると観じて作る日本の建造物のほうが
息が長いというパラドックス。
焼き討ちに合うことが少ないという日本の平和も傍らにあってのことだろう。
日本は永遠を物質には求めない。万物流転の中に実は永遠を見る。
伊勢神宮の式年遷宮。壊しては建て、建てては壊して、また創建する。
生と滅は一体であり、それがすなわち宇宙の法則が指し示す永遠なのだから。
自然と対立しての永遠などあり得ない。
対立構造が西欧の思考と感受性の基礎にあるが、すでに行き詰まっている。
日本は永遠の何たるかを知っている。
世界の立て直しは日本から始まる。
技術を継承していけば修復も再建もできる。たとえ継承者がいなくなっても現物さえ残っていれば、誰かが研究して技術そのものを復元してくれるだろう、というような事をおっしゃっていたのが印象的でした。
東日本大震災で家屋から救出されたおじいちゃんが、明るい顔と声で「また、再建しましょう」と周囲に語りかけていた映像がありました。
何があっても続いていくから大丈夫、というのは日本人独特の感性なのかもしれません。
ヨーロッパの美しい街並みから比べると日本の建築は貧弱で美意識のかけらもないと言う方が多くいます。今までは反論もできなかったのですが。
>日本は永遠を物質には求めない。
完全に納得いたしました。
日本人自身が日本精神をもっと深く追求し、行動し、文章化し、世界に広めることが急がれています。
五重塔の免震構造は凄いそうです。
ネコ太郎さん
サンピエトロ寺院、行きました。
凄いのですが、威圧感も感じました。
闘争的・・・たぶん自然との闘争。
自然との共生ではなく、対立の建物。
そんな民族は中々居ません。
特に「文明」を持ってしまった民族は何故か「永遠に存在し続ける」事を目標にするのです。
「不死」が其の代表でしょう。
しかし、永い生物の歴史を鑑みれば其々の生命が全うして死を迎える事でしか、生命の繫がりはないのです。
我=自己を主張するか、無私を重く見るか、何処に永遠を見るか。
日本人として、地球人として、どちらを取るべきなのでしょうか。
私の中では答えは決まっています。
日本再発見したようで、嬉しくて主人に聞いてもらいました。
昨晩のテレビで伊勢神宮を取り上げていました。
伊勢神宮が世界遺産に登録されない理由は、「遷宮により20年に一度社殿を建て替える行為が、保護を目的とする世界遺産の趣旨にはそぐわない」からだそうです。
遷宮が続いていることこそ、驚くべき永遠性でしょうに。
まあ、物質にしか価値を見いだせない人達にはわからいだろうし、評価もされたくないですね。