井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

着物の神様

2016年04月21日 | 和服

一昨日、メンズ着物の店に仕立て上がった着物を受け取りに
出掛けたことは記しました。

着物は着る回数が勝負、まとうごとに主に馴染んで一体になるので、
なるべく普段も着るべく、その日は滅多に袖を通さない着物に
風と陽を当ててあげようと、出したはいいが、なんと袷でした。

 

男は肌着を何枚も下に重ねられるので、単衣で仕立てておくほうが
使いまわしが利く、という知識を持っていなかった頃仕立てた着物です。

せっかくいい日差しなので、戸外の爽やかな風に
当ててあげようと、出したのに残念でした。

それで、次に出した単衣なのですが・・・・

薄茶で実はあと1,2回着たら処分・・・・と
思っていた着物です。袖の付け根の綻びはつくろって
もらえるとして、背中の部分に虫か布自体の劣化か、
ごく小さいながら穴が開き・・・・・・

そうだ、綻びと背中の穴は羽織で隠し、
今日日盛りの長い歩行に着倒してお別れしようと
まとったら、「まだ着てください」と着物の切ない声がしたような。

長年まとっていたせいか、意思の疎通があるような。
捨ててしまうのは、着物の神様にも申し訳ないような。

あさ野のお母さんにはいい色合いで、いい生地だと褒めていただくし、
そういえば神田明神下には古い店構えの、おそらく腕が確かな
悉皆屋さんがあるので、そこに相談しようと思います。

30年も前の着物で、共布など取っていず、穴の繕いが
無理か、と廃棄を決めていたのですが、たとえば
生地のどこからか余分の布を切り取って添える、とか?
穴と言っても言われなければ気づかぬほどの、針でつついた程度
なのです。

最近、神田明神女坂にあるメンズ着物店の、斬新な柄や色使いの
着物に慣れているせいか、時々控えめな無地が新鮮に感じることもあります。

いずれにしても、このベージュ色の着物は着物の神様が
もう開放して宇宙の塵に戻してあげなさい、と言うまで
また着物“本人”が「もう疲れました。お役御免に願います」と
言うまで、ずっと一緒にいようと思います。

もともと、ものに執着を持たないほうなのですが、着物には
どうやら思いが残りそうです。犬たちという生き物と暮らしていた頃には
なかった感覚。物にも意識があり、自分と波長の合う合わないと
言うのもありそうで。植物にも時々感じます。

物で意思が通じると感じるのは、後水晶があります。
石に凝っていた時期があり、たくさん持っているのですが
とりわけ、ドッジボールよりは二回り小さいかなと思う、
ずっしりとした球体の水晶は、もはや人生の同伴者になっていて
無意識に語りかけています。

水晶は語りかけるときらめきを、その場で増すことは知っている
人は知っていると思いますが・・・・・こういうのは現場で目撃していても
光のせい・・・・とかいう人もいそうですね。

私がこの水晶を代官山の店で両手で抱え上げたとき、
ふいに光が増したことは、同行の友人が目撃していて、
家の(その頃あった)大理石のテーブルの中央に据えてからも、
似たようなことがありました。

別の友人ですが、その頃私の家の近くに住んでいて、
これがタイガーストーンと言ったかなあ・・・・・台湾で手に入れたという
ネックレス状につながれた石を、私の家に持って来ては
私の水晶球の傍らに置くのです。

すると、友人の石がたちまち濡れたように輝きを増し、あたかも
呼吸しているかのようでした。

石にも意識があることはある、さる場所で実感として解ったことがあるのですが
怪しげな話はこのくらいで。

 

被災地が大変なさなかに、のんきな話ばかりで気がひけるのですが、こちらはこちらで
直下をいわれながら、日々の暮らしは続いているので・・・・・恐縮です。